京都申年の初詣スポット(新日吉神宮・・・)

京都申年の初詣スポット

京都申年(さるどし)の初詣スポットを紹介しています。新日吉神宮は本殿前に狛犬代わりの阿吽(あうん)の狛猿(ご神猿)が置かれています。ご神猿(真猿(まさる))は新日吉神宮が勧請した滋賀・日吉大社の祭神・日吉大神のお使いとされていることに由来しています。真猿は魔去る・勝ると称されています。

【京都申年の初詣スポット 十二支】
十二支(じゅうにし)は子(ね・鼠(ねずみ))・丑(うし・牛)・寅(とら・虎)・卯(う・兎(うさぎ))・辰(たつ・龍(りゅう))・巳(み・蛇(へび))・午(うま・馬)・未(ひつじ・羊)・申(さる・猿)・酉(とり・鶏(にわとり))・戌(いぬ・犬)・亥(い・猪(いのしし))からなります。十二支は中国の殷(いん)時代(紀元前17世紀頃~紀元前1046年)に甲骨文字(こうこつもじ)を記す際に十干(じっかん)と組み合わされて日付の記録に利用されていました。中国の戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)以降に日(日付)だけでなく、年・月・時刻・方位の記述にも利用されるようになりました。中国ではインドの木星紀年法を取り入れ、動物を当てはめたと言われています。日本では古代に中国から伝わり、5世紀の古墳の出土品に「辛亥年七月中。」などという干支が刻まれています。

【京都申年の初詣スポット 言社(下鴨神社の末社)】
何年でも、何年生まれでもご利益があるとも言われています。
●下鴨神社(しもがもじんじゃ)の末社・言社(ことしゃ)は十二支の守護神です。言社の祭神・大国主命(おおくにぬしのみこと)は7つの名前と7つの働きを持ち、その名前ごとに7つの社が祀られています。巳(み)・未(ひつじ)の守護神は一言社(東社)、午(うま)の守護神は一言社(西社)、子(ね)の守護神は二言社(北社)、丑(うし)・亥(い)の守護神は二言社(南社)、卯(う)・酉(とり)の守護神は三言社(北社)、寅(とら)・戌(いぬ)の守護神は三言社(中社)、辰(たつ)・申(さる)の守護神は三言社(南社)です。
言社(ことしゃ)・大国さまは起源が明確ではありません。言社は日本最古の歴史書「古事記(こじき)」の因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)に登場する大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀っています。
言社・十二支の守護神

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【京都申年の初詣スポット 新日吉神宮】
●新日吉神宮は本殿前に狛犬代わりの阿吽(あうん)の狛猿(ご神猿)が置かれています。ご神猿(真猿(まさる))は新日吉神宮が勧請した滋賀・日吉大社(ひよしたいしゃ)の祭神・日吉大神のお使いとされていることに由来しています。真猿は魔去る・勝ると称されています。
新日吉神宮(いまひえじんぐう)は平安時代後期の1160年(永暦元年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が院の御所(離宮)・法住寺殿(ほうじゅうじどの)を造営した際、延暦寺(えんりゃくじ)の守護神・日吉大社(ひよしたいしゃ)から山王七社(上七社)を鎮守社として勧請したのが起源と言われています。新日吉神宮の別当寺として、天台三門跡に数えられる妙法院(みょうほういん)が延暦寺山内から八坂神社(祇園社)西側に移されました。その後度々移ったり、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火などによって荒廃したが、江戸時代前期の1640年(寛永17年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)を祀って廃絶した豊国神社(とよくにじんじゃ・豊国社)・豊国廟(ほうこくびょう)の参道上に再建されました。1897年(明治30年)に関白・豊臣秀吉を祀る豊国廟が再興された際に現在の場所に移りました。1958年(昭和33年)に第77代・後白河天皇を増祀し、1959年(昭和34年)に社号を新日吉神宮に改めしました。なお新日吉神宮は主祭神に日吉山王七神(大山咋命・大己貴命・玉依比売命・大山咋命荒魂・田心比売命・菊理比売命・玉依比売命荒魂)・後白河天皇を祀り、相殿に素盞嗚尊・大年神を祀っています。
新日吉神宮・京都申年の初詣スポット

【京都申年の初詣スポット 赤山禅院】
●赤山禅院(せきざんぜんいん)は拝殿の屋根に鬼門除けの猿が置かれています。鬼門除けの猿は赤山禅院が皇城(京都御所)表鬼門に位置していることに由来し、皇城(京都御所)を守護しています。鬼門除けの猿は御幣とかぐら鈴を持ち、逃げ出して夜な夜な悪さをしないように金網の中に入れられています。
赤山禅院(せきざんぜんいん)は888年(仁和4年)に第4世天台座主・安慧(あんね)が第3世天台座主の慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)の遺命により、陰陽道の祖神(おやがみ)である赤山大明神(泰山府君(たいざんふくん))を勧請して創建したのが起源と言われています。慈覚大師・円仁は838年(承和5年)に遣唐使船で唐に渡り、その行程を守護した赤山大明神に感謝し、赤山禅院を創建することを誓った言われています。その後赤山禅院は平安京・京都御所の表鬼門(東北)に当たることから皇城の表鬼門の鎮守として祀られました。拝殿の屋根には金網の中に邪気を払う力があるとされる鬼門除けの猿(申)が置かれています。江戸時代に第108代・後水尾天皇が修学院離宮に行幸された際、社殿を修築し、勅額・赤山大明神を賜りました。なお赤山禅院(福禄寿)は恵美須神社・妙円寺(松ヶ崎大黒天)・東寺・六波羅蜜寺・行願寺(革堂)・萬福寺とともに都七福神とされています。
赤山禅院・京都申年の初詣スポット

【京都申年の初詣スポット 八坂庚申堂(金剛寺)】
●八坂庚申堂は表門の屋根に「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿があったり、カラフルなくくり猿が吊るされたりしています。くくり猿に願いを掛け、欲をひとつ我慢すると願いが叶えられるとも言われています。猿は動き回り、落ち着きのない人を表し、手足をくくられているくくり猿は心がうまくコントロールされている状態を表しているとも言われています。
金剛寺(こんごうじ)・八坂庚申堂(やさかこうしんどう)は起源が明確ではありません。金剛寺は寺伝によると平安時代中期に天台宗の僧・浄蔵貴所(じょうじょうきしょ)が八坂に創建したとも言われています。浄蔵貴所は公卿・三善清行(みよしのきよゆき)の子として生まれ、宇多法皇(第59代・宇多天皇)に師事して出家し、比叡山で玄昭(げんしょう)から密教、大慧(だいえ)から悉曇(しったん)を学びました。浄蔵貴所は呪術憎とも言われ、八坂の塔(法観寺(ほうかんじ))が傾いた際に元に戻したとも、一条戻橋(いちじょうもどりばし)で亡くなった父を一時的に生き返らせ、一条戻橋の由来になったとも言われています。金剛寺は十干十二支(じっかんじゅうにし)の一つ庚申(かのえさる・こうしん)の日を禁忌とする庚申信仰の日本最初の霊場と言われています。ちなみに庚申は庚(かのえ)申(さる)の日を意味します。その後江戸時代の1679年(延宝六年)に本堂が再建されました。
八坂庚申堂(金剛寺)・京都申年の初詣スポット

【京都申年の初詣スポット 備考】
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