東寺の見どころ簡単解説-修学旅行・観光の豆知識

東寺見どころ(To-ji Temple) 

東寺の見どころは金堂・五重塔・大師堂・講堂・立体曼荼羅・宝蔵などです。

東寺の見どころを簡単にまとめて解説します。文化財・見どころには本尊を安置する金堂(国宝)、高さ約54.8メートルで、シンボルである五重塔(国宝)、空海が構想した立体曼荼羅がある講堂(重要文化財)などがあります。大師堂・宝蔵等も見逃せません。なお文化財・見どころの概要・歴史・様式・豆知識などを解説しています。

【東寺の歴史・簡単概要】

八幡山・東寺は教王護国寺とも言われています。東寺は796年(延暦15年)に第50代・桓武天皇の発願により、西寺とともに国家鎮護の官寺として、都の入口である羅城門の東に創建されました。その後823年(弘仁14年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海が第52代・嵯峨天皇から賜り、真言密教の根本道場になりました。825年(天長2年)に講堂の建立が許され、826年(天長3年)に五重塔の造営を勧請し、828年(天長5年)に日本最初の私立学校・綜芸種智院が創立されました。

【本尊・薬師如来坐像を祀り、本堂である金堂(国宝)】

  • 金堂の概要:金堂は修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。金堂は東寺の本堂で、3メートル近い薬師如来・日光菩薩・月光菩薩を安置しています。金堂は本尊・薬師如来(やくしにょらい)坐像(重要文化財)と脇侍の日光菩薩(にっこうぼさつ)像(重要文化財)・月光菩薩(がっこうぼさつ)像(重要文化財)を安置しています。
  • 金堂の歴史:金堂は1603年(慶長8年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進により、豊臣家の直参家臣・片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として再建されました。ちなみに金堂は東寺の中で最も早く創建され、823年(弘仁14年)頃に完成したが、1486年(文明18年)に土一揆で焼失しました。金堂は歴史的価値があります。
  • 金堂の様式:金堂は宋(中国)の様式を取り入れた奈良・東大寺(とうだいじ)の大仏様(だいぶつよう・天竺様(てんじくよう))を受け継ぎ、和様(わよう)も取り入れています。金堂は一見、二階建てに見える一重裳階(もこし)付きで、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の本瓦葺(ほんがわらぶき)です。金堂は桁行(けたゆき)五間・梁間三間(はりま)です。金堂は山内最大の建物です。
  • 金堂の仏像:薬師如来は像高約288センチ、日光菩薩は像高約290センチ、月光菩薩は像高約289センチです。薬師如来は薬壺(やくこ)を持たず、光背(こうはい)に七体の化仏(けぶつ)を配し、台座に薬師如来と信仰する人々を守る十二神将(じゅうにしんしょう)がぐるりと並んでいます。なお薬師如来などの仏像は1602年(慶長7年)から1604年(慶長9年)に七条仏所慶派21代・康正(こうしょう)が造仏しました。
  • 金堂の豆知識:金堂は関白・豊臣秀吉が建立した方広寺(ほうこうじ)・大仏殿を写して再建されたと言われ、「大仏殿写しの金堂」として七不思議に数えられています。
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【高さ約54.8メートルで、シンボル・ランドマークの五重塔(国宝)】

  • 五重塔の概要:五重塔は修学旅行・観光で絶対に見る価値がある文化財です。五重塔は高さ約54.8メートルで、東寺のシンボル・ランドマークです。国内で最も高い木造塔(建築物)と言われています。五重塔は真言密教(しんごんみっきょう)の教主・大日如来(だいにちにょらい)とする心柱(しんばしら)を中心に金剛界四仏(こんごうかいしぶつ)像・八大菩薩(はちだいぼさつ)像を安置しています。五重塔は初層内部に美しい極彩色で彩られた密教空間が広がり、四方の柱に金剛界曼荼羅(まんだら)、四面の側柱に八大龍王(はちだいりゅうおう)、壁に真言八祖(しんごんはっそ)像も描かれています。なお五重塔には弘法大師・空海が唐(中国)から持ち帰ったお釈迦様(おしゃかさま)の遺骨・仏舎利(ぶっしゃり)が納められたと言われています。なお五重塔では例年春に初層特別公開が行われ、普段見られない内部の密教空間を拝観できます。
  • 五重塔の歴史:五重塔は1644年(寛永21年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。ちなみに五重塔は826年(天長3年)から建立が始まり、その後落雷・不審火によって4度焼失しました。2018年(平成30年)9月に台風で被害を受け、2019年(令和元年)に被害を受けた瓦や破損していた屋根の四隅に吊られている風鐸(ふうたく)が補修されました。五重塔は再建以来、記録に残されているだけで近世に4回、近代も1883年(明治16年)・1885年(明治18年)・1908年(明治41年)・1960年(昭和35年)などに度々修理が行われています。
  • 五重塔の様式:五重塔は三間五重塔婆(さんげんごじゅうとうば)で、屋根が本瓦葺です。五重塔は心柱を使用した耐震構造になっています。
  • 五重塔の仏舎利:仏舎利は弘法大師・空海が中国長安・青竜寺(せいりゅうじ)の恵果(えか)から直接授けられ、80粒を持ち帰ったと言われています。1406年(応永13年)9月10日には室町幕府3代将軍・足利義満が8粒を貰い受けたことが「足利義満自筆仏舎利奉請状(東寺百合文書)」に記されています。
  • 五重塔の仏像:五重塔は東面に阿しゅく如来(あしゅくにょらい)・弥勒菩薩(みろくぼさつ)・金剛蔵菩薩(こんごうぞうぼさつ)、西面に阿弥陀如来(あみだにょらい)・文殊菩薩(もんじゅぼさつ)・観音菩薩(かんのんぼさつ)、南面に宝生如来(ほうしょうにょらい)・除蓋障菩薩(じょがいしょうぼさつ)・虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)、北面に不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)・普賢菩薩(ふげんぼさつ)・地蔵菩薩(じぞうぼさつ)を安置しています。
  • 五重塔のライトアップ:五重塔は通年で夜間にライトアップされ、昼間だけでなく、夜間も幻想的な姿を眺めることができます。東寺では桜・紅葉シーズンにライトアップを行っています。

