高台寺(北政所)歴史簡単まとめ

高台寺見どころ

高台寺歴史

高台寺歴史を簡単にまとめて紹介しています。高台寺は1606年(慶長11年)に豊臣秀吉の正室・北政所が秀吉の菩提を弔う為、弓箴善彊を開山として創建しました。寺号は北政所が1603年(慶長8年)に第107代・後陽成天皇から賜った院号・高台院湖月尼に由来しています。

【高台寺歴史以外の情報】
高台寺見どころ

★高台寺歴史年表
【前史 高台寺】
●高台寺が建立されている場所には岩栖院(がんせいいん)が建立されていました。
●桃山時代の1598年(慶長3年)9月18日(旧暦8月18日)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が62歳で伏見城内で亡くなりました。
●江戸時代初期の1603年(慶長8年)に豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)が第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から院号・高台院湖月尼(こうだいいんこげつに)を賜ると夫・豊臣秀吉の菩提(ぼだい)を弔う為に寺院建立を発願しました。
●1605年(慶長10年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が北政所の実母・朝日局(あさひのつぼね・吉子)が弔われていた京都市上京区上御霊馬場町に建立されていた菩提寺・康徳寺(こうとくじ)の寺領を安堵したと言われています。

【創建(起源・由来)の歴史 高台寺】
●1606年(慶長11年)に北政所が夫・豊臣秀吉の菩提を弔う為に弓箴善彊(きゅうしんぜんきょう)を開山として高台寺を創建しました。当初、北政所は実母・朝日局が弔われていた康徳寺に夫・豊臣秀吉を弔うとしたが、手狭だったことから現在高台寺やその塔頭(たちゅう)が建立されている場所にあった岩栖院を南禅寺(なんぜんじ)境内に塔頭(たっちゅう)として移転させ、その後岩栖院跡に康徳寺を移転させて新たに高台寺を創建しました。高台寺創建時の仏殿は康徳寺の堂を移築・改造して建立され、方丈・茶室などは夫・豊臣秀吉が築城した伏見城(ふしみじょう)から移築されて建立されました。また北政所は伏見城から北政所化粧御殿(けしょうごてん)やその前庭を移築し、自らの邸宅・高台院屋敷にしました。なお徳川家康は北政所を手厚く扱い、高台寺の普請奉行(ふしんぶぎょう)に京都所司代(きょうとしょしだい)・板倉勝重(いたくらかつしげ)、普請御用掛に酒井忠世(さかいただよ)と土井利勝(どいとしかつ)、普請掛に堀直政(ほりなおまさ・堀監物(ほりけんもつ))を任命しました。開山堂には高台寺建立に尽力した堀直政の像が安置されています。

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【江戸時代の歴史 高台寺】
●1608年(慶長13年)に北政所の従弟・久林玄昌(きゅうりんげんしょう)が塔頭・岡林院(こうりんいん)を建立しました。
●1612年(慶長18年)に徳川家康が寺領400石を寄進したと言われています。
●1615年(慶長20年)に豊臣家が滅亡する大坂夏の陣が起こり、北政所は伏見城から移した茶室・時雨亭(重要文化財)の2階から燃え落ちる大坂城の天守を見つめていたとも言われています。
●1616年(元和2年)に久林元昌が塔頭・月真院(げっしんいん))を建立しました。
●1624年(寛永元年)に三江紹益(さんこうじょうえき)を臨済宗(りんざいしゅう)建仁寺派の大本山・建仁寺(けんにんじ)から招聘し、曹洞宗(そうとうしゅう)から臨済宗(りんざいしゅう)に改めました。北政所の兄・木下家定(きのしたいえさだ)は三江紹益と親交が深く、木下家定の八男・周南紹叔が三江紹益の元で出家したそうです。
●1624年(寛永元年)9月に北政所が高台院屋敷で亡くなりました。その後1632年(寛永9年)に甥で、備中足守藩2代藩主・木下利房(きのしたとしふさ)が三江紹益を開山として塔頭・圓徳院(えんとくいん)に改め、木下家の菩提寺にしました。
●1648年(慶安元年)に北政所の甥・木下勝俊(きのしたかつとし)が塔頭・春光院(しゅんこういん)を建立しました。
●1789年(寛政元年)に大方丈・小方丈などが焼失しました。その後1795年(寛政7年)に小方丈が圓徳院の北政所化粧御殿を移して再建され、圓徳院には新たに北書院が建立されました。
●1863年(文久3年)に公武合体派の福井藩主・松平慶永(まつだいらよしなが・松平春嶽(まつだいらしゅんがく))の宿所になり、小方丈などが放火によって焼失しました。
●1867年(慶応3年)に新撰組(しんせんぐみ)を脱退した伊東甲子太郎(いとうかしたろう)ら禁裏御陵衛士(きんりごりょうえじ)が塔頭・月真院を屯所にし、高台寺党とも言われました。

