平野神社の歴史は平城宮の宮中に祀られたのが起源とも

平野神社見どころ

平野神社の時代別年表と重要人物

平野神社は「続日本紀」に「田村後宮の今木大神に従四位を授ける」と記され、782年(延暦元年)には既に平城宮の宮中に祀られていました。794年(延暦13年)の平安京遷都とともに平安京に遷されたと言われています。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

平野神社見どころ(本殿・拝殿など)

【平城京・平城宮】

  • 平城京は第42代・文武天皇(もんむてんのう)の時代(697年(文武天皇元年)8月22日~707年(慶雲4年)7月18日)、707年(慶雲4年)から遷都の審議が始まり、708年(和銅元年)に第43代・元明天皇(げんめいてんのう)が遷都の詔(みことのり)を出し、710年(和銅3年)3月10日に藤原京から平城京に遷都しました。ただ遷都直後は内裏(だいり)・大極殿(だいごくでん)やその他の官舎だけが整備され、整備の途中であったと言われています。平城宮は平城京北部にあり、南北長さ約1キロ・東西長さ約1.3キロで、周囲に高さ約5メートルの大垣が巡らされ、朱雀門(すざくもん)などの12の門が設けられていたと言われています。

【平野神社の起源・始まり】

  • 平野神社は「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」に「田村後宮(たむらこうきゅう)の今木大神(いまきのおおかみ)に従四位(従四位上)を授ける」と記され、782年(延暦元年)には既に平城宮の宮中(第49代・光仁天皇(こうにんてんのう)の御所)に祀られていました。「貞観式(じょうがんしき)」によると祭神は当初、今木神・久度神(くどのかみ)・古開神(ふるあきのかみ)の三柱であったが、のちに相殿に比売神(ひめのかみ)が祀られたと言われています。
  • 平野神社は元々、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)の生母・高野新笠(たかののにいがさ)の祖神として、平城京に祀られた神祠が起源で、平安京遷都に伴って大内裏(だいだいり)近くに遷されて祀られたとも言われています。
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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

  • 794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京(へいあんきょう)遷都とともに平城京の田村後宮に祀られていた三神(今木神・久度神・古開神)が平安京に遷されたと言われています。平野神社は当初、境内が方八町余(約1,500メートル四方)で、現在の京都御所とほぼ同じ大きさだったと言われています。
  • 851年(仁寿元年)に勅使が平野神社に派遣されたことが「文徳天皇実録(もんとくてんのうじつろく)」に記されています。
  • 864年(貞観6年)に今木神の神階が最高位の正一位になりました。平野神社では神階が830年代から急速に上昇し、最終的に久度神・古開神が正三位、比売神が従四位上に昇叙しました。
  • 平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)成立」に「平野祭神四社 並名神大 月次新嘗」と記され、名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。また「延喜式神名帳」によると平野神社は全国で唯一の皇太子御親祭が定められました。ちなみに平野神社の例祭である平野祭では皇太子から奉幣を受け、臨時祭も勅祭にとされました。「延喜式神名帳」の「神祇官式・祝詞」に「皇大御神・皇大神」と称されています。
  • 981年(天元4年)に第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)が行幸し、その後皇太子守護の神社として、皇太子が自ら平野祭で奉幣を行いました。
  • 985年(寛和元年)に第65代・花山天皇(かざんてんのう)が行幸しました。皇胤繁栄(こういんはんえい)を祈願した平野臨時祭(勅祭)が桜花祭(おうかさい)の起源になりました。なお同年に花山天皇は桜を手植えしたと言われています。
  • 平安時代中期に二十二社の制の上七社で5番目に列せられました。1081年(承暦5年)に確定した二十二社の制の上七社に数えられました。
  • 平安時代後期に平野神社が八姓の祖神として信仰されるようになりました。奈良時代末期から「臣籍降下(しんせきこうか」が行われるようになり、臣籍降下した源氏・平氏や高階氏・大江氏・中原氏・清原氏・秋篠氏など天皇外戚の氏神として信仰されるようになりました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

  • 室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、焼失したと言われています。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】

  • 1532年(天文元年)に天文法華の乱(てんもんほっけのらん)により、焼失したと言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

  • 寛永年間(1624年~1644年)に公家・西洞院時慶(にしのとういんときよし)が第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の勅許により、社殿を修造しました。
  • 1626年(寛永3年)に本殿の南殿(第1殿・第2殿)、1632(寛永9年)に本殿の北殿(第3殿・第4殿)が再建されました。
  • 1650年(慶安3年)に第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))が拝殿などを再建しました。
  • 1651年(慶安4年)に御所の旧門を賜り、南門が建立されたと言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

  • 1872年(明治4年)に官幣大社(かんぺいたいしゃ)に列せられました。
  • 1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に列せられました。
  • 2005年(平成17年)に東大鳥居の改修の際、神号額「平野皇大神」が西洞院文昭(にしのとういんよしあき)の揮毫(きごう)で新調されました。
  • 2018年(平成30年)に台風21号の被害により、拝殿が倒壊し、数十本の桜の木が倒木するなどの甚大な被害を受けました。

【平野神社 備考】
*参考・・・平野神社(見どころ・アクセス・・・)ホームページ

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