
東寺見どころの解説
東寺見どころを簡単にまとめてポイント解説します。見どころには江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建された最大のハイライトである五重塔(国宝)・貴重な金堂(国宝)・講堂(重文)・美しい瓢箪池などがあります。なお東寺見どころの解説では修学旅行・観光を満喫できるように文化財(国宝・重要文化財・名勝・史跡)を中心に解説しています。(個別解説下記参照)
【金堂の徹底解説-東寺】★修学旅行・観光
東寺で見逃せない、見るべき存在が金堂です。金堂は東寺の本堂で、創建時に最も早く建立された東寺のハイライトです。訪れた際には最初にお参りしましょう。貴重な金堂は東寺山内最大の建物で、いずれも3メートル近い薬師如来・日光菩薩・月光菩薩を安置しています。金堂は大きさに注目です。
- 見どころ概要・・・金堂(国宝)は東寺の本堂にあたります。金堂は本尊・薬師如来(やくしにょらい・七仏(しちぶつ)薬師如来)坐像と両脇侍(わきじ)像(日光菩薩(にっこうぼさつ)像・月光菩薩(がっこうぼさつ)像)を安置しています。
- 歴史・・・金堂は1603年(慶長8年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進により、豊臣家の直参家臣・片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として再建されました。ちなみに金堂は東寺の中で最も早く創建され、823年(弘仁14年)頃に完成したが、1486年(文明18年)に土一揆で焼失しました。
- 様式・・・金堂は宋(中国)の様式を取り入れた奈良・東大寺(とうだいじ)の大仏様(だいぶつよう・天竺様(てんじくよう))を受け継ぎ、和様(わよう)も取り入れています。金堂は一見、二階建てに見える一重裳階(もこし)付きで、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。金堂は正面・奥行が桁行(けたゆき)五間・梁間三間(はりま)です。金堂は東寺山内最大の建物です。
- 仏像・・・薬師如来は像高約288センチ、日光菩薩は像高約290センチ、月光菩薩は像高約289センチです。薬師如来は薬壺(やくこ)を持たず、光背(こうはい)に七体の化仏(けぶつ)を配し、台座に薬師如来と信仰する人々を守る十二神将(じゅうにしんしょう)がぐるりと並んでいます。なお薬師如来などの仏像は1602年(慶長7年)から1604年(慶長9年)に七条仏所慶派21代・康正(こうしょう)が造仏しました。
- 豆知識・・・金堂は関白・豊臣秀吉が建立した方広寺(ほうこうじ)・大仏殿を写して再建されたと言われ、「大仏殿写しの金堂」として東寺の七不思議に数えられています。
【五重塔の徹底解説-東寺】★修学旅行・観光
東寺で絶対に見逃せない、必ず見るべき存在が五重塔です。五重塔は東寺だけでなく、京都のシンボルにもなっている観光名所で、世界遺産・東寺の最大のハイライト・目玉です。五重塔は国内で一番高い五重塔で、ランドマークにもなっています。圧巻の五重塔は毎日夜間にライトアップが行われ、暗闇の中に浮かび上がった美しく、幻想的・神秘的な姿を見ることができます。五重塔はインスタ映えします。
- 見どころ概要・・・五重塔(国宝)は高さ約54.8メートルで、日本国内で最も高い木造塔(建築物)です。五重塔は真言密教(しんごんみっきょう)の教主・大日如来(だいにちにょらい)とする心柱(しんばしら)を中心に金剛界四仏像・八大菩薩像を安置しています。五重塔は初層内部に美しい極彩色で彩られた密教空間が広がり、四方の柱に金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)、四面の側柱に八大龍王(はちだいりゅうおう)、壁に真言八祖(しんごんはっそ)像も描かれています。なお五重塔には弘法大師・空海が唐(中国)から持ち帰ったお釈迦様(おしゃかさま)の遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)が納められたと言われています。なお五重塔では例年春に初層特別公開が行われ、普段見られない内部の密教空間を拝観できます。
- 歴史・・・五重塔は1644年(寛永21年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。ちなみに五重塔は826年(天長3年)から建立が始まり、その後落雷・不審火によって4度焼失しました。2018年(平成30年)9月に台風で被害を受け、2019年(令和元年)に被害を受けた瓦や破損していた屋根の四隅に吊られている風鐸(ふうたく)が補修されました。五重塔は再建以来、記録に残されているだけで近世に4回、近代も1883年(明治16年)・1885年(明治18年)・1908年(明治41年)・1960年(昭和35年)などに度々修理が行われています。
