延暦寺の見どころ完全ガイド|根本中堂などの観光スポット解説

延暦寺の見どころまとめ|国宝・重要文化財とおすすめ観光スポット
延暦寺は世界遺産に登録された京都屈指の観光名所で、観光や修学旅行で絶対訪れたい人気スポットです。延暦寺には「不滅の法灯」が灯る根本中堂をはじめ、大日如来を祀る大講堂、比叡山焼き討ちを免れた瑠璃堂など多彩な見どころが揃っています。このページでは国宝・重要文化財やおすすめの観光スポットを分かりやすくまとめて解説し、歴史・建築様式なども交えて紹介します。
【根本中堂(国宝)の見どころ解説|延暦寺最大の見どころ】
根本中堂は延暦寺観光で最も有名な見どころで、必ず訪れるべき定番スポットです。根本中堂には1,200年以上灯し続けられてきた3つの釣灯篭「不滅の法灯(ふめつのほうとう)」があり、歴史的価値があります。根本中堂は幅約37.6メートル・奥行約23.9メートル・高さ約24.2メートルの圧倒的なスケールで、延暦寺の中で一番写真・SNS映えします。根本中堂は延暦寺の総本堂で、中央の厨子(ずし)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)作と言われる本尊(秘仏)・薬師如来(やくしにょらい)立像を安置し、厳粛な雰囲気に包まれています。薬師如来は伝教大師・最澄が北谷虚空蔵尾の霊木を一刀三礼で刻んだと言われ、延暦寺を訪れた際に最初にお参りしたい仏様です。なお中陣中央に玉座があり、その上に昭和天皇(しょうわてんのう)宸筆の勅額「伝教」が掛けられ、延暦寺の格式を伝えています。
★根本中堂は788年(延暦7年)に伝教大師・最澄が創建した一乗止観院(いちじょうしかんいん)の後身です。その後1571年(元亀2年)に織田信長による比叡山焼き討ちで焼失しました。現在の根本中堂は1642年(寛永19年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が再建しました。
★根本中堂は土間の内陣と外陣に分かれ、内陣が外陣よりも3メートルも低い独特の構造になっています。屋根は入母屋造(いりもやづくり)の瓦棒(かわらぼう)銅板葺(どうはんぶき)です。
★「不滅の法灯」は788年(延暦7年)から灯されているのが豆知識です。ただ比叡山焼き討ちで一時途絶え、山寺(やまでら)と言われる山形・立石寺(りっしゃくじ)に分灯されていたものから再び灯されました。立石寺の分灯は1521年(大永元年)の里見氏流天童氏16代・天童頼長(てんどうよりなが)の焼き討ちで途絶えたが、1543年(天文12年)の立石寺再建の際に延暦寺から再び分灯されたものです。
【大講堂(重要文化財)の見どころ解説|延暦寺の根本道場】
大講堂は延暦寺の学問研鑽の根本道場です。大講堂は本尊・大日如来(だいにちにょらい)坐像を安置し、日蓮宗の宗祖・日蓮、曹洞宗の宗祖・道元、臨済宗の宗祖・栄西、天台寺門宗の宗祖・円珍、浄土宗の宗祖・法然、浄土真宗の宗祖・親鸞、融通念仏宗の宗祖・良忍、天台真盛宗の宗祖・真盛、時宗の宗祖・一遍の像も安置し、厳かな空間になっています。各宗派の宗祖は比叡山で修行し、延暦寺が日本の仏教界に与えた影響力を感じることができ、仏教史に触れたい方に最適の見どころです。なお外陣に仏教の開祖・釈迦(しゃか)や仏教・天台宗ゆかりの僧の肖像画(しょうぞうが)も掛けられています。
★大講堂は1634年(寛永11年)に坂本・東照宮(とうしょうぐう)の讃仏堂(さんぶつどう)として建立され、1964年(昭和39年)に移築されました。
★大講堂は入母屋造の銅板葺です。
【大乗戒壇院堂(重要文化財)の見どころ解説|延暦寺の僧侶育成】
大乗戒壇院堂は延暦寺独自の僧侶育成に重要だった堂宇です。大乗戒壇院堂は内部に石造りの戒壇(かいだん)があり、大乗仏教(だいじょうぶっきょう)の菩薩(ぼさつ)が守るべき大乗戒の授戒(じゅかい)の儀式が行われました。大乗戒壇院堂は1987年(昭和62年)に仏師・西村公朝が造仏した本尊・釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)像を安置しています。
★822年(弘仁13年)6月4日に伝教大師・最澄が亡くなり、その死後7日目に大乗戒壇の設立が許可されました。国家公認の僧侶になる儀式を行う戒壇は奈良の東大寺・筑紫の観世音寺・下野の薬師寺しかなく、延暦寺が宗教的権威を得ました。現在の大乗戒壇院堂は1678年(延宝6年)に再建されました。
★大乗戒壇院堂は宝形造(ほうぎょうづくり)のとち葺(とちぶき)で、一重もこし(裳階)付きです。
【文殊楼(重要文化財)の見どころ解説|延暦寺の山門】
文殊楼は根本中堂の真東に位置する延暦寺の山門で、訪れたいスポットです。文殊楼は二階建ての門で、二階に文殊菩薩(もんじゅぼさつ)像を安置しています。鐘楼は世界各国から寄せられたコイン・メダルで鋳造され、国連平和の鐘と言われる平和祈念の象徴になっています。
