千本釈迦堂大根焚き・成道会法要2024年12月7日・8日(日程時間)
千本釈迦堂大根焚き・成道会法要
千本釈迦堂大根焚き・成道会法要(日程・時間・・・)を紹介しています。大根焚き・成道会法要は例年12月7日・8日に行われています。大根焚きは諸悪病を取り除き、健康増進を願う信徒によって継続され、参拝者に振舞われています。大根焚きでは直径約1メートルの大鍋で、輪切りの大根・油揚げをしょうゆ・昆布だしでじっくりと炊かれるそうです。(詳細下記参照)
【千本釈迦堂大根焚き・成道会法要2024 日程時間(要確認)】
千本釈迦堂大根焚き・成道会法要2024は2024年(令和6年)12月7日(土曜日)・8日(日曜日)10:00~16:00に行われます。(なくなり次第終了)過去のタイムテーブルは8日10:00から法要が行われます。(現在確認中・要注意)
●京都の寺社では大根焚きを行っている場所があります。(下記リンク参照)
京都大根焚き
【千本釈迦堂大根焚き・成道会法要 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町
最寄り駅・バス停・・・上七軒(徒歩約7分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から千本釈迦堂は50系統(B2乗り場)
*四条河原町からは51系統、203系統
*四条烏丸からは51系統、203系統
*河原町丸太町からは10系統
路線・時刻表・運賃チェック
【千本釈迦堂大根焚き・成道会法要 歴史・簡単概要】
千本釈迦堂大根焚き・成道会法要(だいこんだき・じょうどうえほうよう)はお釈迦様が35歳の時、ブッダガヤの菩提樹の下で悪魔の誘惑に負けず、12月8日の夜明け前に明星出現と同時に悟りを開いたことに因んで行われます。成道会法要は鎌倉時代に千本釈迦堂3世・慈禅上人(じぜんしょうにん)がお釈迦様の悟りの日を慶讃し、12月7日・8日に盛大、かつ荘厳に行ったのが起源です。大根焚きは成道会法要に4本の大根を縦半分に切り、大根の切り口にお釈迦様の種子(梵字)を書いて供え、悪魔除けとして他の大根と一緒に炊き上げ、信者などに振舞ったのが起源と言われています。大根焚きでは現在も大根に梵字を書き、加持・祈祷した後に調理しています。なお大根焚きには諸病除けのご利益があると言われています。
大根焚きは諸悪病を取り除き、健康増進を願う信徒によって継続され、参拝者に振舞われています。ちなみに大根焚きでは直径約1メートルの大鍋で、輪切りの大根・油揚げをしょうゆ・昆布だしでじっくりと炊かれるそうです。
成道会ではお釈迦様が悟りを開いたことを祝います。旧暦の12月は臘月(ろうづき)とも言われることから成道会は臘八会(ろうはちえ)とも言われます。なお成道会はお釈迦様が生まれたことを祝う灌仏会(かんぶつえ)とお釈迦様が亡くなり、遺徳を偲ぶ涅槃会(ねはんえ)とともに釈迦の三大法会とも言われています。
千本釈迦堂見どころ
【千本釈迦堂 歴史・簡単概要】
千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)・大報恩寺(だいほうおんじ)は1221年(承久3年)に奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡(ふじわらひでひら)の孫で、比叡山で修行した求法上人(ぐほうしょうにん)・義空(ぎくう)が公卿・藤原光隆(ふじわらのみつたか)の従者・岸高(がんこう)の寄進によって創建したと言われています。千本釈迦堂は第87代・四条天皇から倶舎(くしゃ)・天台・真言の三宗兼学を許され、1227年(安貞元年)には現在の本堂(国宝)が建立されました。本堂の建立では大工の棟梁・高次と自害した妻・おかめの伝説が残されています。その後1391年(明徳2年)の明徳の乱や応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火、そして火災などに見舞われたが、本堂だけは焼失を免れ、京洛最古の建造物として国宝に指定されました。江戸時代初期に京都所司代・板倉勝重(いたくらかつしげ)によって真言宗に改められ、智積院(ちしゃくいん)・正玄寿の隠居所になったと言われています。
千本釈迦堂は真言宗智山派の寺院です。
*参考・・・千本釈迦堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia
【千本釈迦堂大根焚き・成道会法要 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
大根焚き・成道会法要では手作り市も行われます。(要確認)
千本釈迦堂(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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