千本釈迦堂の歴史-修学旅行・観光の簡単解説(求法上人

千本釈迦堂見どころ

千本釈迦堂(大報恩寺)の歴史を時代別年表にまとめ

千本釈迦堂(大報恩寺)の歴史を簡単にまとめています。千本釈迦堂は1221年(承久3年)に奥州藤原氏3代当主・藤原秀衡の孫で、比叡山延暦寺で修行した求法上人・義空が公卿・藤原光隆の従者・岸高から土地を寄進されたのが起源です。(時代別年表・重要人物下記参照)

千本釈迦堂見どころ

【千本通(朱雀大路)】

●千本釈迦堂の名称の由来になっている千本通はかつて南北に走っていた平安京の朱雀大路(すざくおおじ)が起源と言われています。千本通には千本の卒塔婆(そとば)が道に立てられていたとも、千本の桜または松が植えられていたとも言われています。

【千本釈迦堂の起源・始まり】

●千本釈迦堂は1221年(承久3年)に奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡(ふじわらひでひら)の孫で、比叡山(ひえいざん)で修行した求法上人(ぐほうしょうにん)・義空(ぎくう)が「猫間中納言(ねこまちゅなごん)」とも言われた公卿・藤原光隆(ふじわらのみつたか)の従者・岸高(がんこう)から土地を寄進されて創建したと言われています。1951年(昭和26年)の本堂解体修理の際に発見された求法上人・義空の願文により、本堂が1227年(安貞元年)に上棟されたことが分かりました。なお創建直後に求法上人・義空が第87代・四条天皇(しじょうてんのう)から倶舎(くしゃ)・天台(てんだい)・真言(しんごん)の三宗兼学を許されました。

スポンサーリンク(Sponsor Link)

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

●1227年(安貞元年)に現在の本堂(国宝)が創建されました。かつて草堂が建立されていたが、摂津国(兵庫県)尼崎の材木商から寄進され、本堂が完成しました。本堂は京洛最古の建造物とも言われています。ちなみに本堂の創建では大工の棟梁・長井飛騨守高次(ながいひだのかみたかつぐ)と自害した妻・おかめの伝説が残されています。
●文永年間(1264年~1275年)に吉田兼好(よしだけんこう)が記した随筆「徒然草(つれづれぐさ))に「千本の釈迦念仏は文永の比(ころ)如輪上人これを始められけり」と記され、第2世・如輪上人(にょりんしょうにん)が千本釈迦念仏(せんぼんしゃかねんぶつ)を始めたと言われています。千本釈迦念仏はお釈迦様が最後に説いた「遺教経(ゆいぎょうきょう)」を訓読みして奉唱し、最後に「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と唱える声明(しょうみょう)です。また如輪上人は伽藍も整備したと言われています。
●鎌倉時代に仏師・快慶(かいけい)の弟子・行快(ぎょかい)が本尊(秘仏)・釈迦如来坐像を造仏しました。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】

●1363年(正平18年・貞治2年)に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の命により、涅槃講(ねはんこう)が行われたとも言われています。
●1391年(元中8年・明徳2年)に山名氏による明徳の乱(めいとくのらん)が勃発したが、本堂は焼失を免れました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

●1401年(応永8年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が北野天満宮内に北野経王堂願成就寺を建立しました。足利義満は明徳の乱(山名氏清の乱)の戦没者と山名氏清を悼んで建立したと言われています。
●室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が勃発したが、本堂は焼失を免れました。細川勝元(ほそかわかつもと)を総大将とする東軍や山名宗全(やまなそうぜん)を総大将とする西軍から保護されたと言われています。
●室町時代中期に山城国・播磨国などの寺領を失ったとも言われています。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

●1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)から寺領の替え地100石が与えられたと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

●江戸時代初期に京都所司代・板倉勝重(いたくらかつしげ)が真言宗(しんごんしゅう)に改め、智積院(ちしゃくいん)の正玄寿の隠居所になったと言われています。
●1730年(享保15年)に大火に見舞われたが、本堂だけは類焼を免れました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

●明治維新後の神仏分離令(しんぶつぶんりれい)・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、北野天満宮(きたのてんまんぐう)の仏堂が解体され、北野経王堂願成就寺の部材を使って経王堂が建立されました。

【千本釈迦堂の開山である求法上人・義空】

求法上人・義空は1171年(嘉応3年)に奥州藤原氏第3代当主・藤原秀衡(ふじわらのひでひら)の孫、藤原忠明(ふじわらのただあき)の子として出羽で生まれました。幼少から学問を好み、鎌倉の月輪房で修行し、19歳で出家したと言われています。その後比叡山の澄憲(ちょうけん)から天台を学び。倶舎(くしゃ・法相宗(ほっそうしゅう))も研究しました。求法上人・義空は「論義故実聞書」を記しました。なお求法上人・義空は1241年(仁治2年)に亡くなりました。

【千本釈迦堂(大報恩寺)の歴史 備考】
*参考・・・千本釈迦堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

関連記事

京都観光おすすめ

  1. 錦市場(Nishiki Market)
  2. 竹林の道(Bamboo Forest Path)
  3. 嵐山
ページ上部へ戻る