- 様式・・・五重塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。五重塔は心柱を使用した耐震構造になっています。
- 仏舎利・・・仏舎利は弘法大師・空海が中国長安・青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)から直接授けられ、80粒を持ち帰ったと言われています。1406年(応永13年)9月10日には室町幕府3代将軍・足利義満が8粒を貰い受けたことが「足利義満自筆仏舎利奉請状(東寺百合文書)」に記されています。
【大師堂の徹底解説-東寺】★修学旅行・観光
東寺で見逃せないのが大師堂です。大師堂は弘法大師・空海の住房が起源で、前堂に弘法大師坐像が安置され、弘法大師・空海を間近に感じることができます。大師堂では鎌倉時代前期から生身供が行われ、長い歴史に驚かされます。
- 見どころ概要・・・大師堂(国宝)は御影堂・不動堂とも言われています。大師堂は弘法大師・空海の住房だったが、1379年(天授5年・康暦元年)に焼失しました。大師堂は前堂・後堂・中門から構成され、前堂に弘法大師坐像(国宝)、後堂に弘法大師・空海の念持仏(ねんじぶつ)とされる秘仏・不動明王(ふどうみょうおう)坐像(国宝)を安置しています。
- 歴史・・・大師堂は後堂が1380年(天授6年・康暦2年)に再建され、前堂・中門が1390年(元中7年・明徳元年)に増築されました。2020年(令和2年)7月に檜皮葺の葺き替えや建具の漆塗り(うるしぬり)などが行われました。
- 様式・・・大師堂は屋根が入母屋造の檜皮葺(ひわだぶき)です。後堂は正面・奥行が桁行七間・梁間四間、前堂は正面・奥行が桁行四間・梁間五間、中門は正面・奥行が桁行二間・梁間一間です。
- 仏像木造・・・不動明王坐像は不動明王像として日本最古と言われ、秘仏として通常非公開です。弘法大師坐像は1233年(天福元年)に仏師・運慶(うんけい)の四男・康勝(こうしょう)が制作しました。
- 生身供・・・大師堂では弘法大師・空海の住房だった頃と同じように午前6時に一の膳・二の膳・お茶を備える生身供(しょうじんく)が行われています。生身供は鎌倉時代前期に後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))の第6皇女・宣陽門院(せんようもんいん)が創始しました。宣陽門院は荘園を東寺に寄進し、財政基盤を築きました。
【講堂の徹底解説-東寺】★修学旅行・観光
東寺で見逃せない、見るべき存在が講堂です。講堂は弘法大師・空海が構想した立体曼荼羅によって真言密教の世界観が表現された東寺のハイライトです。立体曼荼羅は言葉を失うような圧巻の存在で、チャンスがあれば、立体曼荼羅を拝観しましょう。
- 見どころ概要・・・講堂(重要文化財)は東寺の伽藍(東西南北約255メートル)のほぼ中心に建立されています。講堂は真言密教の教主・大日如来を中心とした密教尊(五智如来・五大菩薩・五大明王・四天王などの21尊)を安置しています。講堂では弘法大師・空海による立体曼荼羅(まんだら)である羯磨曼荼羅が視覚的に表現されています。なお講堂は東寺を賜った弘法大師・空海が最初に建立に着手した密教の中心伽藍です。講堂では2000年(平成12年)に須弥壇(しゅみだん)の下から薄い木を焼いた跡が発見され、弘法大師・空海が鎮壇(ちんだん)として護摩(ごま)を焚いたとも言われています。
- 歴史・・・講堂は1491年(延徳3年)に再建されました。講堂は礎石が講堂創建当初のものと言われています。ちなみに講堂は825年(天長2年)に着工され、839年(承和6年)に完成し、その後1486年(文明18年)に土一揆で焼失しました。
- 様式・・・講堂は屋根が入母屋造の本瓦葺です。講堂は正面・奥行が桁行九間・梁間四間です。
- 仏像・・・立体曼荼羅は大日如来・阿しゅく如来(あしゅくにょらい)・宝生如来(ほうしょうにょらい)・不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)・阿弥陀如来(あみだにょらい)・金剛波羅密多菩薩(こんごうはらみたぼさつ)・金剛薩た菩薩(こんごうさったぼさつ)・金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)・金剛業菩薩(こんごうごうぼさつ)・金剛法菩薩(こんごうほう)・不動明王・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・多聞天(たもんてん)・持国天(じこくてん)・広目天(こうもくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・梵天・帝釈天から構成されています。
