龍安寺歴史年表(創建~現在)細川勝元

龍安寺

龍安寺歴史

龍安寺歴史を紹介しています。龍安寺はかつて993年(正暦4年)に第64代・円融天皇が建立した円融寺があった場所です。1450年(宝徳2年)に室町幕府管領で、守護大名・細川勝元が義天玄詔を開山、義天玄詔の師・日峰宗舜を勧請開山に龍安寺を創建しました。
京都世界遺産・龍安寺基本情報龍安寺見どころ

【龍安寺歴史 年表】
(歴史・創建前)
龍安寺(りょうあんじ)は平安時代の993年(正暦4年)に第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)が建立した四円寺(円融寺(えんゆうじ)・円教寺(えんきょうじ)・円乗寺(えんじょうじ)・円宗寺(えんしゅうじ))のひとつだった御願寺(ごがんじ)・円融寺があった場所でした。しかし円融寺は衰微し、その後左大臣・藤原実能(ふじわらのさねよし・徳大寺実能(とくだいじさねよし))が山荘を営み、徳大寺(とくだいじ・得大寺)を建立しました。ただ徳大寺も藤原実能の没後に衰微しました。

(歴史・創建)
室町時代中期の1450年(宝徳2年)に室町幕府管領で、守護大名・細川勝元(ほそかわかつもと)が権大納言・徳大寺公有(とくだいじきんあり)から山荘を譲り受け、妙心寺(みょうしんじ)5世・義天玄詔(ぎてんげんしょう)を開山、義天玄詔の師である妙心寺4世・日峰宗舜(にっぽうそうしゅん)を勧請開山に妙心寺の塔頭として、龍安寺を創建しました。

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(歴史・その後)
しかし細川勝元が東軍総大将、山名宗全(やまなそうぜん)が西軍総大将になった応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって焼失しました。応仁の乱後の1488年(長享2年)に細川勝元の子・細川政元(ほそかわまさもと)が龍安寺中興の祖・特芳禅傑(とくほうぜんけつ)とともに再建しました。
1489年(延徳元年)に西源院 (せいげんいん)、1493年(明応2年)に大珠院(だいしゅいん)、1582年(天正10年)に霊光院(れいこういん)が鏡容池(きょうようち)近くに創建されたと言われています。
江戸時代以降は妙心寺の四派(龍泉派(りょうせんは)・東海派(とうかいは)・霊雲派(れいうんは)・聖澤派(しょうたくは))が交代で、龍安寺を管理しました。その後1797年(寛政9年)の火災により、仏殿などの多くの伽藍を焼失し、妙心寺の塔頭・西源院の方丈を移して、方丈を再建しました。

【龍安寺 建物】
●方丈(本堂)は1797年(寛政9年)に火災によって焼失し、1606年(慶長11年)に建立された妙心寺の塔頭・西源院の方丈を寛永年間(1624年~1643年)に移して再建されました。
●勅使門は1797年(寛政9年)に火災によって唐門が焼失し、1975年(昭和50年)に西源院の唐門を移して勅使門にしました。なお勅使門は重要文化財です。
●庫裏(くり)は1797年(寛政9年)に火災によって焼失したが、焼失直後に再建されました。
●山門は1755年(宝暦5年)の洪水によって破損し、江戸時代中期に再建されました。
●茶室・蔵六庵(ぞろくあん)は1929年(昭和4年)に焼失し、その後再建されました。
●仏殿は1981年(昭和56年)に再建されました。

【龍安寺 その他】
●石庭(方丈庭園)はいつ、誰が作庭したかは明確ではありません。龍安寺が中興された応仁の乱後の1499年(明応8年)に作庭されたとも言われています。
石庭
●鏡容池は平安時代に名池のひとつに数えられ、1780年(安永9年)の「都名所図会(みやこめいしょずえ)」にも紹介されています。
●蹲踞(つくばい)は水戸黄門と言われる水戸光圀(みとみつくに・徳川光圀(とくがわみつくに))が「大日本史」を編纂する際に西源院本「太平記」を借り、そのお礼として寄進したと言われています。
●侘助椿(わびすけつばき)は樹齢400年以上で、日本最古とも言われています。

【龍安寺 妙心寺】
妙心寺(みょうしんじ)は1335年(建武2年)に花園上皇(第95代・花園天皇(はなぞのてんのう))が落飾して法皇になり、花園御所を禅寺に改めることを発願したのが起源です。
妙心寺

【龍安寺歴史 備考】
*参考・・・京都世界遺産・龍安寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ京都世界遺産・龍安寺(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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