白峯神宮御火焚祭2024年11月23日(日程時間・・・)
白峯神宮御火焚祭
白峯神宮御火焚祭(日程・時間・・・)を紹介しています。御火焚祭は例年11月23日に行われています。御火焚祭では誓願成就・家内安全・除災招福など様々な願いが込められた願い串(護摩木)を焚き上げ、祈願成就を願います。なお御火焚祭が行われる11月23日には新嘗祭(日供講大祭・献茶式・潜龍大明神祭)も行われます。(要確認)(詳細下記参照)
【白峯神宮御火焚祭2024 日程時間(要確認)】
白峯神宮御火焚祭2024は2024年(令和6年)11月23日(土曜日)17:00から行われます。なお8:30から新嘗祭、10:00から日供講大祭・献茶式、14:00から潜龍大明神祭が行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・白峯神宮ホームページ
【白峯神宮御火焚祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市上京区今出川通り堀川東飛鳥井町261番地
最寄り駅・バス停・・・堀川今出川(徒歩約1分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から白峯神宮は9系統(B1乗り場)
*四条河原町からは12系統、51系統、59系統
*四条烏丸からは12系統、51系統、201系統
*河原町丸太町からは59系統
路線・時刻表・運賃チェック
*地下鉄烏丸線の場合、最寄り駅は今出川駅(徒歩約8分)
【白峯神宮御火焚祭 歴史・簡単概要】
白峯神宮御火焚祭(おひたきさい)では秋の収穫・五穀豊穣に感謝します。御火焚祭では舞殿西側に設けられた斎場で願い串(護摩木)が焚き上げられます。なお御火焚祭が行われる11月23日には新嘗祭(日供講大祭・献茶式・潜龍大明神祭)も行われます。
御火焚祭では先ず祓い清める修祓(しゅばつ)などの神事が行われます。その後忌火(いみび)によって護摩壇に点火し、誓願成就・家内安全・除災招福など様々な願いが込められた願い串を焚き上げ、祈願成就を願います。焚き上げ中は神職や氏子などが一緒に大祓祝詞を唱え、罪障消滅(ざいしょうしょうめつ)・万福招来(ばんぷくしょうらい)を祈ります。
御火焚祭は宮中で古くから行われている新嘗祭(にいなめさい)が起源とも言われています。新嘗祭では11月23日に天皇が五穀の新穀を全ての神々である天神地祇(てんじんちぎ)に供え、自らも食して収穫に感謝しました。新嘗祭は宮中三殿の近くの神嘉殿で行われていたそうです。新嘗祭は室町時代に民間にも広まり、竃(かまど)の神の祭り・火の神の祭りへと転化していたそうです。
大祓祝詞(大祓詞・おおはらえのことば)は奈良時代から祭祀の際に使われている祝詞(のりと)で、中臣祓詞(なかとみのはらえことば)・中臣祭文(なかとみさいもん)・中臣の祓(なかとみのはらえ)とも言いています。中臣氏(藤原氏)が奈良時代に朱雀門で奏上していたそうです。
白峯神宮見どころ
【白峯神宮 歴史・簡単概要】
白峯神宮(しらみねじんぐう)は藤原北家師実流(花山院家)の一つで、蹴鞠・和歌の宗家であった飛鳥井(あすかい)邸があった場所です。白峯神宮は1868年(明治元年)に第122代・明治天皇が父である第121代・孝明天皇の遺志を継承し、讃岐の白峯陵から第75代・崇徳天皇の霊を移して造営しました。崇徳上皇(崇徳天皇)は皇位継承問題や摂関家の内紛により、第77代・後白河天皇と対立した1156年(保元元年)の保元の乱に敗れて讃岐に配流され、二度と京都に戻ることなく1164年(長寛2年)に46歳で崩御しました。その後1874年(明治6年)に淡路島の淡路陵から第47代・淳仁天皇(廃帝・淡路廃帝)の霊を移して合祀しました。淳仁天皇は孝謙上皇(第46代・孝謙天皇及び第48代・称徳天皇)が寵愛する僧・弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を排除しようとし、孝謙上皇と対立した764年(天平宝字8年)の藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の乱で廃位されて淡路に配流され、765年(天平神護元年)に32歳で崩御しました。
*参考・・・京都・白峯神宮(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【白峯神宮御火焚祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
白峯神宮(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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