五山送り火と松野元敬の「扶桑京華志」

五山送り火と松野元敬の「扶桑京華志(ふそうきようかし)」

五山送り火は古くから行われていると言われているが、明確ではないことも多くあります。江戸時代以降に多くの文献などに記されるようになりました。左大文字は1665年(寛文5年)に松野元敬が刊行した「扶桑京華志」が初見と言われています。

【五山送り火 日程】
五山送り火は例年8月16日20:00から順次点火されます。なお五山送り火は原則雨天決行だが、気象条件によって点火時間が変更になる場合もあります。
五山送り火2024

【五山送り火 歴史・簡単概要】
五山送り火(ござんのおくりび)はお盆(おぼん・盂蘭盆(うらぼん))にあの世(冥府(めいふ))から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん)をあの世に送り返す仏教的行事です。五山送り火は宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」とも言われることがあります。五山送り火はいつ始まったかは明確ではありません。一説には多くの灯明を灯して仏神を供養する万灯会(まんどうえ)が山の山腹で行われるようになり、お盆の精霊の送り火(門火(かどび))になったとも言われています。

【五山送り火と松野元敬の「扶桑京華志(ふそうきようかし)」】
五山送り火は古くから行われていると言われているが、明確ではないことも多くあります。ただ五山送り火は江戸時代以降には多くの文献などに記されるようになりました。文献などには大文字・妙法・船形が多く記され、左大文字・鳥居形が少ないと言われています。左大文字は江戸時代前期の1665年(寛文5年)に松野元敬(まつのげんけい)が刊行した「扶桑京華志(ふそうきようかし)」が初見と言われています。「扶桑京華志」には「大文字、北山村の西山に火を以て大の字を燃やす。伝えるところ、これまた弘法の筆画なり。左大文字、京の町より北山をのぞんで左にあるところなり」と記され、左大文字の文字は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の筆とされ、洛中から北山を眺めて左側に位置し、名称の由来になったことが分かります。左大文字は「扶桑京華志」に記されているが、1658年(万治元年)に山本泰順(やまもとたいじゅん)が刊行した「洛陽名所集(らくようめいしょしゅう)」に記されておらず、1660年(万治3年)以降に始まったとも言われています。なお左大文字近くの金閣寺で住持を務めた鳳林承章(ほうりんじょうしょう)が記した「隔めい記(かくめいき)」1648年(慶安元年)7月17日の条に「当山の万灯籠を今夕行う。昨晩が大雨だったからである。明王に於いて六斎念仏が済み、不動に赴く。」と記され、万灯籠が左大文字を指すとも、左大文字の起源とも言われています。
「扶桑京華志」は1665年(寛文5年)に松野元敬が刊行しました。「扶桑京華志」には山城国(京都)の寺社・古跡や山岳・原野・森林・川沢・草木など森羅万象が記されている名所案内です。「扶桑京華志」は三巻三冊で、漢文体で記述されています。なお松野元敬にはあまり資料が残されていないようです。

【弘法大師・空海 五山送り火】
弘法大師・空海は774年(宝亀5年)に佐伯直田公と阿刀大足の妹の間に生まれました。誕生日は不詳だが、唐(中国)の高僧・不空三蔵(不空金剛)の生まれ変わりとされ、不空三蔵の入滅日・6月15日が誕生日とされています。789年(延暦8年)に母方の叔父・阿刀大足に論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に大学寮に入って学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、東大寺別当・勤操に南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐に渡り、青竜寺の恵果に密教を学び、遍照金剛の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺の創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)3月21日に高野山で亡くなりました。

【五山送り火と松野元敬の「扶桑京華志(ふそうきようかし)」 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
五山送り火スポット

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る