【弘法大師坐像を前堂に祀る大師堂(国宝)】

  • 大師堂の概要:大師堂は修学旅行・観光で見逃せない文化財です。大師堂は御影堂・不動堂とも言われています。大師堂は弘法大師・空海の住房が起源で、前堂に弘法大師坐像(国宝)が安置されています。大師堂は弘法大師・空海の住房だったが、1379年(天授5年・康暦元年)に焼失しました。大師堂は前堂・後堂・中門から構成され、前堂に弘法大師坐像、後堂に弘法大師・空海の念持仏(ねんじぶつ)とされる秘仏・不動明王(ふどうみょうおう)坐像(国宝)を安置しています。
  • 大師堂の歴史:大師堂は後堂が1380年(天授6年・康暦2年)に再建され、前堂・中門が1390年(元中7年・明徳元年)に増築されました。2020年(令和2年)7月に檜皮葺の葺き替えや建具の漆塗り(うるしぬり)などが行われました。
  • 大師堂の様式:大師堂は屋根が入母屋造の檜皮葺(ひわだぶき)です。大師堂の正面・奥行は後堂が桁行七間・梁間四間、前堂が桁行四間・梁間五間、中門が桁行二間・梁間一間です。
  • 大師堂の仏像木造:不動明王坐像は不動明王像として日本最古と言われ、秘仏として通常非公開です。弘法大師坐像は1233年(天福元年)に仏師・運慶(うんけい)の四男・康勝(こうしょう)が制作しました。
  • 大師堂の生身供:大師堂では弘法大師・空海の住房だった頃と同じように午前6時に一の膳・二の膳・お茶を備える生身供(しょうじんく)が行われています。生身供は鎌倉時代(1185年~1333年)前期に後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))の第6皇女・宣陽門院(せんようもんいん)が創始しました。宣陽門院は荘園を東寺に寄進し、財政基盤を築きました。

【弘法大師・空海が構想した立体曼荼羅がある講堂(重要文化財)】

  • 講堂の概要:講堂は五重塔に次ぎ、修学旅行・観光で見る価値がある文化財です。講堂は弘法大師・空海が最初に建立に着手した密教の中心伽藍です。講堂は真言密教の教主・大日如来を中心とした密教尊(五智如来(ごちにょらい)像・五大菩薩(ごだいぼさつ)像・五大明王(ごだいみょうおう)像・四天王(してんのう)像・梵天(ぼんてん)像・帝釈天(たいしゃくてん)像)を安置しています。弘法大師・空海が構想した立体曼荼羅(まんだら・羯磨(かつま) 曼荼羅))により、真言密教(東密)の世界観が視覚的に表現されています。
  • 講堂の歴史:講堂は1491年(延徳3年)に再建されました。講堂は礎石が講堂創建当初のものと言われています。ちなみに講堂は825年(天長2年)に着工され、839年(承和6年)に完成し、その後1486年(文明18年)に土一揆で焼失しました。
  • 講堂の様式:講堂は屋根が入母屋造の本瓦葺です。講堂は桁行九間・梁間四間です。講堂は伽藍(東西南北約255メートル)のほぼ中心に建立されています。
  • 講堂の仏像:立体曼荼羅は大日如来・阿しゅく如来・宝生如来・不空成就如来・阿弥陀如来・金剛波羅密多菩薩(こんごうはらみたぼさつ)・金剛薩た菩薩(こんごうさったぼさつ)・金剛宝菩薩(こんごうほうぼさつ)・金剛業菩薩(こんごうごうぼさつ)・金剛法菩薩(こんごうほう)・不動明王・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・多聞天(たもんてん)・持国天(じこくてん)・広目天(こうもくてん)・増長天(ぞうちょうてん)・梵天・帝釈天から構成されています。
  • 講堂の豆知識:講堂では2000年(平成12年)に須弥壇(しゅみだん)の下から薄い木を焼いた跡が発見され、弘法大師・空海が鎮壇(ちんだん)として護摩(ごま)を焚いたとも言われています。

