水路閣(歴史・桜・建設費・写真・・・)南禅寺見どころ
水路閣(歴史・桜・建設費・写真・・・)
水路閣を解説します。水路閣などの琵琶湖疏水(第1疏水・第2疏水・疏水分線)は1885年(明治18年)に着工し、1894年(明治27年)に完成しました。水路閣は1888年(明治21年)に完成しました。水路閣は桜との光景が美しいと言われています。(詳細下記参照)
【水路閣の概要・概略】
- 概要・概略:水路閣(すいろかく)は琵琶湖疏水の疏水分線にある水道橋です。琵琶湖疏水にはインクラインの線路は残されているが、水路閣は線路ではありません。琵琶湖疏水は滋賀県大津から京都府宇治川までを流れる長さ約20キロで、第1疏水・第2疏水・疏水分線があります。水路閣は第1疏水・第2疏水の合流点である蹴上(けあげ)から浄土寺橋(銀閣寺道交差点)までを流れる長さ約3.3キロの疏水分線の中にあります。疏水分線の管理用道路は現在、哲学の道になっています。水路閣は南禅寺の境内の南東にあり、境内を南北に縦断しています。水路閣の南側には南禅寺発祥の地と言われている南禅院(なんぜんいん)があります。なお疏水分線は当初、南禅院南側にトンネルを掘って水路を整備する予定だったが、南禅院にある亀山法皇(第90代・亀山天皇)廟所の裏側を通ることから南禅寺が反対し、水路閣が建設されることになりました。
- 名称:水路閣は当初、亀山天皇陵前桟橋(かめやまてんのうりょうまえさんばし)・南禅寺桟橋(なんぜんじさんばし)などとも言われたそうです。
- 南禅院:南禅院は亀山上皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう))の離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)の上の御所(上の宮)があった場所です。南禅院は鎌倉時代後期の1287年(弘安10年)に上の御所に持仏堂が建立されたのが起源です。
【水路閣と歴史・時代】
- 歴史・時代:水路閣などの琵琶湖疏水(第1疏水・第2疏水・疏水分線)は京都府知事・北垣国道(きたがきくにみち)が京都近代化政策の一環として計画し、1885年(明治18年)に着工し、1894年(明治27年)に完成しました。水路閣は1887年(明治20年)から約1年の歳月を掛け、1888年(明治21年)に完成しました。水路閣は1983年(昭和58年)7月に京都市の指定史跡、1996年(平成8年)6月に琵琶湖疏水の一部として国の史跡に指定されました。近代化産業遺産にも認定されています。
- 琵琶湖疏水:琵琶湖疏水は当初、滋賀・京都・大阪を結ぶ水運が目的だったが、その後水力発電の増強・水道の新設が主要な役割になり、現在は水道水の確保が重要な役割になっています。
- 北垣国道:北垣国道は1836年(天保7年)に鳥取藩郷士・北垣三郎左衛門の子として生まれました。1841年(天保12年)に儒学者・池田草庵の私塾で、漢学塾・青谿書院で学びました。幕末に澤宣嘉を主将とする尊皇攘夷派が挙兵した生野の変に参加して敗れ、京・江戸を経由して長州に潜伏しました。戊辰戦争ではに藩士に列せられ参戦しました。明治維新後に弾正台・高知県県令・徳島県県令などを歴任し、1881年(明治14年)に京都府知事に就任しました。京都府知事時代に京都商工会議所設立を認可し、琵琶湖疏水事業を計画・着手して殖産興業政策を進めました。
【水路閣の構造・長さ・高さ】
- 構造・長さ・高さ:水路閣はアーチ型橋脚の構造物で、毎秒2トンの水が流れているそうです。水路閣は延長約93.1メートル・幅約4.06メートル・水路幅約2.4メートルで、最も高い場所は地上約13メートルです。なお水路閣はアーチが古代ローマに建築されたローマ水道が参考にされたと言われています。
- 原材料:水路閣は花崗岩(かこうがん)と煉瓦造(れんがづくり)です。
【水路閣と設計技術者】
- 設計技術者:水路閣は工部大学(東京大学)を卒業したばかりの工学者で、土木技術者である田辺朔郎(たなべさくろう)が南禅寺などの景観に配慮して設計しました。なお水路閣は1983年(昭和58年)7月1日に蹴上インクラインとともに「疏水運河のうち水路閣及びインクライン」として京都市指定の史跡になりました。
- インクライン:インクラインは琵琶湖疏水の中に設けられた傾斜鉄道のことです。蹴上インクラインと伏見インクラインがあります。蹴上インクラインは全長約581.8メートルで、世界最長のインクラインとも言われています。なお蹴上インクラインには使われなくなった線路が残されています。
【水路閣の建設費(費用)】
- 建設費(費用):水路閣を含む琵琶湖疏水の建設費は京都市の当時の予算の数倍とも、十数倍とも言われ、国の助成や府の予算でも足りず、市民への増税で賄われたそうです。その為反対の一因になったとも言われています。
- 総費用:1885年(明治18年)からの琵琶湖疏水の第1疏水などの建設に総額125万円の費用を要したそうです。
【水路閣とロケ地】
- ロケ地:水路閣はテレビドラマ(サスペンスドラマ)のロケ地に使用され、事件の謎解きや犯人の告白などが行われたりします。ただ建設当時は景観を破壊するとして反対の声を多かったそうです。現在は完成から100年以上経ち、境内の景観に完全に溶け込んでいるとも言われているそうです。なお水路閣周辺には桜の木が植えられ、水路閣と桜の光景が美しいと言われています。
- 京都市メディア支援センター:テレビドラマなどの撮影に関し、京都市では京都市メディア支援センターを設置しています。
- アクセス:水路閣へのアクセスでは地下鉄東西線の蹴上駅や市バスの南禅寺・永観堂道バス停がおすすめです。水路閣は拝観エリア外にあり、拝観時間以外でも見たり、撮影したりすることができます。
【水路閣 備考】
*参考・・・南禅寺(見どころ・歴史・水路閣・・・)ホームページ