永観堂の歴史は真紹が東山山荘跡を買い取ったのが起源

永観堂

永観堂の時代別年表と重要人物

永観堂は853年(仁寿3年)に弘法大師・空海の高弟・真紹が都における実践道場の建立を志し、藤原関雄の邸宅跡を買い取って五智如来を安置したのが起源です。863年(貞観5年)に清和天皇から勅額「禅林寺」を賜わりました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

永観堂見どころ(阿弥陀堂・方丈など)

【永観堂(禅林寺)が建立されている場所】

  • 永観堂(禅林寺)が建立されている場所は平安時代に治部少輔(じぶのしょう)兼斎院(さいいん)長官で、東山進士(ひがしやましんし)と言われた藤原関雄(ふじわらのせきお)の東山山荘があった場所でした。なお藤原関雄は805年(延暦24年)に参議・藤原真夏の五男として生まれました。825年(天長2年)に文章生の試験に合格したが、閑退を好んで出仕せず、常に別荘・東山山荘にあって林泉を耽愛したことから東山進士と言われました。淳和上皇(第53代・淳和天皇)が賞賛し、淳和上皇の近臣に迎えられました。835年(承和2年)に勘解由判官に任ぜられるが、激務を好まなかったことから数ヶ月後に少判事に転任しました。その後刑部少輔・下野守・諸陵頭・治部少輔・斎院長官を歴任しました。

【永観堂の起源・始まり】

  • 永観堂は853年(仁寿3年)10月に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の高弟である河内観心寺(かんしんじ)・真紹(しんじょう)が都における真言宗密教の実践道場の建立を志し、藤原関雄の邸宅跡を買い取り、五智如来(ごちにょらい)を安置したのが起源と言われています。また真紹は毘盧遮那仏(るしゃなぶつ・大日如来(だいにちにょらい))と四方四仏を本尊とする寺院を建立したとも言われています。
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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

  • 863年(貞観5年)9月に第56代・清和天皇(せいわてんのう)から鎮護国家の道場として、勅額「禅林寺」を賜わりました。
  • 868年(貞観10年)に真紹が禅林寺式十五条を定めました。
  • 877年(元慶元年)に第57代・陽成天皇(ようぜいてんのう)の勅によって山城国愛宕郡公田四町が施入され、仏殿を建立して勅願寺(ちょくがんじ)になりました。
  • 1072年(延久4年)に永観律師(ようかんりっし)が永観堂に東南院を建立しました。
  • 承暦年間(1077年~1081年)に永観律師(ようかんりっし)が浄土念仏(じょうどねんぶつ)道場に改め、阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊にしました。なお永観律師は中興の祖とされ、永観律師から永観堂と言われるようになりました。
  • 1082年(永保2年)に永観律師が念仏行道の際、壇上の弥陀にみかえりの相を感得しました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

  • 1190年(建久元年)に浄土宗(じょうどしゅう)西山派の開祖・証空(しょうくう)が法然上人の室に入り、その後永観堂13世になりました。
  • 1198年(建久9年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が参詣し、「大般若経(だいはんにゃきょう)」を寄進しました。
  • 1253年(建長5年)に証空の弟子・浄音(じょうおん)が永観堂17世になり、以後浄土宗の本山になったそうです。
  • 1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)の造営を開始したことから境内の南側を割譲したと言われています。禅林寺殿は後に南禅寺(なんぜんじ)に改められます。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

  • 室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって伽藍の多くを焼失しました。
  • 1472年(文明4年)以後に第103代・後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が御影堂、永正年間(1504年~1520年)に第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)が釈迦堂(方丈)などを建立したと言われています。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】

  • 1504年(永正元年)に臥龍廊が建立されました。
  • 1560年(永禄3年)に勧学院設置の綸旨を賜りました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

  • 1596年(文禄5年)に鐘鋳が鋳造され、鐘楼堂が建立されました。この頃に檀林が設置されました。
  • 1597年(慶長2年)に庫裏に再建されました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

  • 1600年(慶長5年)に本堂(御影堂)に建立されました。
  • 1615年(元和元年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から浄土宗西山派諸法度条目九条一巻・寺領・朱印を付与されました。
  • 1764年(宝暦14年)に祖廟堂が再建されました。
  • 1828年(文政11年)に講堂が再建されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

  • 1870年(明治3年)に西山派・鎮西派が合同して単一の大教院の管轄に属したが、1876年(明治9年)に西山派・鎮西派が分派し、西谷義は光明寺・永観堂、深草義は誓願寺・円福寺の四本山になりました。

【永観堂の開山とされる真紹】

真紹は797年(延暦16年)に池上氏一族として生まれました10歳で。真言宗の宗祖である弘法大師・空海に師事して真言密教を学び、843年(承和10年)に東寺の実恵阿闍梨から灌頂を受け、真言宗の中で第3番目に阿闍梨になり、847年(承和14年)に東寺二長者になりました。853年(仁寿3年)に永観堂を創建しました。その後甥・宗叡に付法し、873年(貞観15年)8月3日に亡くなりました。なお真紹は禅林寺僧都、石山僧都とも称されました。

【永観堂 備考】
*参考・・・永観堂(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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