龍安寺の見どころ簡単解説2-修学旅行・観光の豆知識
龍安寺の見どころは山門・龍安寺垣・侘助椿・西の庭・「太平記」・妙心寺など
龍安寺の見どころを簡単にマトメて解説します。見どころには出入口である山門、独特の龍安寺垣、関白・豊臣秀吉が賞賛したとも言われる侘助椿、桜、紅葉、回遊式庭園である西の庭、「太平記」、妙心寺などがあります。(個別解説下記参照)
●石庭(特別名勝・史跡)・庭園(名勝・蹲踞)などの龍安寺見どころは下記リンクから確認することができます。
龍安寺見どころ(石庭・方丈など)
【龍安寺の歴史・簡単概要】
大雲山・龍安寺(りょうあんじ)は平安時代中期の984年(永観元年)に創建され、四円寺(しえんじ(円教寺・円乗寺・円宗寺))に数えられた第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の御願寺(ごがんじ)・円融寺(えんゆうじ)があった場所です。その後左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし)が山荘を営み、徳大寺(とくだいじ)を建立しました。龍安寺は1450年(宝徳2年)に室町幕府管領(かんれい)・細川勝元(ほそかわかつもと)が権大納言(ごんだいなごん)・徳大寺公有(とくだいじきんあり)から山荘を譲り受け、妙心寺(みょうしんじ)第5世・義天玄詔(ぎてんげんしょう)を開山、玄詔の師である妙心寺第4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山として創建しました。
龍安寺歴史(起源・・・)
【出入口である山門】
- 概要:山門は竜安寺前の交差点近くで、鏡容池の手前に建立されています。山門は天龍寺の出入口です。
- 歴史:山門は1755年(宝暦5年)に洪水によって破損し、その後江戸時代中期に再建されました。
- 様式:山門は屋根が切妻造(きりづまづくり)です。
【竹垣の一種である龍安寺垣】
- 概要:龍安寺垣は参道にある竹垣です。龍安寺垣は割り竹を菱型(ひしがた)に組み合わせています。なお龍安寺垣は竹垣の高さが低いのが特徴です。
【関白・豊臣秀吉が賞賛したとも言われる侘助椿】
- 概要:侘助椿(わびすけつばき)は方丈の東庭にある竹垣の横に植えられています。侘助椿は樹齢400年以上で、日本最古とも言われています。侘助椿は例年3月上旬から4月上旬に見ごろを迎えます。
- 歴史:侘助椿は関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が賞賛したとも言われています。
【春の桜・見ごろ】
- 概要:龍安寺は紅葉だけでなく、桜の名所です。山内に染井吉野・枝垂桜など約400本の桜が植えられ、例年4月上旬頃に見ごろを迎えます。桜は石庭近くにも植えられ、石庭の油土塀越しに咲きます。
【秋の紅葉・見ごろ】
- 概要:龍安寺は紅葉の名所です。山内にモミジ・桜などが分布し、例年11月中旬頃から11月下旬頃に見ごろを迎えます。なお紅葉は鏡容池から見ると美しいと言われています。
【回遊式庭園である西の庭】
- 概要:西の庭は仏殿の西側にあります。西の庭は室町時代の庭園を復元した回遊式庭園です。西の庭には室町幕府管領・細川勝元の木像を祀る細川廟(ほそかわびょ)があります。なお西の庭は通常非公開だが、特別公開されることがあります。
【徳川光圀が借りた軍記物語「太平記」】
- 概要:「太平記(重要文化財)」は南北朝時代を舞台とし、南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の即位から約50年間を描かれた軍記物語です。「太平記」は徳川光圀(とくがわみつくに・水戸黄門(みとこうもん))が「大日本史」を編纂する際に借りたことが知られています。
- 歴史:「太平記」は1929年(昭和4年)に火災に見舞われ、13冊の内の1冊が焼失し、残りの12冊にも焼損痕が残っています。
【買い戻された襖絵】
- 概要:襖絵は明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって散逸しました。2010年(平成22年)に仙人や子どもを描いた「群仙図(ぐんせんず)」20面の内の4面と琴や囲碁などで遊ぶ人を描いた「琴棋書画図(きんきしょがず)」20面の内の2面、2018年(平成30年)に「芭蕉図(ばしょうず)」9面が買い戻されました。なお襖絵は特別公開されることがあります。
【臨済宗妙心寺派大本山・妙心寺】
- 概要:龍安寺は臨済宗(りんざいしゅう)妙心寺派大本山・妙心寺(みょうしんじ)の山外塔頭(さんがいたっちゅう)です。塔頭は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。
- 歴史:妙心寺は1335年(建武2年)に花園上皇(第95代・花園天皇)が落飾して法皇になり、花園御所を禅寺に改めることを発願したのが起源です。
【塔頭・西源院】
- 概要:西源院は妙心寺の山外塔頭で、龍安寺山内にあります。西源院ではランチなどに七草湯豆腐や京野菜を使ったお浸しや胡麻豆腐などがついた精進料理を楽しむことができます。
- 歴史:西源院は室町幕府管領・細川勝元が徳大寺家から寺地を得て、清源庵(せいげんあん)を建て、その後場所を移したのが起源とも、1489年(延徳元年)に管領・細川政元が特芳禅傑(とくほうぜんけつ)を請じて創建したのが起源とも言われています。
【龍安寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・龍安寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