龍安寺の歴史は細川勝元が徳大寺公有の山荘を譲り受けたのが起源

龍安寺

龍安寺の時代別年表と重要人物

龍安寺は1450年(宝徳2年)に室町幕府管領・細川勝元が徳大寺公有から山荘を譲り受け、妙心寺五祖・義天玄詔を開山、義天玄詔の師で、妙心寺四祖・日峰宗舜を勧請開山に妙心寺の塔頭として創建されたのが起源です。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

龍安寺見どころ(石庭・方丈など)

【龍安寺が建立されている場所】

  • 龍安寺が建立されている場所は平安時代中期の983年(天元6年)に第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)が建立した御願寺(ごがんじ)・円融寺があった場所です。円融寺は円教寺(えんきょうじ)・円乗寺(えんじょうじ)・円宗寺(えんしゅうじ)とともに四円寺に数えられたが、その後衰微しました。991年(正暦2年)から左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし・徳大寺実能(とくだいじさねよし))が山荘を営み、徳大寺(とくだいじ・得大寺)を建立したが、藤原実能没後に徳大寺も衰微しました。

【龍安寺の起源・始まり】

  • 龍安寺は室町時代中期の1450年(宝徳2年)に守護大名で、室町幕府管領・細川勝元(ほそかわかつもと)が権大納言・徳大寺公有(とくだいじきんあり)から山荘を譲り受け、妙心寺(みょうしんじ)五祖・義天玄詔(ぎてんげんしょう)を開山、義天玄詔の師である妙心寺四祖・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山に妙心寺の塔頭(たちゅう)として創建しました。龍安寺の寺号は北宋(中国)・龍安山兜率寺(とそつじ)の従悦禅師(じゅうえつぜんじ)が宰相になる張商英(ちょうしょうえい)の参禅を指導したことに因んで名付けられました。なお龍安寺は妙心寺の塔頭として歴史が始まりました。
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【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

  • 1452年(宝徳4年)に龍安寺開基・細川勝元が2度目の管領になりました。
  • 1462年(寛正3年)に妙心寺5世で、龍安寺開山・義天玄詔が亡くなりました。義天玄詔は自らが紫衣勅許で大和尚の姿、師・日峰宗舜が黄衣であることから遺言により、自らの木像を造って安置することを禁止し、弟子は木像と同じ高さの位牌を安置しました。
  • 室町時代中期に細川勝元を東軍総大将、山名宗全(やまなそうぜん)を西軍総大将とする応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、1468年(応仁2年)に龍安寺が焼失しました。その後洛中に一時移転しました。
  • 1473年(文明5年)5月11日に龍安寺開基・細川勝元が44歳で亡くなり、称号「龍安寺殿仁榮賓宗大居士」が贈られました。
  • 1488年(長享2年)に細川勝元の子・細川政元(ほそかわまさもと)が龍安寺中興の祖・特芳禅傑(とくほうぜんけつ)とともに再興しました。
  • 1489年(延徳元年)に西源院 (せいげんいん)、1493年(明応2年)に大珠院(だいしゅいん)、1582年(天正10年)に霊光院(れいこういん)が鏡容池(きょうようち)近くに創建されたとも言われています。
  • 1499年(明応8年)に方丈が建立され、石庭も作庭されたとも言われています。
  • 1507年(永正4年)に細川政元が暗殺されました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

  • 1588年(天正16年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が前田利家(まえだとしいえ)らと洛北で鷹狩りを行った際、龍安寺の方丈前に植えられている糸桜(いとざくら)を眺め、豊臣秀吉は「時ならぬ 桜が枝に 降る雪は 花は遅しと 誘い来ぬらん」、前田利家は「御狩り野に 降る白雪は 花に似て なお袖さむみ 春風のふく」と詠みました。豊臣秀吉は住職に金椀を与え、鳥獣伐木を制する禁札を立てました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

  • 江戸時代以降に妙心寺の四派(龍泉派(りょうせんは)・東海派(とうかいは)・霊雲派(れいうんは)・聖澤派(しょうたくは))が交代で、龍安寺を管理しました。
  • 1797年(寛政9年)に火災によって方丈・開山堂・仏殿など龍安寺の多くの伽藍を焼失しました。その後妙心寺の塔頭・西源院の方丈を移して方丈が再建されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

  • 明治維新後に神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)や上知令により、龍安寺の寺宝が散逸しました。
  • 1924年(大正13年)に石庭が国の史跡・名勝に指定され、1954年(昭和29年)に国の特別名勝に指定されました。
  • 1955年(昭和30年)に庭園(境内ほぼ全域)が国の名勝に指定されました。
  • 1975年(昭和50年)に英国・エリザベス女王が石庭を拝観しました。
  • 1994年(平成6年)に龍安寺はユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されました。

【龍安寺の開基とされる細川勝元】

細川勝元は1430年(永享2年)に室町幕府管領・細川持之と京極高光の娘の嫡男として生まれました。1442年(嘉吉2年)に父・細川持之が亡くなると13歳で家督を継ぎ、叔父・細川持賢の後見によって摂津国・丹波国・讃岐国・土佐国の守護になりました。また室町幕府第7代将軍・足利義勝から偏諱を受けて、勝元と名乗りました。1445年(文安2年)に16歳で室町幕府管領になり、通算23年間も室町幕府管領職を歴任しました。1447年(文安4年)に山名宗全の養女を正室に迎え、山名宗全と協調したが、山名氏が滅ぼした赤松氏再興を支持すると次第に対立するようになりました。室町幕府8代将軍・足利義政と正室・日野富子の間に室町幕府9代将軍となる足利義尚が誕生すると継嗣問題が起こり、細川勝元を東軍総大将、山名宗全を西軍総大将とする応仁の乱が起こりました。なお細川勝元は1473年(文明5年)に亡くなり、龍安寺殿仁榮賓宗大居士の称号が贈られました。その直前に山名宗全も亡くなっており、1474年(文明6年)に東軍・西軍は和睦しました。

【龍安寺 備考】
*参考・・・龍安寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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