水路閣|歴史・疏水・建設費などを解説|南禅寺見所

南禅寺(Nanzen-ji Temple)

水路閣完全ガイド|歴史・疏水・建設費などを解説

水路閣は三門とともにテレビドラマなどのロケ地として有名です。水路閣は南禅寺境内の南東に位置し、境内を南北に横断する琵琶湖疏水の疏水分線にある水道橋です。水路閣は14連アーチ橋で、延長約93.1メートルです。水路閣は南禅寺の拝観エリア外にあります。(詳細下記参照)

南禅寺見どころ(水路閣・三門など)

【概要・概略|水路閣】

水路閣(すいろかく)は南禅寺(なんぜんじ)境内の南東に位置し、境内を南北に横断する琵琶湖疏水(びわこそすい)の疏水分線にある水道橋です。水路閣南側には南禅寺発祥の地と言われている南禅院(なんぜんいん)があります。疏水分線は当初、南禅院南側にトンネルを掘って水路を整備する予定だったが、南禅院にある亀山法皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))廟所の裏側を通ることから南禅寺が反対し、水路閣が建設されることになりました。水路閣は当初、亀山天皇陵前桟橋(さんばし)・南禅寺桟橋などとも言われたそうです。
●南禅寺は1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が営んだ離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった場所です。禅林寺殿の名称は永観堂とも言われる禅林寺に由来しています。南禅寺は1291年(正応4年)に亀山法皇(第90代・亀山天皇)が東福寺3世住持であった大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)を開山として離宮を寺院に改めたのが起源です。南禅寺は皇室発願の最初の禅寺になりました。
●南禅院は上の御所・下の御所からなる離宮・禅林寺殿の内、上の御所(上の宮)があった場所です。南禅院は1287年(弘安10年)に上の御所に持仏堂が建立されたのが起源です。

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【歴史・時代|水路閣】

水路閣を含む琵琶湖疏水(第1疏水・第2疏水・疏水分線)は京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち)が京都近代化政策の一環として計画し、1885年(明治18年)に着工し、1894年(明治27年)に完成しました。水路閣は1887年(明治20年)から約1年の歳月を掛け、1888年(明治21年)に完成しました。水路閣は1983年(昭和58年)7月に京都市の指定史跡、1996年(平成8年)6月に琵琶湖疏水の一部として国の史跡、2025年(令和7年)に国宝に指定されました。近代化産業遺産にも認定されています。
●琵琶湖疏水は当初、滋賀・京都・大阪を結ぶ水運が目的だったが、その後水力発電の増強・水道の新設が主要な役割になり、現在は水道水の確保が重要な役割になっています。
●北垣国道は1836年(天保7年)に鳥取藩郷士・北垣三郎左衛門の子として生まれました。1841年(天保12年)に儒学者・池田草庵の私塾で、漢学塾・青谿書院で学びました。江戸時代後期に澤宣嘉を主将とする尊皇攘夷派が挙兵した生野の変に参加して敗れ、京・江戸を経由して長州に潜伏しました。戊辰戦争では藩士に列せられ参戦しました。明治維新後に弾正台・高知県県令・徳島県県令などを歴任し、1881年(明治14年)に京都府知事に就任しました。京都府知事時代に京都商工会議所設立を認可し、琵琶湖疏水事業を計画・着手して殖産興業政策を進めました。

【構造・規模|水路閣】

琵琶湖疏水は滋賀県大津市から京都府の宇治川(うじがわ)までを流れる延長約20キロで、第1疏水・第2疏水・疏水分線があります。水路閣は第1疏水・第2疏水の合流点である蹴上(けあげ)から浄土寺橋(銀閣寺道交差点)までを流れる延長約3.3キロの疏水分線の中にあります。疏水分線の管理用道路は現在、哲学の道になっています。水路閣は14連アーチ橋で、延長約93.1メートル・幅約4.06メートル・水路幅約2.4メートルです。最も高い場所は地上約13メートルです。水路閣は赤煉瓦に一部石造の白いラインを付け、上部にロンバルディア帯を施す意匠が用いられています。
●水路閣はアーチ型橋脚の水道橋で、毎秒2トンの水が流れているそうです。琵琶湖疏水にはインクラインの線路は残されているが、水路閣は線路ではありません。水路閣は煉瓦造(れんがづくり)で、一部花崗岩(かこうがん)の石造です。
●水路閣を含む琵琶湖疏水の建設費は京都市の当時の予算の数倍とも、十数倍とも言われ、国の助成や京都府の予算でも足りず、市民への増税で賄われたそうです。なお1885年(明治18年)からの琵琶湖疏水の第1疏水などの建設に総額125万円の費用を要したそうです。

【設計・技術者|水路閣】

水路閣は工部大学(東京大学)を卒業したばかりの工学者で、土木技術者である田辺朔郎(たなべさくろう)が南禅寺などの景観に配慮して設計しました。水路閣はアーチが古代ローマに建築されたローマ水道が参考にされたと言われています。なお水路閣は1983年(昭和58年)7月1日に蹴上インクラインとともに「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定の史跡になりました。
●田辺朔郎は1861年(文久元年)に幕臣・田辺孫次郎の長男として生まれました。生後間もなく父が亡くなり、叔父・田辺太一が後見人になり、5歳から漢学・洋学を学びました。1871年(明治4年)に共慣義塾で英語・数学・漢学を学び、1875年(明治8年)に工学寮付属小学校に転校し、1877年(明治10年)に工部大学に進んで土木工学を専攻しました。1883年(明治16年)に卒業と同時に京都府の御用掛に採用され、琵琶湖疏水の担当になりました。1890年(明治23年)の第1疏水完成後に帝国大学工科大学(東京大学)の教授に任命されて帰京し、その後内務省土木会委員・北海道庁鉄道部長・宮内省内匠寮御用掛・京都帝国大学工科大学長などを歴任しました。
●インクラインは琵琶湖疏水の中に設けられた傾斜鉄道のことです。琵琶湖疏水には蹴上インクラインと伏見インクラインがあります。蹴上インクラインは全長約581.8メートルで、世界最長のインクラインとも言われています。なお蹴上インクラインには使われなくなった線路が残されています。

【ロケ地|水路閣】

水路閣は南禅寺の境内で三門(重要文化財)とともにテレビドラマなどのロケ地に使用されています。水路閣は現在劇、三門は時代劇に多く使用されています。水路閣はサスペンスドラマで、事件の謎解きや犯人の告白などに多く使用されています。建設当時は景観を破壊するとして反対の声が多かったそうだが、完成から100年以上経って境内の景観に溶け込み、京都を代表するロケ地になりました。なお水路閣周辺には桜の木が植えられ、桜シーズンは普段と異なった美しいロケ地に変わります。
●テレビドラマなどの撮影に関し、京都市では京都市メディア支援センターを設置しています。
●水路閣は拝観エリア外にあり、拝観時間以外でも見たり、撮影したりすることができます。

【水路閣|南禅寺見所 備考】
*参考・・・南禅寺(見どころ・歴史・水路閣・・・)ホームページ

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