知恩院(法然上人)歴史簡単まとめ

知恩院見どころ

知恩院歴史

知恩院歴史を簡単にまとめて紹介しています。知恩院は平安時代末期に浄土宗の開祖・法然上人が勢至堂付近の東山・吉水に草庵を結んだのが起源です。1212年(建暦2年)に法然上人が亡くなり、法然上人の弟子・勢観房源智が廟を造り、法然上人の弟子・信空が守護しました。

【知恩院歴史以外の情報】
知恩院見どころ

★知恩院歴史年表
【創建(起源・由来)の歴史 知恩院】
●平安時代後期の1175年(承安5年)に浄土宗(じょうどしゅう)の開祖・法然上人(ほうねんしょうにん)が43歳で勢至堂(せいしどう)付近の東山・吉水(よしみず)に草庵を結んだのが知恩院の起源と言われています。草庵は専修念仏(せんじゅねんぶつ) の道場になり、吉水御坊・大谷禅坊などと称されました。ただ法然上人は承元の法難(じょうげんのほうなん)により、鎌倉時代前期の1207年(建永2年)から1211年(建暦元年)まで讃岐国(香川)に流罪になり、その後大谷山上の禅房に戻りました。なお承元の法難は後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))が熊野に行幸した際、寵愛していた女官である鈴虫・松虫が法然上人の弟子である安楽(あんらく)・住蓮(じゅうれん)の教えに感銘して出家した為、安楽・住蓮が斬首され、法然上人が讃岐国に流罪になったものです。

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【鎌倉時代の歴史 知恩院】
●1212年(建暦2年)に法然上人が80歳で亡くなり、弟子・勢観房源智(せいかんぼうげんち)が廟(廟堂)を造り、弟子・信空(しんくう)が守護しました。
●1227年(嘉禄3年)に比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)の衆徒によって廟が破壊されました。なお嘉禄の法難(かろくのほうなん)では法然上人の遺骸(いがい)が秘かに粟生(あおう)の光明寺(こうみょうじ)に移され、荼毘(だび)に付されたとも言われています。
●1234年(文暦元年)に勢観房源智が再興し、知恩院大谷寺(おおたにでら)と名付け、法然上人を知恩院開山1世としたと言われています。なお第87代・四条天皇(しじょうてんのう)からは寺号「華頂山(かちょうざん)知恩教院大谷寺」を賜り、勅願所(ちょくがんしょ)になりました。

【室町時代の歴史 知恩院】
●1431年(永享3年)に火災によって焼失したが、その後再建されたと言われています。
●室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって焼失しました。なお応仁の乱では近江(おうみ)・新知恩院(しんちおんいん・金蓮寺(こんれんじ))に避難したとも言われています。
●1478年(文明10年)に知恩院が再興されました。

【戦国時代(室町時代後期)の歴史 知恩院】
●1517年(永正14年)に火災に見舞われたが、影像・勅伝などは焼失を免れました。
●1523年(大永3年)に知恩院25世・超誉存牛(ちょうよぞんぎゅう)と百萬遍知恩寺(ひゃくまんべんちおんじ)25世・慶秀(けいしゅう)の間で本寺争いになったが、知恩院が勝利して鎮西義(ちんぜいぎ)で第一の座次になり、本山になりました。
●1530年(享禄3年)に勢至堂が再興され、第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)から勅額「知恩院教院」・「大谷寺」を賜りました。

【桃山時代の歴史 知恩院】
●1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が寺領190石を寄進しました。

【江戸時代の歴史 知恩院】
●1603年(慶長8年)に浄土宗徒で、江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が知恩院を永代菩提所と定め、寺領703石余を寄進しました。
●1604年(慶長9年)に徳川家康が青蓮院(しょうれんいん)の境内を一部割譲させ、堂塔の建立を開始します。
●1607年(慶長12年)に徳川家康が第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の皇子・良純親王を猶子(ゆうし)とし、第29世・尊照の後継者にしたことから門跡寺院になりました。
●1608年(慶長13年)に徳川家康が寺地を拡大し、伽藍の再建を開始し、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)と江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)に引き継がれ、1641年(寛永18年)までに伽藍の多くが再建されました。
●1633年(寛永10年)に火災に見舞われました。ただ三門・経蔵は焼失を免れました。
●1639年(寛永16年)に諸堂が再建されました。
●1710年(宝永7年)に霊元上皇(第112代・霊元天皇(れいげんてんのう))から上皇宸翰の勅額「華頂山」を賜りました。

【明治時代以降の歴史 知恩院】
●1872年(明治5年)に西本願寺(にしほんがんじ)・建仁寺(けんにんじ)とともに第1回京都博覧会となり、第122代・明治天皇がご臨幸されました。

★知恩院歴史上人物
【法然上人 知恩院開山】
●法然上人は知恩院の歴史上、開山です。法然上人は1133年(長承2年)に美作国(岡山県)の押領使・漆間時国と秦氏君清刀自の子として生まれたと言われています。1141年(保延7年)に父・漆間時国が殺害され、母方の叔父で、僧侶・観覚のもとで剃髪し、1145年(天養2年)に延暦寺に登って源光に師事して天台を学びました。しかし1150年(久安6年)に教学などに疑問を感じ、西塔黒谷・叡空のもとで修業し、法然房源空と称しました。その後20年間に渡って修学し、中国浄土教の僧・善導の「観無量寿経疏」や天台宗の僧である恵心僧都・源信の「往生要集」により、「南無阿弥陀仏」の名号を口に出して称える称名念仏に専修する悟りに達し、浄土宗を開きました。京都吉水に草庵を結んで老若貴賤に布教したが、女官の出家を契機に南都北嶺(興福寺・延暦寺)から迫害を受け、1207年(承元元年)に讃岐に配流され、その後赦免されて京都に戻りました。なお法然上人は1212年(建暦2年)に東山大谷で亡くなりました。

【文化財・見どころ 知恩院】
●御影堂(国宝)は1639年(寛永16年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建されました。
●三門(国宝)は1621年(元和7年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の寄進によって建立されました。
●大方丈(重要文化財)は1641年(寛永18年)に建立されました。
●小方丈(重要文化財)は1641年(寛永18年)に建立されました。
●勢至堂(重要文化財)は1530年(享禄3年)に再建されました。
●集会堂(重要文化財)は1635年(寛永12年)に徳川家光が再建しました。
●経蔵(重要文化財)は1621年(元和7年)に徳川秀忠の寄進によって建立されました。
●大庫裏・小庫裏(重要文化財)は1641年(寛永18年)に再建されました。
●大鐘楼(重要文化財)は1678年(延宝6年)に建立されました。
●唐門(重要文化財)は1641年(寛永18年)に建立されました。
●梵鐘(重要文化財)は1636年(寛永13年)に鋳造されました。
●阿弥陀堂は1910年(明治43年)に再建されました。
●方丈庭園(京都市指定名勝)は小堀遠州と縁のある僧・玉淵が作庭したと言われています。

【塔頭 知恩院】
●松宿院は当初知恩院の宿坊として建てられました。
●崇泰院は1603年(慶長8年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康が生母・伝通院の菩提を弔う為に知恩院を再興した際、知恩院再建普請奉行・竹村道清が建立しました。

【知恩院歴史 備考】
*参考・・・京都・知恩院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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