虚空蔵法輪寺歴史-修学旅行・観光ポイント

虚空蔵法輪寺

虚空蔵法輪寺の時代別年表と重要人物

虚空蔵法輪寺歴史を簡単にマトメてポイント解説します。虚空蔵法輪寺は713年(和銅6年)に行基が元明天皇の勅願によって創建した木上山葛井寺が起源と言われています。829年(天長6年)に道昌が虚空蔵菩薩像を安置しました。なお虚空蔵法輪寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(葛野井宮)】

★虚空蔵法輪寺が建立されている場所には三光明星尊を祀った葛野井宮(かずいのぐう)があったと言われています。飛鳥時代(592年~710年)に秦(しん)の始皇帝(しんのしこうてい)の子孫で、弓月君(ゆづきのきみ・融通王(ゆうずうおう))の一族がこの地に渡来し、葛野井宮を産業・芸術の繁栄・安全守護の一族祖神として信仰したとも言われています。

【虚空蔵法輪寺創建(起源・由来)】

★虚空蔵法輪寺は寺伝によると奈良時代初期の713年(和銅6年)に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が第43代・元明天皇(げんめいてんのう)の勅願によって創建した木上山葛井寺(もくじょうざんかづのいでら)が起源と言われています。行基菩薩は堂塔を建立したと言われています。木上山葛井寺は国家安穏・万民の繁栄・五穀豊穣・産業の興隆を祈願する勅願所になったとも言われています。また木上山葛井寺は以後、歴代天皇の勅願所になったとも言われています。
★虚空蔵法輪寺創建後、真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)の師・勤操大徳(ごんぞうたいとく)、弘法大師・空海、真言宗中興の祖である興教大師(こうぎょうたいし)・覚鑁(かくばん)、華厳宗(けごんしゅう)中興の祖である明恵上人(みょうえしょうにん)、日蓮宗の宗祖である日蓮上人(にちれんしょうにん)らが参篭したと言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

★829年(天長6年)に弘法大師・空海の高弟・道昌僧正(どうしょうそうじょう)が本尊・虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)像を安置し、868年(貞観10年)に寺号が法輪寺に改められました。道昌僧正は師である弘法大師・空海から「虚空蔵菩薩の霊験ある相応の地は嵯峨葛井寺である」と教えられ、虚空蔵求聞持法の百日間参篭修行を行ないました。また道昌僧正は生身の虚空蔵菩薩を空中で感得し、虚空蔵尊像を自ら刻んで、神護寺(じんごじ)で弘法大師・空海自らの供養を経て、虚空蔵尊像を安置したと伝えられています。なお道昌僧正は承和年間(834年~848年)に桂川(かつらがわ・大堰川(おおいがわ))に橋を架け、現在の渡月橋(とげつきょう)の起源になったと言われています。
★874年(貞観16年)に山腹を開いて、堂塔が改修されたと言われています。、
★天慶年間(938年~947年)に市聖(いちひじり)と言われた空也上人(くうやしょうにん)が伽藍を修造したと言われています。
★平安時代中期に道命(どうみょう)が住持になりました。この頃に和泉式部(いずみしきぶ)が虚空蔵法輪寺に籠ったと言われています。
★平安時代中期に清少納言(せいしょうなごん)は「枕草子(まくらのそうし)」の中で、「寺は壷坂、笠置、法輪・・・」と記しました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】

★1206年(元久3年)に鳥羽上皇(第74代・鳥羽天皇(とばてんのう)が参詣しました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、1467年(応仁元年)に西軍の畠山義就(はたけやまよしひろ)が東軍の筒井光宣(つついみつのぶ)を虚空蔵法輪寺の門前で迎撃し、伽藍の多くが類焼したと言われています。以後、寺勢の衰退が続きました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

★1597年(慶長2年)に第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から再興勧進の勅旨が下賜され、諸国から浄財を募るとともに加賀(石川)前田家の帰依により、伽藍が再建・改築されました。勅号「智福山」を賜り、山号を木上山から智福山に改め、1607年(慶長11年)に盛大に落慶法要が行われました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

★江戸時代に伽藍の修理の際、朝廷から大勧進の勅旨が与えられることが慣例になり、江戸時代末期(幕末)まで前後7回に及んだと言われています。
★元和年間(1615年~1624年)に別当・禅宥以来、広沢流になったと言われています。
★江戸時代中期以降に十三詣りが盛んになったと言われています。
★1864年(元治元年)に禁門の変(きんもんのへん・元治の大火(げんじのたいか))によって伽藍が焼失しました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

★1884年(明治17年)に現在の本堂が再建され、その後客殿・玄関・回廊・庫裏・山門などが順次建立され、1914年(大正3年)に往事の寺観が復興しました。

【行基菩薩:虚空蔵法輪寺開山】

行基菩薩は668年(天智天皇7年)に高志才智と蜂田古爾比売の子として生まれました。682年(天武11年)に大官大寺で出家し、691年(持統天皇5年)に高宮寺の徳光禅師を戒師として受戒しました。飛鳥寺・薬師寺で法相宗初伝の道昭や法相宗の祖・義淵らに法相宗を学びました。704年(大宝4年)に生家を家原寺に改め、705年(慶雲2年)に母とともに大和の佐紀堂に移り、707年(慶雲4年)に母とともに生駒山の草野仙房に移り、母が亡くなると3年間喪に服しました。740年(天平12年)に第45代・聖武天皇から依頼されて大仏造立に協力し、743年(天平15年)に大仏造立の勧進に起用されました。しかし大仏造立中の749年(天平21年)に菅原寺で亡くなりました。なお行基菩薩は738年(天平10年)に朝廷から行基大徳の称号が授与され、745年(天平17年)に日本初の大僧正位を授与されました。

【虚空蔵法輪寺歴史-修学旅行・観光ガイド 備考】
*参考・・・虚空蔵法輪寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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