本能寺の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識
本能寺の見どころは本堂・表門・信長公御廟所・三足の蛙などです。
本能寺の見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには室町時代の枠を集めた本堂(登録有形文化財)、織田信孝が建立した信長公御廟所、香炉「三足の蛙」などの寺宝を展示する大宝殿宝物館などがあります。また表門・塔頭等も見逃せません。なお修学旅行や観光で見るべき文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。
- 日蓮聖人・織田信長の位牌などを祀る本堂(登録有形文化財)
- 妙心寺の塔頭・恭明院から移築された表門(登録有形文化財)
- 織田信孝が建立した織田信長の廟所である信長公御廟所
- 香炉「三足の蛙」などの寺宝を収蔵・展示する大宝殿宝物館
- 明智光秀による本能寺の変が起こった本能寺跡
【本能寺の歴史・簡単概要】
本能寺は1415年(応永22年)に日隆聖人が妙本寺5世・月明上人と対立して妙本寺を去り、油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を創建したのが起源です。その後月明上人によって破却され、1429年(永享元年)に小袖屋宗句の援助によって西陣付近に再建され、1433年(永享5年)に如意王丸を願主に六角大宮に建立しました。1536年(天文5年)の天文法華の乱で焼失し、1545年(天文14年)に第12代貫首・日承聖人が四条西洞院に再建しました。1582年(天正10年)の本能寺の変で焼失し、1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉の命によって現在の場所に移りました。
【日蓮聖人・織田信長の位牌などを祀る本堂(登録有形文化財)】
- 本堂の概要:本堂は信長公御廟所に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。本堂は総欅造で、室町時代(1336年~1573年)の枠を集めて造られています。本堂は日蓮聖人(にちれんしょうにん)・日朗(にちろうしょうにん)・日隆(にちりゅう)・織田信長の位牌などを祀っています。
- 本堂の歴史:本堂は1864年(元治元年)に蛤御門の変(はまぐりごもんのへん・禁門の変(きんもんのへん))で焼失し、その後廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって再建が遅れ、1928年(昭和3年)に漸く再建されました。本堂は京大教授で、建築史家の天沼俊一(あまぬましゅんいち)が設計し、室町時代(1336年~1573年)の建物を再現しています。なお本能寺では幕末の本堂焼失から昭和(1926年~1989年)初期の本堂再建までの期間、学問所であった大亀谷檀林・隆閑寺(伏見区深草大亀谷)の講堂を移築して仮本堂にしました。
- 本堂の様式:本堂は建築面積約178坪(587.4平方メートル)の木造平屋建てです。本堂は屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。本堂は七間四方で、内陣は五間四方です。なお本堂は総欅造(そうけやきづくり)です。
【妙心寺の塔頭・恭明院から移築された表門(登録有形文化財)】
- 表門の概要:表門は本能寺の総門で、修学旅行生や観光客などの参拝者が訪れた際の出入口になっています。表門は西側の商店街に面して建立されています。
- 表門の歴史:表門は1871年(明治4年)に妙心寺(みょうしんじ)の塔頭(たっちゅう)・恭明院(きょうめいいん)の門として建立され、1880年(明治13年)に本能寺に移築されて建立されました。
- 表門の様式:表門は間口約4.9メートルの薬医門(やくいもん)で、左右に袖塀(そでべい)が付いています。表門は屋根が瓦葺です。
【織田信孝が建立した織田信長の廟所である信長公御廟所】
- 信長公御廟所の概要:信長公御廟所は修学旅行・観光で絶対に見る価値があります。信長公御廟所は本堂南側に建立されています。信長公御廟所は織田信長の廟所です。なお信長公御廟所には拝殿(登録有形文化財)も建立されています。
- 信長公御廟所の歴史:信長公御廟所は1582年(天正10年)6月2日の本能寺の変から1か月後の同年7月3日に織田信長の三男・織田信孝(おだのぶたか・神戸信孝)が建立したと言われています。織田信長の太刀が納められたそうです。信長公御廟所は歴史的価値があります。拝殿(登録有形文化財)は1928年(昭和3年)頃に再建されました。
- 信長公御廟所の様式:拝殿は木造平屋建てで、屋根が銅板葺(どうばんぶき)です。
【香炉「三足の蛙」などの寺宝を収蔵・展示する大宝殿宝物館】
