浄瑠璃寺歴史-修学旅行・観光ポイント

浄瑠璃寺

浄瑠璃寺歴史の簡単まとめ

浄瑠璃寺歴史を簡単にマトメてポイント解説します。浄瑠璃寺は奈良時代に第45代・聖武天皇が僧・行基に命じて創建させたとも、1047年(永承2年)に奈良当麻出身の僧・義明が薬師如来を安置して創建したとも言われています。なお浄瑠璃寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(小田原)】

★浄瑠璃寺が建立されている場所一帯は古くから小田原と言われ、平安時代後期に多くの修行僧が集まり、丘陵地の谷や峯に庵を営んでいました。小田原は大きく東西に二分され、東側は随願寺(廃寺)を中心に子院や庵が集まり、西側は浄瑠璃寺が中心で、西小田原とも言われました。

【浄瑠璃寺創建(起源・由来)】

★浄瑠璃寺は「興福寺官務牒疏(こうふくじかんむちょうそ)1441年(嘉吉元年)」によると奈良時代(794年~1185年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)に命じて創建させたとも言われています。また「雍州府志(ようしゅうふし)」によると平安時代中期の天元年間(978年~983年)に多田満仲が創建したとも言われています。
★浄瑠璃寺は「浄瑠璃寺流記事(じょうるりじるきのこと)」によると平安時代中期の1047年(永承2年)に奈良当麻(たいま)出身の僧・義明上人(ぎみょうしょうにん)が本堂を建立し、薬師如来(やくしにょらい)を安置して創建したとも言われています。檀那(だんな)は阿知山大夫重頼(あちやまだゆうしげより)だったと言われています。なお浄瑠璃寺の寺号は東方浄瑠璃浄土(とうほうじょうるりじょうど)の教主・薬師如来(薬師瑠璃光如来)に由来しています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★1107年(嘉承2年)に本尊・薬師如来を西堂に移し、旧本堂を取り壊して新本堂を建立し、9体の阿弥陀如来(あみだにょらい)像を安置し、翌1108年(嘉承3年)に仏像の開眼供養を行ったと言われています。平安時代に横に長い本堂に9体の阿弥陀如来を安置した堂は京都を中心に30以上あったと言われているが、現存するのは浄瑠璃寺だけと言われています。
★1136年(保延2年)に梵鐘が鋳造されました。
★1146年(久安2年)に食堂・釜屋が建立されました。
★1150年(久安6年)に摂政・藤原忠通(ふじわらのただみち)の子で、興福寺(こうふくじ)の塔頭(たっちゅう)・一乗院(いちじょういん)の僧・覚継(恵心(えしん))が伽藍を整備する際に池を築造しました。
★1157年(保元2年)に本堂が池の西岸に壊渡(移建)されました。
★1159年(平治元年)に十万堂が建立されました。
★1178年(治承2年)に京都・一条大宮から三重塔が移建されたと言われています。また同年に鐘楼も建立されました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★1188年(文治4年)に春日大明神(かすがだいみょうじん)・若宮が鎮守社として勧請されたと言われています。
★1203年(建仁3年)に楼門・経蔵・閼伽井(あかい)が建立されました。
★1311年(延慶4年)に護摩堂が建立され、不動明王(ふどうみょうおう)三尊像が安置されたと言われています。
★鎌倉時代以降に浄瑠璃寺は岩船寺(がんせんじ)ともに奈良・興福寺(こうふくじ)の塔頭(たっちゅう)・一乗院(いちじょういん)の直末寺になったとも言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事・事件】

★1343年(興国4年・康永2年)に火災によって多くの伽藍を焼失したが、本堂・三重塔は焼失を免れました。
★1349年(正平4年・貞和5年)頃に「浄瑠璃寺流記事」によると南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)の腹心で、南朝2代で、第97代・後村上天皇(ごむらかみてんのう)の護持僧・文観房弘真(もんかんぼうこうしん)が浄瑠璃寺を拠点としました。文観房弘真は舎利宝珠(しゃりほうじゅ)などの霊宝を浄瑠璃寺に寄進しました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、兵火に見舞われたとも言われています。49あった伽藍は一堂一塔一門になったとも言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★1632年(寛永9年)に春日文書「浄瑠璃寺書き上げ」によると浄瑠璃寺に本堂・真言堂・塔(三重塔)・護摩堂・鎮守・鐘楼・念仏堂・楼門が建立され、16の子院があったと言われています。
★1652年(慶安5年)に潅頂堂が建立されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★明治時代初期に真言律宗(しんごんりっしゅう)に改め、奈良・西大寺(さいだいじ)の末寺になりました。なお浄瑠璃寺はかつて奈良・興福寺の塔頭・一乗院の末寺でした。
★1985年(昭和60年)に当尾京都府歴史的自然環境保全に指定されました。

【行基菩薩:浄瑠璃寺開山】

行基菩薩は668年(天智天皇7年)に高志才智と蜂田古爾比売の子として生まれました。682年(天武11年)に大官大寺で出家し、691年(持統天皇5年)に高宮寺の徳光禅師を戒師として受戒しました。飛鳥寺・薬師寺で法相宗初伝の道昭や法相宗の祖・義淵らに法相宗を学びました。704年(大宝4年)に生家を家原寺に改め、705年(慶雲2年)に母とともに大和の佐紀堂に移り、707年(慶雲4年)に母とともに生駒山の草野仙房に移り、母が亡くなると3年間喪に服しました。740年(天平12年)に第45代・聖武天皇から依頼されて大仏造立に協力し、743年(天平15年)に大仏造立の勧進に起用されました。しかし大仏造立中の749年(天平21年)に菅原寺で亡くなりました。

【浄瑠璃寺歴史-修学旅行・観光ガイド 備考】
*参考・・・浄瑠璃寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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