【寺宝を収蔵した宝蔵の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・宝蔵(重要文化財)は弘法大師・空海が師で、真言八祖の第七祖・恵果(けいか)から授かり、唐(中国)から持ち帰った東寺の寺宝などを収蔵していました。宝蔵はかつて南北に2棟あり、宝物を収蔵していたが、南棟だけが残りました。宝蔵は火災に備え、塀で囲まれていました。
- 歴史・・・宝蔵は平安時代後期(1086年~1184年)に建立されたと言われています。宝蔵は山内最古の建築物と言われています。なお宝蔵には盗難の痕跡が残されているそうです。
- 様式・・・宝蔵は校倉造(あぜくらづくり)で、屋根が本瓦葺です。宝蔵は正面・奥行が桁行三間・梁間三間です。
- 豆知識・・・宝蔵は床板が金堂の扉とも、羅城門(らじょうもん)の扉とも言われています。宝蔵は東寺の七不思議に数えられています。
【灌頂院・閼伽井の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・灌頂院(重要文化財)は東寺境内の南西隅に位置しています。灌頂院は密教の奥義を弟子に伝える儀式・伝法灌頂(でんぼうかんじょう)などに使用されています。また灌頂院では弘法大師・空海が835年(承和2年)に宮中真言院で始め、真言宗最高の密教儀式・後七日御修法(ごしちにちみしほ)も行われています。なお灌頂院には仏像は安置されていません。
- 歴史・・・灌頂院は1585年(天正13年)に伏見大地震によって損壊し、1629年(寛永6年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光が改築しました。
- 様式・・・灌頂院は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺です。灌頂院は正面・奥行が桁行七間・梁間七間です。なお灌頂院は床が石畳になっており、土足厳禁です。
【蓮花門の簡単解説-東寺】★修学旅行・観光
東寺で見逃せないのが蓮花門です。東寺では伽藍を囲むように門が建立され、蓮花門が歴史や伝承から門の中で一番のハイライトです。時間のある方は東寺の周りを散策しましょう。
- 見どころ概要・・・蓮花門(国宝)には弘法大師・空海が和歌山・高野山(こうやさん)に向かう際、大師堂の不動明王が蓮花門で見送ったという伝承が残っています。不動明王の足下や歩んできた跡に蓮花が咲いたと言われ、蓮花門の名称の由来になっています。
- 歴史・・・蓮花門は1191年(建久2年)に上皇に仕える北面の武士だった文覚上人(もんがくしょうにん・遠藤盛遠(えんどうもりとお))が再建しました。蓮花門は山内最古の門で、宝蔵に次いで古い建物と言われています。
- 様式・・・蓮花門は三間一戸(さんげんいっこ)の八脚門(はっきゃくもん)です。蓮花門は屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。
【出入口である慶賀門の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・慶賀門(重要文化財)は東側の大宮通(おおみやどおり)に面し、東寺の主要な出入口になっています。ただ東寺の正門は南大門です。
- 歴史・・・慶賀門は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に建立されました。
- 様式・・・慶賀門は慶賀門は三間一戸の八脚門です。慶賀門は屋根が切妻造の本瓦葺です。
【北総門・北大門の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・北総門(重要文化財)は北側の八条通(はちじょうどおり)に面し、いずれも東寺の塔頭(たちゅう)である観智院(かんちいん)・宝菩提院(ほうぼだいいん)に繋がっています。北大門(重要文化財)は北総門から境内に入る際に通る門です。北総門から北大門まで続く参道は櫛笥小路(くしげこうじ)と言われています。
- 北総門・・・北総門は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に建立されました。北総門は四脚門(しきゃくもん)です。北総門は切妻造の本瓦葺です。
- 北大門・・・北大門は1601年(慶長6年)頃に建立されました。北大門は三間一戸の八脚門です。北大門は切妻造の本瓦葺です。
