金地院の歴史は足利義持が洛北鷹ケ峯に創建したのが起源

金地院見どころ

金地院の時代別年表と重要人物

金地院は応永年間(1394年~1427年)に室町幕府4代将軍・足利義持が南禅寺68世・大業徳基を開山として洛北鷹ケ峯に創建したのが起源です。1605年(慶長10年)に南禅寺270世・金地院崇伝が現在の場所に移しました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

金地院見どころ

【禅林寺殿・南禅寺】

  • 南禅寺が建立されている場所は僧・道智(どうち)が創建した滋賀・園城寺(おんじょうじ)の別院・最勝光院(さいしょうこういん)が建立されていた場所でした。
  • 1264年(文永元年)に第88代・後嵯峨天皇(ごさがてんのう)が母の大宮院御所(おおみやいんごしょ)として、離宮・禅林寺殿(ぜんりんじどの)を造営したと言われています。ちなみに禅林寺殿の名称は南禅寺北側に建立され、永観堂(えいかんどう)とも言われる禅林寺に由来しています。禅林寺殿には上の御所と下の御所があり、1287年(弘安10年)に上の御所に持仏堂(じぶつどう)を建立したのが南禅寺発祥の地とされる南禅院の起源と言われています。
  • 1291年(正応4年)に亀山法皇(第90代・亀山天皇(かめやまてんのう)が大明国師(だいみょうこくし)・無関普門(むかんふもん)を開山として、離宮・禅林寺殿を禅寺に改め、龍安山禅林禅寺と名付けたのが南禅寺の起源です。

【金地院の起源・始まり】

  • 金地院は室町時代中期の応永年間(1394年~1427年)に室町幕府4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)が南禅寺68世・大業徳基(だいごうとくき)を開山として洛北鷹ケ峯(たかがみね)に創建したのが起源と言われています。
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【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

  • 室町時代中期以降に藍田素瑛(らんでんそえい)・靖叔徳林(せいしゅくとくりん)らが引き継いだが、その後金地院は荒廃したとも言われています。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

  • 1582年(天正10年)に明智門が大徳寺(だいとくじ)方丈に建立されました。明智光秀が母の菩提の為に寄進した銀によって建立されました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

  • 1605年(慶長10年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)から篤く信任され、江戸幕府の参与で、「黒衣の宰相(こくいのさいしょう)」と言われた南禅寺270世・金地院崇伝(こんちいんすうでん)・以心崇伝(いしんすうでん)が現在の場所に移しました。金地院は南禅寺の塔頭として再興され、金地院崇伝自らの住坊になりました。金地院崇伝は徳川家康から信任され、1610年(慶長15年)に駿府城(すんぷじょう)内に駿府金地院、1619年(元和5年)に江戸城(えどじょう)北ノ丸付近に江戸金地院が建立されました。
  • 1619年(元和5年)に金地院崇伝が江戸幕府から僧録(そうろく)に任ぜられ、相国寺(しょうこくじ)の塔頭(たっちゅう)・鹿苑院(ろくおんいん)院主が務めていた僧録職を江戸時代末期まで金地院住持が務めました。僧録職は五山十刹(ござんじっさつ)以下の禅寺を統括し、住職の任命権を持っていました。なお金地院は10万石の格式を与えられ、「寺大名」とも言われました。
  • 1627年(寛永4年)に本堂が建立されたと言われています。なお本堂は寺伝によると1611年(慶長16年)に金地院崇伝が江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)から伏見城の遺構を賜り、金地院に移築したとも言わています。
  • 1628年(寛永5年)に東照宮・八窓席が建立されました。
  • 1629年(寛永6年)から鶴亀の庭の作庭が始まり、1632年(寛永9年)に完成しました。
  • 1693年(元禄6年)に社殿回りの修復と御門廊下の建立されました。
  • 1714年(正徳4年)に社殿回りや門柵を修理しました。
  • 1830年(天保元年)に地震に見舞われたとも言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

  • 1887年(明治19年)に明智門が大徳寺(だいとくじ)から移築されました。

【金地院の中興とされる金地院崇伝(以心崇伝)】

金地院崇伝(以心崇伝)は1569年(永禄12年)に室町幕府幕臣・一色秀勝の次男として生まれました。1573年(天正元年)に父が亡くなり、南禅寺266世・玄圃霊三のもとで出家しました。その後靖叔徳林の法を嗣ぎ、醍醐寺の塔頭・三宝院で学びました。1605年(慶長10年)に鎌倉五山第1位の建長寺の住職になり、同年3月に南禅寺270世になり、第107代・後陽成天皇から紫衣を賜りました。1608年(慶長13年)に相国寺の西笑承兌の推薦により、江戸幕府初代将軍・徳川家康に招かれ、幕政に参画し、1610年(慶長15年)に居寺として駿府城内の金地院を賜りました。また寺社行政の担当にもなり、寺院諸法度の整備も行いました。1616年(元和2年)に徳川家康が亡くなり、その後の神格化の対応で一時権勢を失ったが、幕閣の執り成しで許されました。1618年(元和4年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠から江戸城北の丸に屋敷を与えられて金地院を建立しました。なお金地院崇伝は1633年(寛永10年)に江戸城内の金地院で亡くなりました。

【金地院 備考】
*参考・・・金地院(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia

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