狸谷山不動院火渡り祭2025年7月28日(日程時間・・・)
狸谷山不動院火渡り祭(日程時間・アクセス・概要・・・)
狸谷山不動院火渡り祭(日程・時間・・・)を紹介しています。火渡り祭は例年7月28日に行われています。火渡り祭では紫灯護摩壇が崩されて火種を叩き消し、約5メートルの火床が作られ、火渡りが安全に行われるように九字を切る山伏を先頭に火渡りおふだを手にした参詣者が素足で渡ります。祈り灯ろうを献灯することができるそうです。(要確認)(詳細下記参照)
【狸谷山不動院火渡り祭2025 日程時間(要確認)】
狸谷山不動院火渡り祭2025は2025年(令和7年)7月28日(月曜日)19:00から行われます。(現在確認中・要注意)
*参考・・・狸谷山不動院ホームページ
【狸谷山不動院火渡り祭 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市左京区一乗寺松原町6
最寄り駅・バス停・・・一乗寺下り松町(徒歩約10分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは5系統(A1乗り場)
*四条河原町からは5系統
*四条烏丸からは5系統
路線・時刻表・運賃チェック
*叡山電鉄の場合、最寄り駅は一乗寺駅(徒歩約15分)
【狸谷山不動院火渡り祭 歴史・簡単概要】
狸谷山不動院火渡り祭(ひわたりさい)・祈り灯ろうでは無病息災・気力充実を祈願します。火渡り祭では先ず本堂で護摩法要が行われ、法要終了後には山伏が本堂下の火渡り道場まで練り歩きます。火渡り道場では法螺(ほら)の音で邪気を祓い、山主が紫灯護摩壇(さいとうごまだん)を清め、法弓作法(ほうきゅうさほう)によって外魔が入らないよう四方結界を施します。次に願文師が不動明王に祈願文を奏上し、奏上後に護摩壇に点火されます。護摩の作法が全て終了すると火伏の儀を修し、護摩壇が崩されて火種を叩き消し、約5メートルの火床が作られます。そして火渡りが安全に行われるように九字を切る山伏を先頭に火渡りおふだ(有料)を手にした参詣者が素足で渡り、貫主から加持を受けます。
火渡り祭では祈り灯ろうも行われます。祈り灯ろうは参拝者などの願いが書かれた灯ろうが狸谷山不動院への参堂250段に灯されます。
護摩はバラモン教の宗教儀礼が起源とされ、主に天台宗・真言宗で行われています。護摩には護摩壇に火を点けて護摩木を焚いて祈願する外護摩と心の中の煩悩などを心の火で焼き払う内護摩などがあるそうです。
不動明王(ふどうみょうおう)は大日如来の化身とも言われています。大日如来が衆生を教化する際、通常の姿では教化できないので、忿怒相(ふんぬそう)をもって現れたとされています。不動明王は背に火炎を背負い、右手に悪を断ち切る剣、左手に救済の索を持ち、全ての悪と煩悩を抑え、全ての生あるものを救うと言われています。不動明王は五大明王(降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王)のひとつです。なお不動明王はサンスクリット語のアカラ(阿遮羅) を漢訳したものです。
【狸谷山不動院 歴史・簡単概要】
狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)・狸谷のお不動さんは平安時代初期に第50代・桓武天皇の勅願により、平安京の鬼門(北東)守護として咤怒鬼(たぬき)不動明王を安置したのが起源とも言われています。1249年(建長3年)に本堂内にある高さ・深さともに2丈からなる石窟に咤怒鬼不動明王が移されて安置されたと言われています。その後1604年(慶長9年)に剣豪・宮本武蔵が吉岡一門との決闘を前に滝行を行い、己に克つ不動心を感得したとも言われています。狸谷山不動院は1718年(享保3年)に木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんようあしょうにん)・朋厚房正禅法師が創建しました。朋厚房正禅法師は木食行実践の為に石窟に入山し、その後自ら刻んだ身の丈5尺の石造不動尊像を狸谷山修験道の本尊として安置したと言われています。石造不動尊像は桓武天皇が安置した咤怒鬼不動明王と尊容が同じとも言われています。明治維新後の廃仏毀釈によって荒廃したが、1944年(昭和19年)に修験道大本山一乗寺狸谷山不動院として寺法を制定し、1947年(昭和22年)には寺地が拡張され、本殿も造営されました。
狸谷山不動院は真言宗の単立寺院です。
*参考・・・狸谷山不動院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ
【狸谷山不動院火渡り祭 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
火渡り祭では祈り灯ろうを献灯することができるそうです。(要確認)
狸谷山不動院(アクセス・見どころ・歴史概要・・・)情報
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