永観堂歴史年表(創建~現在)永観律師

永観堂

永観堂歴史

永観堂歴史を紹介しています。永観堂はかつて平安時代に藤原関雄の東山山荘があった場所でした。その後853年(仁寿3年)に弘法大師・空海の高弟・真紹が都における実践道場の建立を志して、東山山荘跡を買い取って五智如来を安置したのが起源です。
永観堂基本情報永観堂見どころ

【永観堂歴史 年表】
(歴史・創建前)
永観堂(えいかんどう・ようかんどう)・禅林寺(ぜんりんじ)は平安時代に治部少輔(じぶのしょう)兼斎院(さいいん)長官で、東山進士(ひがしやましんし)と言われた藤原関雄(ふじわらのせきお)の東山山荘があった場所でした。なお藤原関雄は病の為に退官し、東山に籠居したと言われています。

(歴史・創建)
853年(仁寿3年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の高弟である河内観心寺(かんしんじ)・真紹(しんじょう)が都における真言宗密教の実践道場の建立を志し、藤原関雄の邸宅跡を買い取り、五智如来(ごちにょらい)を安置しました。
863年(貞観5年)に第56代・清和天皇(せいわてんのう)から寺号「禅林寺」を賜わり、定額寺(じょうがくじ)になりました。なお第56代・清和天皇は877年(元慶元年)に請願寺(せいがんじ)・円覚寺(えんがくじ)を永観堂の境内に建立したとも言われています。
993年(正暦4年)に焼失したと言われています。
承暦年間(1077年~1081年)に永観律師(ようかんりっし)が浄土念仏道場に改め、阿弥陀如来(あみだにょらい)を本尊にしました。なお永観律師は中興の祖とされ、永観律師から永観堂と言われるようになりました。

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(歴史・その後)
鎌倉時代中期に浄土宗(じょうどしゅう)西山派の開祖・証空(しょうくう)が13世になり、1253年(建長5年)に証空の弟子・浄音(じょうおん)が17世になり、以後浄土宗の本山になったそうです。
1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)の造営を開始したことから境内の南側を割譲したと言われています。禅林寺殿は後に南禅寺(なんぜんじ)に改められます。
応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火によって伽藍の多くを焼失しました。
1472年(文明4年)以後に第103代・後土御門天皇(ごつちみかどてんのう)が御影堂、永正年間(1504年~1520年)に第104代・後柏原天皇(ごかしわばらてんのう)が釈迦堂(方丈)などを建立したと言われています。

【永観堂歴史 建物】
●阿弥陀堂は1597年(慶長2年)に建立された大坂・四天王寺(してんのうじ)の曼荼羅堂(まんだらどう)を1607年(慶長12年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が移しました。その後江戸時代に改修されたとも言われています。
●方丈(釈迦堂)は永正年間(1504年~1520年)に第104代・後柏原天皇が建立したとも言われています。
●唐門(勅使門)は1830年(天保元年)に建立されました。
●御影堂(祖師堂・大殿)は1912年(大正元年)に建立されました。
●瑞紫殿(ずいしでん)は1895年(明治28年)に再建されました。
●弁天社は1866年(慶応2年)に歌人で、尼僧・大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)の寄進によって造営されました。
●総門は1840年(天保11年)、中門は1744年(延享元年)に建立されました。
●鐘楼は1707年(宝永4年)に建立されました。
●多宝塔は1928年(昭和3年)に篤志家(とくしか)の寄付によって建てられました。
●画仙堂は1914年(大正3年)に日本画家・鈴木松僊(すずきしょうせん)の発願によって建立されました。
●臥龍廊(がりゅうろう)は永正年間(1504年~1520年)に造られ、昭和に改修されました。

【永観堂歴史 その他】
●岩垣もみじは藤原関雄(ふじわらのせきお)の歌(古今集)「おく山の 岩がき紅葉 散りぬべし 照る日の光 見る時なくて」に由来しています。なお永観堂は古くから「秋はもみじの永観堂」と言われています。

【永観堂歴史以外の情報】
*参考・・・京都・永観堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)ホームページ京都・永観堂(アクセス・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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