【平安時代後期に建立され、山内最古の建物である宝蔵(重要文化財)】

  • 宝蔵の概要:宝蔵は掘割(蓮池)に囲まれています。宝蔵は弘法大師・空海が師で、真言八祖の第七祖・恵果(けいか)から授かり、唐(中国)から持ち帰った寺宝などを収蔵していました。宝蔵はかつて南北に2棟あり、宝物を収蔵していたが、南棟だけが残りました。宝蔵は火災に備え、塀で囲まれていました。
  • 宝蔵の歴史:宝蔵は平安時代(1086年~1184年)後期に建立されたと言われています。宝蔵は山内最古の建築物と言われています。なお宝蔵には盗難の痕跡が残されているそうです。
  • 宝蔵の様式:宝蔵は校倉造(あぜくらづくり)で、屋根が本瓦葺です。宝蔵は桁行三間・梁間三間です。
  • 宝蔵の豆知識:宝蔵は床板が金堂の扉とも、羅城門(らじょうもん)の扉とも言われています。宝蔵は七不思議に数えられています。

【密教の奥義を伝える伝法灌頂に使用される灌頂院(重要文化財)】

  • 灌頂院の概要:灌頂院(かんじょういん)には神秘的な閼伽井(あかい)があり、閼伽井は八坂神社の竜穴・神泉苑(しんせんえん)と地下で通じているとも言われています。灌頂院は密教の奥義を弟子に伝える儀式・伝法灌頂(でんぼうかんじょう)などに使用されています。また灌頂院では弘法大師・空海が835年(承和2年)に宮中真言院で始め、真言宗最高の密教儀式・後七日御修法(ごしちにちみしほ)も行われています。なお灌頂院には仏像は安置されていません。
  • 灌頂院の歴史:灌頂院は1585年(天正13年)に伏見大地震によって損壊し、1629年(寛永6年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光が改築しました。
  • 灌頂院の様式:灌頂院は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の本瓦葺です。灌頂院は桁行七間・梁間七間です。なお灌頂院は床が石畳になっており、土足厳禁です。
  • 灌頂院の門:北門・東門(重要文化財)は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に建立されました。北門・東門は四脚門で、屋根が切妻造の本瓦葺です。

【不動明王が高野山に向かう空海を見送った伝承が残る蓮花門(国宝)】

  • 蓮花門の概要:蓮花門には弘法大師・空海が和歌山・高野山(こうやさん)に向かう際、大師堂の不動明王が蓮花門で見送ったという伝承が残っています。不動明王の足下や歩んできた跡に美しい蓮花が咲いたと言われ、蓮花門の名称の由来になっています。
  • 蓮花門の歴史:蓮花門は1191年(建久2年)に上皇に仕える北面の武士だった文覚上人(もんがくしょうにん・遠藤盛遠(えんどうもりとお))が再建しました。蓮花門は東寺山内最古の門で、宝蔵に次いで古い建物と言われています。
  • 蓮花門の様式:蓮花門は三間一戸(さんげんいっこ)の八脚門(はっきゃくもん)です。蓮花門は屋根が切妻造(きりづまづくり)の本瓦葺です。

【修学旅行生・観光客の入口になっている慶賀門(重要文化財)】

  • 慶賀門の概要:慶賀門は東側の大宮通(おおみやどおり)に面し、主要な出入口になっています。ただ正門は南大門です。
  • 慶賀門の歴史:慶賀門は鎌倉時代前期(1185年~1274年)に建立されました。慶賀門はかつて勅使(ちょくし)が使用していたと言われています。
  • 慶賀門の様式:慶賀門は慶賀門は三間一戸の八脚門です。慶賀門は屋根が切妻造の本瓦葺です。

【三十三間堂から移築された南大門(重要文化財)】

  • 南大門の概要:南大門は東寺の正門です。南大門は幅約18メートル・高さ約13メートルで、山内最大の門です。南大門は八脚門として、国内最大級とも言われています。
  • 南大門の歴史:南大門は1601年(慶長6年)に三十三間堂(さんじゅうさんげんどう)の西大門として建立され、1895年(明治28年)に京都国立博物館が建設された際に三十三間堂から東寺に移されました。ちなみに東寺の南大門は1868年(明治元年)に焼失しました。
  • 南大門の様式:南大門は三間一戸の八脚門です。南大門は屋根が切妻造の本瓦葺です。

●上記以外は下記リンクから確認することができます。
東寺見どころ(大日堂・毘沙門堂など)

【東寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・東寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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