★文殊楼は慈覚大師・円仁が中国・五台山(ごだいさん)の文殊菩薩堂に倣って建立したと言われています。その後1668年(寛文8年)に焼失しました。現在の文殊楼は1668年(寛文8年)に再建されました。
★文殊楼は重層の楼閣で、屋根が入母屋造(いりもやづくり)の銅板葺です。
【瑠璃堂(重要文化財)の見どころ解説|比叡山焼き討ち】
西塔・瑠璃堂は延暦寺で珍しい禅宗様(ぜんしゅうよう・唐様(からよう))です。瑠璃堂は1571年(元亀2年)の比叡山焼き討ちで唯一焼失を免れたと言われ、貴重な歴史的価値があります。
★瑠璃堂は室町時代後期(1467年~1572年)に建立されました。
★瑠璃堂は入母屋造の檜皮葺(ひわだぶき)です。
【阿弥陀堂の鐘楼(重要文化財)・阿弥陀堂・法華総持院東塔の見どころ解説】
東塔には重要文化財に指定されている阿弥陀堂の鐘楼や阿弥陀堂・法華総持院東塔などもあります。
★阿弥陀堂の鐘楼は讃仏堂の鐘楼だったが、1963年(昭和38年)に讃仏堂が大講堂跡に移され、鐘楼は阿弥陀堂の前に移されました。阿弥陀堂の鐘楼は1634年(寛永11年)に建立されました。阿弥陀堂の鐘楼は切妻造(きりづまづくり)の銅板葺です。丹塗り(にぬり)だが、蟇股(かえるまた)・笈形(おいがた)は美しい極彩色です。
★阿弥陀堂は本尊・丈六の阿弥陀如来坐像を安置しています。阿弥陀堂は檀信徒の先祖回向(えこう)の道場で、参拝者が施主になって日々回向が行われています。阿弥陀堂は1937年(昭和12年)に比叡山開創1,150年大法要を記念して建立されました。長きにわたる信仰の歴史を感じられます。
★法華総持院東塔(ほっけそうじいんとうとう)は下層に胎蔵界(たいぞうかい)大日如来坐像を安置し、上層に仏舎利(ぶっしゃり)と法華経(ほけきょう)を安置しています。法華総持院東塔は1980年(昭和55年)に阿弥陀堂の横に再建されました。法華総持院東塔は伝教大師・最澄が全国6ヶ所に宝塔を建て、日本を護ることを計画したことに由来しています。
【転法輪堂・常行堂・法華堂(重要文化財)の見どころ解説】
西塔にはいずれも重要文化財に指定されている転法輪堂・常行堂・法華堂などがあります。
★転法輪堂は西塔の中心堂宇で、延暦寺最古の建物と言われ、訪れたいスポットです。転法輪堂は釈迦如来(しゃかにょらい)立像(重要文化財)を安置し、釈迦堂と言われています。転法輪堂は1347年(正平2年・貞和3年)に三井寺(みいでら・園城寺(おんじょうじ))の金堂(こんどう)として建立され、1595年(文禄4年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が無理やり移したと言われています。比叡山焼き討ち後の延暦寺と豊臣秀吉の歴史的関係を知ることができる見どころです。転法輪堂は入母屋造のとち葺(とちぶき)・形銅板葺です。
★常行堂・法華堂は同じ形をしており、両者を繋ぐ渡り廊下があり、天秤棒(てんびんぼう)に似ているところから「にない堂(担い堂)」と言われています。源義経(みなもとのよしつね)の郎党・武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)が渡り廊下に肩を入れて担ったという伝説が残され、歴史ロマンを感じられる見どころです。常行堂は阿弥陀如来(あみだにょらい)、法華堂は普賢菩薩(ふげんぼさつ)を本尊として安置しています。常行堂・法華堂は1595年(文禄4年)に建立されました。常行堂・法華堂は宝形造のとち葺です。
【四季講堂(重要文化財)の見どころ解説】
横川・四季講堂は967年(康保4年)に村上天皇(むらかみてんのう)の勅命により、四季に「法華経(ほけきょう)」が論議されたことから四季講堂と言われるようになりました。延暦寺の格式を知ることができる見どころです。また四季講堂は第18代天台座主で、元三大師(がんざんだいし)と言われる慈恵大師(じえだいし)・良源(りょうげん)の住居跡と言われ、元三大師堂と言われています。慈恵大師・良源が現代のおみくじの形を考えたと言われ、おみくじ発祥の地と言われています。また護符発祥の地でもあります。
★四季講堂は1652年(承応元年)に建立されました。
★四季講堂は入母屋造の瓦棒銅板葺です。
●上記以外は下記リンクから確認することができます。
延暦寺見どころ(国宝殿・紅葉など)
【延暦寺の見どころ 備考(参考リンク・・・)】
●住所:滋賀県大津市坂本本町4220
●アクセス:東塔はバスの「延暦寺バスセンター」下車
*参考・・・延暦寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

















