菅大臣神社の歴史は菅原道真の邸宅跡に神社が創建されたのが起源
菅大臣神社の時代別年表と重要人物
菅大臣神社の歴史は903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で亡くなった直後に菅原道真の邸宅跡に神社が創建されたのが起源と言われています。鎌倉時代に神社は南北両社に分かれ、南社が菅大臣神社になりました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【菅大臣神社が祀られている場所】
★菅大臣神社が祀られている場所は天神御所とも言われた祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の邸宅(白梅殿・紅梅殿)・菅家廊下(かんけろうか)と言われた学問所(私塾)があった言われています。邸宅などは仏光寺通(ぶっこうじどおり)を中心に南北二町・東西一町あったと言われています。菅原道真はこの地で生まれ、産湯の井戸(天満宮誕浴の井)が残されています。また菅原道真が「宇多上皇(第59代・宇多天皇(うだてんのう))を欺き惑わした」・「第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)を廃立して娘婿の斉世親王を皇位に就けようと謀った」という左大臣・藤原時平(ふじわらのときひら)の讒言(告げ口)により、901年(延喜元年)に太宰府(だざいふ)に左遷された際、菅原道真は和歌「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花 主なしとて 春を忘るな(拾遺和歌集)」を詠みました。ちなみに菅原道真はこよなく梅・松・桜を愛し、桜は悲しみに暮れて葉を落として枯れ、梅と松は菅原道真の後を追い、松は途中で力尽きて兵庫須磨で根を下ろし、梅は一晩の内に大宰府に飛来し、飛梅伝説が生まれました。
【菅大臣神社の起源・始まり】
★菅大臣神社は903年(延喜3年)に菅原道真が左遷された大宰府で亡くなった直後に菅原道真の邸宅(白梅殿・紅梅殿)跡に神社が創建されたのが起源と言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
★平安時代中期以降に度々兵火に見舞われたと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
★鎌倉時代に神社は南北両社に分かれ、白梅殿跡の南社が菅大臣神社になり、天神御所・白梅殿社などと言われ、紅梅殿跡の北社は北菅大臣神社(きたかんだいじんじんじゃ)になり、紅梅殿社などと言われました。
★鎌倉時代に菅大臣神社を巡り、北野天満宮と住人の間に争いがあったとも言われています。
★鎌倉時代から八町々天神と言われたとも言われています。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
★南北朝時代に菅大臣神社一帯が北野天満宮の社領になったと言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
★1614年(慶長19年)に菅原氏ゆかりの曼殊院宮良恕法親王(まんしゅいんのみやりょうじょほうしんのう)が再興しました。菅大臣神社は曼殊院が管轄したと言われています。なお曼殊院は天暦年間(947年~957年)に菅原道真を祭神として祀る北野天満宮が創建された際、是算国師(ぜざんこくし)が菅原家の出身だったことから初代別当職に任じられ、明治維新まで900年間も北野別当職を歴任しました。
★1788年(天明8年)に天明の大火で社殿が焼失したと言われています。
★1864年(元治元年)に元治の大火で社殿が焼失したと言われています。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
★1869年(明治2年)に1835年(天保6年)建立の下鴨神社(しもがもじんじゃ)の旧殿が移築され、現在の本殿が建立され、その後幣殿も建立されました。
★1873年(明治6年)に曼殊院から独立したと言われています。
★1901年(明治34年)に本殿・幣殿が八棟造(はちむねづくり)に改修しました。
【菅大臣神社の祭神とされる菅原道真】
菅原道真は845年(承和12年)に菅原是善と伴真成の娘の三男として生まれました。幼少から和歌・漢詩に優れ、862年(貞観4年)に文章生試験に合格し、867年(貞観9年)に文章生から2名が選ばれる文章得業生になり、正六位下・下野権少掾に叙任されました。877年(元慶元年)に大学寮紀伝道の教官である文章博士になり、880年(元慶4年)に父が亡くなると祖父以来の私塾・菅家廊下を主宰しました。886年(仁和2年)に讃岐守(讃岐国司)に任命されると讃岐国に下向したが、890年(寛平2年)に第59代・宇多天皇の側近として帰京し、893年(寛平5年)に参議に任ぜられ、太政官の最高幹部として国政を担う公卿に列しました。899年(昌泰2年)に右大臣に任命されたが、左大臣・藤原時平の讒言(告げ口)によって太宰府に左遷され、4人の子供も流刑に処されました。その後903年(延喜3年)に太宰府で亡くなりました。菅原道真の死後に京都で悪疫が続き、930年(延長8年)に清涼殿落雷事件も起こり、菅原道真の怨霊の仕業と恐れられました。朝廷は923年(延喜23年)に左遷を撤回し、官位を右大臣に復して正二位を贈り、993年(正暦4年)5月に正一位・左大臣を追贈し、同年10月に太政大臣を追贈しました。
【菅大臣神社 備考】
*参考・・・菅大臣神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)wikipedia