工学者・田辺朔郎(たなべさくろう)と哲学の道
工学者・田辺朔郎と哲学の道
工学者・田辺朔郎は哲学の道の起源である琵琶湖疏水の疏水分線や第1疏水の土木技師として採用され、第1疏水・疏水分線を完成させました。その為私財を投じて大堰川・高瀬川を開削した角倉了以とともに「水運の父」とも言われています。
【哲学の道桜見ごろ(例年時期)】
哲学の道の桜見ごろは例年4月上旬頃です。ただ桜の開花状況や見ごろ(満開)はその年の気候などによって多少前後することがあります。なお2025年1月下旬頃から京都の桜開花・満開・見ごろ情報を発信します。
哲学の道桜見ごろ
【哲学の道 歴史・簡単概要】
哲学の道は琵琶湖疏水分線沿いで、北側の銀閣寺道交差点付近の浄土寺橋から南側の若王子神社付近の若王子橋を結ぶ延長約2キロの小道です。琵琶湖疏水は京都府知事・北垣国道が京都近代化政策の一環として計画し、1890年(明治23年)に滋賀県大津市三保ヶ崎から鴨川までの第1疏水と蹴上から分岐する疏水分線が完成し、1912年(明治45年)に第2疏水が完成しました。哲学の道は1890年(明治23年)に完成した琵琶湖疏水分線の管理用道路が起源です。
【工学者・田辺朔郎(たなべさくろう)】
工学者・田辺朔郎は哲学の道の起源である琵琶湖疏水(びわこそすい)の疏水分線や第1疏水の土木技師(京都府御用掛)として採用され、第1疏水・疏水分線を完成させました。その為私財を投じて大堰川(おおいがわ・桂川(かつらがわ))・高瀬川(たかせがわ)を開削した京都嵯峨の土倉業・角倉了以(すみのくらりょうい)とともに「水運の父」とも言われています。また田辺朔郎は日本初の水力発電所である蹴上発電所(けあげはつでんしょ)を完成させ、西陣機業の機械化や日本初の路面電車の運行を実現させました。
●田辺朔郎(たなべさくろう)は江戸時代(1603年~1868年)末期の1861年(文久元年)12月2日に洋式砲術家であった幕臣・田辺孫次郎(たなべまごじろう・忠篤(ただあつ))とふき子の長男として、江戸(東京)・根津愛染町に生まれました。ただ生後9か月で父・田辺孫次郎が病死し、叔父・田辺太一(たなべたいち)が後見人となって家督を継ぎました。幼少の頃に大久保敢斎から漢学、福地源一郎から洋学を学びました。1869年(明治2年)に叔父・田辺太一が沼津兵学校の一等教授になると静岡・沼津に転居し、翌1870年(明治3年)に沼津兵学校付属小学校に入学し、1871年(明治4年)に叔父・田辺太一が外務省に出仕になると東京・湯島天神町に転居し、南部藩の共慣義塾で英語・数学・漢学を学びました。1873年(明治6年)に岩倉遣欧使節団の一員だった叔父・田辺太一が日本に帰国した際、神奈川・横浜港に入港していたゴールデンエイジ号の蒸気エンジンを見て工学に興味を持ち、1875年(明治8年)に工学寮小学校に転入し、1877年(明治10年)に工部大学校に進学して土木工学を学びました。工部大学校の在学中に第3代京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち)が角倉了以・角倉素庵(すみのくらそあん)の父子時代からの懸案で、京都近代化政策の一環として計画された琵琶湖疏水工事の実行を知り、その後卒業研究として京都に赴き、卒業論文「琵琶湖疏水工事の計画」を完成させました。卒業論文は海外の雑誌に掲載され、イギリス土木学会の最高賞であるテルフォード賞を授与しました。工科大学校学長・大鳥圭介の推薦により、1883年(明治16年)の工科大学校卒業とともに京都府の御用掛に採用され、弱冠21歳で琵琶湖疏水の土木技師になりました。琵琶湖疏水は1885年(明治18年)に着工され、1890年(明治23年)に第1疏水・疏水分線が完成しました。田辺朔郎は工事の最中である1888年(明治21年)に議員・高木文平とともに渡米し、世界初となる水力発電を実現したコロラド州・アスペン鉱山などを視察し、琵琶湖疏水の水車動力を水力発電に変更し、1891年(明治24年)に日本初の水力発電所である蹴上発電所を完成させました。1890年(明治23年)の第1疏水・疏水分線完成後に帝国大学工科大学(東京大学)の教授に任命され、また同年に北垣国道の長女・北垣静子と結婚しました。その後内務省土木会委員・北海道庁鉄道部長・京都帝国大学理工科大学教授・宮内省内匠寮御用掛・京都帝国大学工科大学長などを歴任しました。シベリア鉄道を使って、モスクワから欧州・北米を視察しました。田辺朔郎は日本の近代土木工学の基礎を築き、「明治工業史」の企画編纂を行いました。また京都市の三大事業である琵琶湖疏水の第2疏水・水道・市電建設にも貢献しました。なお田辺朔郎は1944年(昭和19年)9月5日に亡くなりました。
【工学者・田辺朔郎と哲学の道 備考】
*京都には多くの桜名所があり、その桜見ごろを下記リンクから確認できます。
京都桜見ごろ2025(清水寺・哲学の道・原谷苑・・・)