【東大門(不開門)の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・東大門(重要文化財)は慶賀門と同様に大宮通に面しています。東大門は南北朝時代に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が新田義貞(にったよしさだ)に攻められた際、門を閉めて難を逃れたことから不開門(あかずのもん)と言われています。東大門は東寺の七不思議に数えられています。
- 歴史・・・東大門は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に文覚上人(遠藤盛遠)が再建し、1605年(慶長10年)に豊臣秀頼が補修したと言われています。
- 様式・・・東大門は三間一戸の八脚門です。東大門は屋根が切妻造の本瓦葺です。
【南大門の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・南大門(重要文化財)は東寺の正門です。南大門は幅約18メートル・高さ約13メートルで、山内最大の門です。
- 歴史・・・南大門は1601年(慶長6年)に三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の西大門として建立され、1895年(明治28年)に京都国立博物館が建設された際に三十三間堂から東寺に移されました。ちなみに東寺の南大門は1868年(明治元年)に焼失しました。
- 様式・・・南大門は三間一戸の八脚門です。南大門は屋根が切妻造の本瓦葺です。
【灌頂院北門・東門の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・灌頂院北門・東門(重要文化財)は灌頂院に建立されている門です。
- 歴史・・・灌頂院北門・東門は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に建立されました。
- 様式・・・灌頂院北門・東門は四脚門です。灌頂院北門・東門は屋根が切妻造の本瓦葺です。
【食堂・納経所の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・食堂(じきどう)は講堂の北側に建立されています。食堂は彫刻家・明珍恒男(みょうちんつねお)作の本尊・十一面観音像(じゅういちめんかんのん)を安置しています。食堂には納経所があり、四国八十八ヶ所巡礼・洛陽三十三所観音霊場などの納経所になっています。食堂では御朱印も授与しています。
- 歴史・・・食堂は1934年(昭和9年)に再建されました。ちなみに食堂は平安時代に建立されたと言われています。その後1596年(文禄5年)に地震で倒壊し、1800年(寛政12年)から再建されたが、1930年(昭和5年)に火災で焼失しました。なお食堂は本尊・千手観音(せんじゅかんのん)立像・四天王(してんのう)像を安置し、観音堂とも言われていたが、1930年(昭和5年)の火災で千手観音立像・四天王像も焼損しました。
【御所となった小子房の簡単解説-東寺】
- 見どころ概要・・・小子房(しょうしぼう)は灌頂院の北側にあります。小子房は天皇を迎える特別な場所とされ、勅使(ちょくし)の間・鷲(わし)の間などがあります。なお小子房は南北朝時代に光厳上皇(北朝初代・光厳天皇(こうごんてんのう))が御所としました。
- 歴史・・・小子房は1934年(昭和9年)の弘法大師・空海の千百年御遠忌(ごおんき)に再建されました。
- 様式・・・小子房は総檜造(そうひのきづくり)です。
【瓢箪池の簡単解説-東寺】★修学旅行・観光
東寺で見逃せないのが瓢箪池です。瓢箪池は五重塔とのコラボにより、美しい絶景を作り出します。瓢箪池の水鏡に映し出された逆さ五重塔が美しいと言われています。桜・紅葉シーズンのライトアップでは幻想的・神秘的な情景を見ることができます。
- 見どころ概要・・・瓢箪池(ひょうたんいけ)は五重塔の北側にあります。瓢箪池は池を中心に池泉回遊式庭園になっています。瓢箪池には蓮(ハス)が分布し、例年初夏から見ごろを迎えまます。
- 歴史・・・瓢箪池は安政年間(1855年~1860年)に大地震によって五重塔が傾いた際、池を掘って五重塔を安定させたとも言われています。瓢箪池は東寺の七不思議に数えられています。
●上記以外の見どころは下記リンクから確認することができます。
東寺見どころ(大日堂・毘沙門堂など)
【東寺見どころ 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・東寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