【明治時代以降の歴史 高台寺】
●1869年(明治2年)に上知令によって寺領が減少しました。
●1885年(明治18年)に仏殿・大方丈・小方丈が焼失しました。
●1998年(平成10年)に高台寺掌美術館(しょうびじゅつかん)が開館しました。

★高台寺歴史上人物
【北政所(高台院) 高台寺開基】
●北政所(高台院)は高台寺の歴史上、開基です。北政所(ねね・おね)は1548年(天文17年)または1549年(天文18年)に杉原定利と朝日殿の次女として尾張国朝日村に生まれました。その後叔母・七曲殿の嫁ぎ先である浅野長勝の養女になりました。1561年(永禄4年)に14歳で関白・豊臣秀吉(木下藤吉郎)と恋愛結婚しました。北政所と秀吉の間に子供はなかったが、いずれも賤ヶ岳の七本槍に数えられた加藤清正・福島正則など親類縁者を養子や家臣として養育しました。1585年(天正13年)に秀吉が関白になると従三位に叙せられ、北政所の称号を許されました。1588年(天正16年)に秀吉が造営した聚楽第に第107代・後陽成天皇が行幸し、無事に還御すると従一位に昇叙しました。1598年(慶長3年)に秀吉が亡くなると秀吉の側室・淀殿とともに豊臣秀頼を後見し、1603年(慶長8年)に秀頼と徳川家康の孫で、徳川秀忠の長女・千姫が結婚すると落飾し、朝廷から院号を賜って高台院快陽心尼(高台院湖月心尼)と称しました。1606年(慶長11年)に高台寺を創建し、秀吉の菩提(ぼだい)を弔いました。なお北政所は1624年(寛永元年)に亡くなりました。

【弓箴善彊 高台寺開山】
●弓箴善彊は高台寺の歴史上、開山です。弓箴善彊は関白・豊臣秀吉と同郷とも言われる曹洞宗の僧です。秀吉の命により、石清水八幡宮の神宮寺・神応寺の住職になりました。秀吉が1592年(文禄元年)に朝鮮出兵する際に石清水八幡宮に参詣し、神職に従軍を求めたが、それに応じる神職がおらず、秀吉の怒りを買いました。その際に弓箴善彊が機転を利かし、神功皇后の三韓征伐にあやかるなら神功皇后の子である第15代・応神天皇を祀る神応寺に参詣するのがよいと進言し、機嫌を直した秀吉から寺領120石を寄進されたと言われています。弓箴善彊は肥前国・名護屋城までお供したと言われています。

【寺宝 高台寺】
●霊屋(重要文化財)は1605年(慶長10年)に建立されました。
●開山堂(重要文化財)は1605年(慶長10年)に建立され、1625年(寛永2年)に増築されたと言われています。
●茶室・傘亭(重要文化財)は桃山時代(1573年~1614年)に建てられました。
●茶室・時雨亭(重要文化財)は江戸時代前期(1615年~1660年)に建てられました。
●観月台(重要文化財)は桃山時代(1573年~1614年)に建てられました。関白・豊臣秀吉遺愛とも言われています。
●表門(重要文化財)は桃山時代(1573年~1614年)に加藤清正が伏見城に建て、伏見城から移されたとも言われています。
●庭園は小堀遠州が作庭したと言われています。
●梵鐘は1606年(慶長11年)に北政所の兄・木下家定が三条釜座・藤原国久に鋳造させました。
●方丈は1912年(大正元年)に再建されました。
●天満宮は1606年(慶長11年)の創建時に北政所が日頃崇拝していた綱敷天満宮の祭神・菅原道真を勧請したと言われています。
●勅使門は1912年(大正元年)に再建されました。
●茶室・遺芳庵は1908年(明治41年)に灰屋紹益の旧邸跡から移されました。
●茶室・鬼瓦席は遺芳庵と同じく、1908年(明治41年)に灰屋紹益の旧邸跡から移されました。

【塔頭 高台寺】
●圓徳院は北政所が晩年を過ごし、終焉の地とも言われています。
●岡林院は1608年(慶長13年)に北政所の従弟・久林玄昌が建立されました。
●月真院は1616年(元和2年)に北政所の従弟・久林玄昌が石見津和野藩・亀井政矩の保護の下で創建し、亀井家の菩提寺になりました。
●春光院は1648年(慶安元年)に北政所の甥・木下勝俊が娘で、阿野公業の妻・春光院万花紹三を弔う為に創建したと言われています。

【高台寺歴史 備考】
*参考・・・京都・高台寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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