岩船寺歴史-修学旅行・観光ポイント

岩船寺

岩船寺歴史の簡単まとめ

岩船寺歴史を簡単にマトメてポイント解説します。岩船寺は「岩船寺縁起」によると奈良時代の729年(天平元年)に第45代・聖武天皇が夢想により、善根寺に籠居していた僧・行基に阿弥陀堂を建立させたのが起源とも言われています。なお岩船寺歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(葛野井宮)】

★岩船寺が建立されている場所一帯は古くから小田原と言われ、平安時代後期に多くの修行僧が集まり、丘陵地の谷や峯に庵を営んでいました。小田原は大きく東西に二分され、東側は廃寺になった随願寺(ずいがんじ)、西側は浄瑠璃寺(じょうるりじ)が中心になっていました。

【岩船寺創建(起源・由来)】

★岩船寺は「岩船寺縁起(がんせんじえんぎ)・1632年(寛永9年)編纂」によると奈良時代の729年(天平元年)に第45代・聖武天皇(しょうむてんのう)が出雲国(島根)不老山大社に行幸した際の夢想により、大和国鳴川(奈良市東鳴川町)の善根寺(ぜんこんじ)に籠居(ろうきょ)していた僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)に阿弥陀堂(あみだどう)を建立させたのが起源とも言われています。

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【奈良時代(710年頃~794年頃)の出来事・事件】

★749年(天平勝宝元年)に柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)が岩船寺の鎮守社として白山神(はくさんのかみ)を勧請したとも言われています。白山神社は京都府木津川市加茂町岩船上ノ門94にあります。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★平安時代前期に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)とその甥で、十大弟子に数えられた智泉大徳(ちせんだいとく)が伝法灌頂(でんぼうかんじょう)を修し、灌頂堂として新たに報恩院(ほうおんいん)を建立しました。報恩院が岩船寺の起源とも言われています。
★平安時代前期に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)が智泉大徳に皇子誕生の祈願を勅命し、810年(弘仁元年)に第2皇子・正良親王(第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう))が誕生し、813年(弘仁4年)に嵯峨天皇の后・檀林皇后(だんりんこうごう・橘嘉智子(たちばなのかちこ))が本願になり、堂塔伽藍が建立され、「岩船寺」と号したと言われています。ちなみに岩船寺は最盛期に寺塔39坊の広壮を誇りました。
★大同年間(806年~810年)に「弘法大師弟子伝・1684年(貞享元年)成立)」によると檀林皇后が皇子誕生を祈願し、報恩院を建立したとも言われています。
★承和年間(834~847年)に第54代・仁明天皇が智泉大徳の遺徳を偲んで、三重塔を建立したと言われています。智泉大徳は825年(天長2年)に37歳で亡くなり、弘法大師・空海は「哀しい哉、悲しい哉、復悲しい哉。悲しい哉、悲しい哉、重ねて悲しい哉」と深い悲しみの言葉を残しています。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★1221年(承久3年)に後鳥羽上皇(第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう))が鎌倉幕府2代執権・北条義時(ほうじょうよしとき)の追討を謀って承久の乱(じょうきゅうのらん)が起こり、多くの伽藍が焼失しました。
★弘安年間(1278年~1288年)に東小田原の随願寺が荒廃し、堂塔・仏像などが岩船寺に移されたとも言われています。
★1279年(弘安2年)に寺基を現在の場所に移し、1285年(弘安8年)に落慶供養が行われたと言われています。1279年(弘安2年)に報恩院を移して本堂にしたと言われています。
★1287年(弘安10年)に岩船寺の僧が不動明王(ふどうみょうおう)立像磨崖仏(まがいぶつ)を制作したと言われています。
★1311年(応長元年)に兵火によって再び伽藍が焼失し、岩船寺は衰微したと言われています。
★1314年(正和3年)に妙空僧正が十三重石塔を建立したと言われています。また鎌倉時代に五輪石塔が東大寺別当・平智僧都の墓として建立されたとも言われています。
★鎌倉時代以降に岩船寺は浄瑠璃寺ともに奈良・興福寺(こうふくじ)の塔頭(たっちゅう)・一乗院(いちじょういん)の直末寺になったと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★1442年(嘉吉2年)に三重塔が建立されました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★寛永年間(1624年~1643年)頃に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)らの寄進により、伽藍が修復されたと言われています。
★江戸時代前期に文了律師が勧進したとも言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★明治維新後に廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、興福寺が混乱し、岩船寺は無本寺・無住になったが、1881年(明治14年)に真言律宗(しんごんりっしゅう)の本山・西大寺(さいだいじ)の末寺になりました。
★1988年(昭和63年)に本堂が再建されました。

【智泉大徳:岩船寺開山】

智泉大徳は789年(延暦8年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の姉の子として讃岐国(香川)で生まれました。797年(延暦16年)に空海に連れられて奈良・大安寺の勤操に預けられ、802年(延暦21年)に空海の従者になり、804年(延暦23年)に受戒したと言われています。804年(延暦23年)7月に空海とともに従者として遣唐使船で唐(中国)に渡り、806年(大同元年)10月に帰国しました。809年(大同4年)に空海が第52代・嵯峨天皇の勅命によって入京して高雄山寺(神護寺)に入るとそれに従ったと言われ、812年(弘仁3年)に杲隣・実恵とともに高雄山寺の三綱に選ばれました。その後空海とともに高野山に入り、東南院に住したが、825年(天長2年)に東南院で亡くなったと言われています。空海は駆け付け、先に亡くなった智泉の死を悼んだと言われています。智泉大徳は真済・真雅・実恵・道雄・円明・真如・杲隣・泰範・忠延とともに空海の十大弟子に数えられています。

【岩船寺歴史-修学旅行・観光ガイド 備考】
*参考・・・岩船寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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