- 大宝殿宝物館の概要:大宝殿宝物館(だいほうでんほうもつかん)は修学旅行・観光で見逃せません。大宝殿宝物館には織田信長所蔵の茶道具・書状などが収蔵・展示されています。破却・兵火・火災などを潜り抜けた香炉「三足の蛙(みつあしのかえる)」・梅樹雉雀文様銅鏡(ばいじゅきじすずもんようどうきょう)・建盞天目茶碗(けんさんてんもくぢゃわん)などが展示・公開しています。なお梅樹雉雀文様銅鏡は重要文化財です。
- 大宝殿宝物館の歴史:大宝殿宝物館は1998年(平成10年)に建設されました。
- 大宝殿宝物館の様式:大宝殿宝物館は鉄筋コンクリート4階で、5層に宝形堂があります。
- 三足の蛙の概要:三足の蛙には本能寺の変の前夜、蛙が突然に鳴き、織田信長に異変を知らせたという伝承が残されています。
【加藤清正が寄進したとも言われる緑泥片岩の臥牛石】
- 臥牛石の概要:臥牛石(がぎゅうせき)は本堂の前にあります。臥牛石は緑泥片岩(りょくでいへんがん)です。
- 臥牛石の歴史:臥牛石は肥後熊本藩初代藩主・加藤清正(かとうきよまさ)が寄進したとも言われています。臥牛石は加藤清正が朝鮮出兵の際に持ち帰ったとも言われています。
【高さ約30メートル・幹周り約5メートルの火伏せの銀杏】
- 火伏せの銀杏の概要:火伏せの銀杏は本能寺の変の後に移されてきたと言われています。火伏せの銀杏は高さ約30メートル・幹周り約5メートルです。
- 火伏せの銀杏の豆知識:火伏せの銀杏は1788年(天明8年)の天明の大火の際、木から水を噴出し、寺町三条界隈の人々を火災から救い、火伏せの銀杏と言われるようになったそうです。また火伏せの銀杏は1864年(元治元年)の蛤御門の変の際も木から水を噴出し、近くの塔頭・龍雲院(りょううんいん)だけが焼失を免れました。
【戦没者合祀墓・供養塔あどがある境内】
- 境内の概要:境内には本能寺の変戦没者合祀墓・徳川家重(とくがわいえしげ)夫人の供養塔・島津義久(しまづよしひさ)夫人の石塔・菅中納言局庸子(かんちゅうなごんのつぼねようこ)の石塔・日甫上人(にちほしょうにん)顕彰碑などがあります。
【1582年(天正10年)に自刃した織田信長を偲ぶ信長公忌】
- 信長公忌の概要:信長公忌(のぶながこうき)は例年6月2日に行われています。信長公忌では織田信長の命日に信長を偲びます。信長公忌ではイベントが行われることもあります。(要確認)
【全ての生き物に対して感謝の心を表す放生会】
- 放生会の概要:放生会(ほうじょうえ)は例年9月15日に行われています。放生会では本堂での法要終了後、三条大橋南側の鴨川の河川敷に移動し、ドジョウ・フナなどの川魚を鴨川に放します。(要確認)なお放生会は明治時代(1868年~1912年)初期まで境内の放生池で行われていたそうです。
【恵昇院・蓮承院・本行院などの塔頭】
- 塔頭の概要:恵昇院(えしょういん)・蓮承院(れんじょういん)・本行院・(ほんぎょういん)源妙院(げんみょういん)・龍雲院(りょううんいん)・定性院(じょうしょういん)・高俊院(こうしゅんいん)など7つの塔頭があります。なお塔頭(たっちゅう)は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。
- 恵昇院の概要:恵昇院は1574年(天正2年)に久成坊隆詠上人が創建しました。恵昇院は牡丹を像った瓦など牡丹にゆかりがあり、牡丹坊とも言われているそうです。
- 蓮承院:蓮承院は浄運院日順上人が創建しました。蓮承院の名称は日蓮聖人の「蓮」と日承聖人の「承」に由来しているとも言われています。
- 本行院の概要:本行院は第12世・伏見宮日承聖人が創建しました。
- 源妙院の概要:源妙院は第13世・日堯聖人が創建しました。
- 龍雲院の概要:龍雲院は龍雲院日政大徳が創建しました。
【明智光秀による本能寺の変が起こった本能寺跡】
- 本能寺跡の概要:本能寺跡は現在の本能寺から離れた場所にあります。本能寺跡は京都市中京区小川通蛸薬師元本能寺町にあります。現在は老人ホームなどの施設になっており、西側に石碑が建てられています。
- 本能寺跡の歴史:本能寺跡は1582年(天正10年)6月2日(新暦6月21日)に明智光秀による本能寺の変が起こり、織田信長が自害した場所です。「信長公記(しんちょうこうき)」によると織田信長は蘭丸(森成利)に「こは謀反か。如何なる者の企て。」と尋ね、物見から戻った蘭丸が「明智が者と見え申し候。」と報告すると信長は「是非に及ばず。(やむおえぬ)」と言ったと言われています。
- 本能寺跡の調査:発掘調査によると堀跡の屁泥の中から焼けたと思われる瓦が見つかりました。また堀には堅固な石垣が積まれていたことも分かりました。
【本能寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・本能寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