本能寺の歴史は日隆聖人が本応寺を創建したのが起源

本能寺(Honno-ji Temple)

本能寺の時代別年表と重要人物

本能寺は1415年(応永22年)に日隆聖人が月明上人と対立して妙本寺を去り、油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を創建したのが起源です。1582年(天正10年)に明智光秀による本能寺の変が起こり、織田信長が自害しました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

本能寺見どころ(本堂・信長公御廟所拝殿など)

【日隆聖人・妙本寺】

  • 本能寺開山・日隆聖人が修行した妙本寺(みょうほんじ・妙顕寺(みょうけんじ))は鎌倉時代後期の1321年(元亨元年)に帝都弘通(ていとぐずう)を果たした肥後阿闍梨(ひごあじゃり)・日像上人(にちぞうしょうにん)が日蓮宗(にちれんしゅう)の宗祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)の遺命を受け、南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)から勅旨を賜り、今小路に京都における日蓮宗最初の道場として創建しました。

【本能寺の起源・始まり】

  • 本能寺は1415年(応永22年)に日隆聖人(にちりゅうしょうにん)が妙本寺5世・月明上人と対立して妙本寺を去り、油小路高辻と五条坊門の間に本応寺を創建したのが起源です。日隆聖人は伯父にあたる日存聖人・日道聖人とともに妙本寺の綱紀粛清に務めたが、対立によって妙本寺を去りました。本応寺は北側の五条坊門小路、南側の高辻小路、東側の西洞院大路、西側の油小路に囲まれていました。日隆聖人は日蓮宗の宗祖・日蓮聖人の念願である人々の口に「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげっきょう)」を唱えさせるべく教化を始めました。
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【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

  • 1418年(応永25年)に本能寺は妙本寺5世・月明上人の命によって破却されました。日隆聖人は河内(大阪)三井の本厳寺・尼崎(兵庫)の本興寺に移りました。本能寺・本興寺はともに山号がなく、両山一貫主制としていました。
  • 1429年(永享元年)に本能寺は小袖屋宗句の援助によって内野(西陣周辺)に再建されました。
  • 1433年(永享5年)に如意王丸を願主によって六角大宮に建立されました。
  • 1433年(永享5年)から寺号「本能寺」を使用しています。それ以前の1415年(応永22年)から1432年(永享4年)までは寺号「本応寺」を使用していました。「本応寺」・「本能寺」は「本門八品相応能弘之寺」という言葉に由来しています。ちなみに本能寺は創建以来、5度火災に見舞われていることから「能」の字は旁が「ヒ」ではなく、「去」が用いられています。
  • 室町時代に足利氏の保護を受け、本能寺が洛中法華21ヶ寺に数えられました。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】

  • 1536年(天文5年)に本能寺は延暦寺(えんりゃくじ)による天文法華の乱(てんもんほっけのらん)により、伽藍が焼失して堺(大阪)の顕本寺に逃れました。
  • 1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)の綸旨により、本能寺が堺からの帰洛が許されました。
  • 1545年(天文14年)に本能寺12代貫首・日承聖人(にちじょうしょうにん)が四条西洞院に再建しました。本能寺は北側の六角小路、南側の四条坊門小路、東側の西洞院大路、西側の油小路に囲まれ、子院が30余院もありました。
  • 1581年(天正9年)に堀・土居・石垣などが整備され、本能寺が城塞化されたと言われています。
  • 1582年(天正10年)6月21日(旧暦6月2日)に明智光秀(あけちみつひで)による本能寺の変によって焼失し、織田信長(おだのぶなが)が自害しました。織田信長は上洛中に妙覚寺(みょうかくじ)を宿所とすることが多かったが、本能寺は3度宿所になりました。本能寺の変の際には嫡男・織田信忠(おだのぶただ)が妙覚寺を宿所としていました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)】

  • 1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により、本能寺が現在の場所に移され、本能寺14代貫首・日衍聖人(にちえんしょうにん)が再建しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

  • 1615年(元和元年)に江戸幕府から本能寺に朱印地40石が与えられました。
  • 1788年(天明8年)に天明大火によって焼失しました。
  • 1840年(天保11年)に本能寺77代貫首・日恩聖人(にちおんしょうにん)が再建しました。
  • 1864年(元治元年)に蛤御門の変(はまぐりごもんのへん・禁門の変(きんもんのへん))によって焼失しました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

  • 明治維新後の上知令により、本能寺は境内の大半を失いました。
  • 1928年(昭和3年)に本堂が再建されました。

【本能寺の開山とされる日隆聖人】

日隆聖人は1385年(元中2年・至徳2年)に越中で生まれました。1402年(応永9年)に京都・妙本寺(妙顕寺)の妙本寺4世・日霽に師事し、その後伯父にあたる日存聖人・日道聖人に学びました。師・日霽が亡くなると妙本寺5世・月明上人と対立しました。1415年(応永22年)に本能寺の前身である本応寺を創建しました。1454年(享徳3年)に本興寺に勧学院を設けました。日隆聖人は本迹勝劣を説き、本門法華宗を興しました。なお日隆聖人は1464年(寛正5年)に亡くなりました。

【本能寺 備考】
*参考・・・本能寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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