晴明神社の見どころ-修学旅行・観光の簡単解説

晴明神社(Seimei Shrine)

晴明神社の見どころは本殿・齋稲荷社・厄除桃・一の鳥居・晴明井などです。

晴明神社の見どころを簡単にまとめて解説します。見どころには安倍晴明祀る本殿、厄除けのご利益があると言われる人気の厄除桃、出入口で、晴明桔梗(五芒星)の額束が掛かる一の鳥居などがあります。また齋稲荷社・晴明井・千利休居士聚楽屋敷趾の石碑なども見逃せません。

【陰陽師・安倍晴明を主祭神として祀る本殿-見どころ】

本殿は絶対に見る価値があります。本殿は主祭神・安倍晴明と倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀り、魔除け・方除守護・厄除け・火災守護・病気平癒(病除守護)・縁結び(結婚)・合格祈願などのご利益があると言われています。本殿には社紋・晴明桔梗(五芒星(ごぼうせい))が随所にあしらわれています。

  • 歴史:本殿は1905年(明治38年)に再建されました。
スポンサーリンク(Sponsor Link)

【齋院御所から遷されたとも言われる齋稲荷社-見どころ】

齋稲荷社(いつきいなりしゃ)は本殿の北側にある晴明神社の末社です。齋稲荷社はお稲荷さんと天満社・地主社を祀っています。なお齋の名称はお稲荷さんが鴨神社(上賀茂神社(かみがもじんじゃ)・下鴨神社(しもがもじんじゃ))に仕える齋王(さいおう・斎王)がこもる齋院御所(斎院御所)にあったことに由来します。

  • 豆知識:安倍晴明はお稲荷さんの生まれ変わとも、安倍晴明の母はお稲荷さんのお使い(眷族(けんぞく)・神使(しんし))とされるキツネだったとも言われているそうです。

【厄除けのご利益があると言われる厄除桃-見どころ】

厄除桃(やくよけとう)は本殿に次ぎ、見る価値があります。厄除桃は本殿前にあります。厄除桃は「桃」の字が「木」へんに「兆(きざし)」と書くこともあり、陰陽道(おんみょうどう)では厄除け・魔除けの果物とされています。厄除桃は撫でると厄が桃に移り、厄除けのご利益があるとも言われています。

  • 豆知識:桃を使った厄除け・魔除けの様子は日本最古の歴史書「古事記(こじき)・712年(和銅5年)編纂」や日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」に記され、童話・桃太郎の由来になったとも言われているそうです。

【晴明桔梗(五芒星)の額束が掛かる一の鳥居-見どころ】

一の鳥居は見逃せません。一の鳥居は堀川通に面して建立され、修学旅行生や観光客などの参拝者の出入口になっています。一の鳥居には神社の社名ではなく、金色に輝く社紋・晴明桔梗の額束(がくつか)が掛けられています。晴明桔梗は五芒星とも言われ、陰陽道では祈祷呪符に使われています。なお晴明桔梗(五芒星)の額束は堀川通七不思議に数えられています。

  • 豆知識:五芒星は陰陽道の基本概念(陰陽五行説)である木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表し、魔除けのご利益があると言われています。

【旧一条戻橋を再現した一条戻橋-見どころ】

一条戻橋は堀川に掛けられていた旧一条戻橋の親柱などの部材を晴明神社に移し、旧一条戻橋を再現したものです。一条戻橋は歴史的価値があります。一条戻橋では安倍晴明の父・安倍保名が芦屋道満の弟に殺害されたが、安倍晴明が呪法によって父を蘇生させたとも、式神を一条戻橋の袂に隠したとも言われています。

  • 歴史:一条戻橋はかつて土御門橋(つちみかどばし)と言われていたが、呪術憎・浄蔵貴所(じょうじょうきしょ)が亡くなった父を読経により、一時的に息を吹き返させたことから戻橋と言われるようになりました。
  • 豆知識:一条戻橋では自刃した茶人・千利休(せんのりきゅう)の首が晒されたとも、源頼光(みなもとのよりみつ)の四天王の一人・渡辺綱(わたなべつな)が鬼女の片腕を斬り落としたとも言われています。

【安倍晴明が使っていたとも言われる式神石像-見どころ】

式神(しきじん)石像は一条戻橋の傍にあります。式神は恐ろしい容貌をした陰陽師が使う精霊だが、人には見えません。ただ安倍晴明の妻が式神を怖がったことから一条戻橋の下に封じ込めたと言われています。なお式神は橋を通る人を占い、橋占(はしうら)と言われたそうです。

【安倍晴明の霊力よって湧き出した晴明井-見どころ】

晴明井(せいめいのい)は千利休が茶の湯に使ったと言われています。晴明井は二の鳥居をくぐった右側にあります。晴明井は安倍晴明の霊力よって湧き出し、無病息災のご利益があると言われています。晴明井は一時期涸れたが、現在は飲むことができるそうです。なお晴明井は堀川通七不思議のひとつに数えられています。

  • 行事:晴明井が湧き出る出口は立春の日にその年の縁起のよい恵方(方角)に向けられ、吉祥水(きっしょうすい)とされています。
  • 豆知識:晴明井は山城名泉に数えられ、千利休も茶の湯に使ったとも言われています。また関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)がお茶で飲んだとも言われているそうです。

【桔梗苑など境内に植えられている桔梗-見どころ】

桔梗(ききょう)は社紋・晴明桔梗のモチーフです。桔梗は桔梗苑など境内に約2,000株植えられ、例年6月中旬から見ごろを迎えます。なお晴明神社では桔梗の開花期間中に期間限定で、桔梗守が授与されるそうです。

【樹齢300年とも言われる御神木・楠-見どころ】

御神木・楠(くすのき)は樹齢300年とも言われています。なお楠は衣類などを保管する際、虫除けなどに使われる樟脳(しょうのう)の原料になったそうです。

【千宗守が奉納した千利休居士聚楽屋敷趾の石碑-見どころ】

晴明神社一帯は安倍晴明の屋敷があった場所だけでなく、千利休の屋敷があった場所でもありました。その為武者小路千家(むしゃのこうじ)家元・千宗守が石碑「千利休居士聚楽屋敷趾」を奉納しました。なお武者小路千家は表千家(おもとせんけ)・裏千家(うらせんけ)とともに三千家に数えられています。

【安倍晴明嵯峨墓所-見どころ】

安倍晴明嵯峨墓所(さがぼしょ)はかつて天龍寺(てんりゅうじ)の塔頭・寿寧院(じゅねいいん)の境内にあったとも言われています。寿寧院は貞治年間(1362年~1367年)に臨済宗(りんざいしゅう)の僧・龍湫周沢(りゅうしゅうしゅうたく)が創建しました。ちなみに安倍晴明は鴨川の治水祈念の為に五条橋近くに法城寺(ほうじょうじ)を創建し、1005年(寛弘2年)に亡くなると遺骸が埋葬されたとも言われています。なお安倍晴明の墓所には諸説があります。

【最も重要な祭儀とされる晴明祭(秋分の日)-見どころ】

晴明祭(例祭)は例年秋分の日に行われています。晴明祭は晴明神社で最も重要な祭儀とされています。晴明祭では神幸祭で少年鼓笛隊を先頭に鉾や神輿などが氏子地区などを巡行します。なお晴明祭の前夜の宵宮祭では迎え提灯のお練りや湯立神楽が奉納されます。

【晴明神社 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・晴明神社(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る