吉祥院天満宮の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
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吉祥院天満宮の歴史を時代別年表で紹介。
吉祥院天満宮の歴史は934年(承平4年)に朱雀天皇の勅願により、吉祥院聖廟と社殿を建立し、菅原道真の霊を祀ったの起源と言われています。吉祥院天満宮は北野天満宮も早く創建され、日本最初の天満宮と言われています。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【平安京遷都・菅原家の自邸】
★吉祥院天満宮が祀られている場所は祭神・菅原道真(すがわらのみちざね)の曽祖父・土師古人(はぜのふるひと)が794年(延暦13年)の平安京遷都の際、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)のお供をして賜り、自邸(菅原院・菅原殿)を構えた場所と言われています。784年(延暦3年)に奈良・平城京(へいじょうきょう)から京都・長岡京(ながおかきょう)に遷都したが、造長岡宮使長官・藤原種継(ふじわらのたねつぐ)の暗殺事件が起こり、平安京への再遷都が検討されました。792年(延暦11年)1月・5月に桓武天皇が遷都前に候補地であった平安京を視察し、翌793年(延暦12年)に大納言・藤原小黒麻呂、左大弁・紀古佐美らが派遣され、同年1月に和気清麻呂(わかのきよまろ)の建議もあり、桓武天皇が平安京遷都を決定し、794年(延暦13年)10月22日に長岡京から平安京に遷都しました。その後土師から菅原に改姓し、菅原道真の祖父・菅原清公(すがわらのきよきみ)が遣唐使として唐(中国)に向かう際、または帰国の際に嵐に見舞われたが、吉祥天女の霊験によって海難を逃れ、菅原家では吉祥天を信仰するようになりました。祖父・菅原清公または父・菅原是善(すがわらのこれよし)が自邸内に吉祥天を祀る吉祥院を建立しました。吉祥天の開眼供養は天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいしょう)が行ったとも言われています。その後845年(承和12年)に菅原道真が自邸内で誕生し、18歳の転居までこの地で過ごしたとされています。境内には菅原道真の臍の緒(へそのお)を埋めたと伝えられる胞衣塚(えなづか)、少年時代に習字に使ったと伝わる硯之水、参朝の際に顔を映したという鑑(かがみ)の井があります。菅原道真は大宰府に左遷された際、この地を望んで、「君が住む 宿の梢を ゆくゆくと 隠るるまでも かへり見しはや」と詠んだとも言われています。なお吉祥院の地名は吉祥天を祀る吉祥院に由来すると言われています。
【吉祥院天満宮の起源・始まり】
★吉祥院天満宮は平安時代前期の934年(承平4年)に第61代・朱雀天皇(すざくてんのう)の勅願により、吉祥院聖廟と社殿を建立し、菅原道真の霊を祀ったの起源と言われています。吉祥院天満宮は947年(天暦元年)に創建された北野天満宮(きたのてんまんぐう)よりも早く創建され、日本最初の天満宮と言われています。なお903年(延喜3年)に菅原道真が大宰府で亡くなり、その後大和国(奈良)の吉野・金峯山(きんぷせん)で修行していた日蔵上人(にちぞうしょうにん)が菅原道真の霊から誓願を受け、朱雀天皇に奏上し、朱雀天皇が怨霊鎮魂の為に創建したと言われています。朱雀天皇は自ら菅原道真の幼少像を刻んだとも言われています。なお朱雀天皇は923年(延長元年)に第60代・醍醐天皇(だいごてんのう)と中宮・藤原穏子(ふじわらのおんし)の第11皇子として生まれ、903年(延喜3年)に大宰府で亡くなった菅原道真の祟りを避ける為、3歳になるまで御殿の格子も上げず、昼夜明かりを灯して御帳台(みちょうだい)の中で育てられたとも言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
★999年(長徳5年)に菅原道真の子孫が吉祥院聖廟で詩会を行ったと言われています。
★1066年(治暦2年)に天神堂が建立され、菅原道真の霊が遷されたと言われています。
★1109年(天仁2年)に菅原道真200年忌に第74代・鳥羽天皇(とぼてんのう)が勅祭を行ない、その後2月25日に歴代天皇が勅祭を行ったと言われています。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
★1243年(仁治4年)に桂川が氾濫した際、大蔵卿・菅原為長が吉祥院天満宮を移転させようとしたが、一夜で小松が生えて水難を逃れたとも言われています。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
★1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)に社領を没収され、勅祭が廃止になったと言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
★江戸時代中期に社殿が再建されたとも言われています。
★1850年(嘉永3年)に吉祥院(吉祥天女社)が再建されました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
★明治維新後に神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が行われたが、吉祥院(吉祥天女社)は神仏習合(しんぶつしゅうごう)時代の仏堂建築のままで、吉祥天像が祀られています。
★1895年(明治28年)頃に本殿が再建されたと言われています。
★1953年(昭和28年)に本殿が改築されました。
★1977年(昭和52年)に祝詞殿が建立されました。
★2002年(平成14年)に拝殿が改築されました。
★2004年(平成16年)に文章院が建立されました。
【吉祥院天満宮を創建したと言われる第61代・朱雀天皇】
第61代・朱雀天皇は923年(延長元年)に第60代・醍醐天皇と中宮・藤原穏子の第11皇子として生まれました。925年(延長3年)に皇太子になり、930年(延長8年)に父・醍醐天皇の危篤を受け、朱雀天皇に即位しました。935年(承平5年)に平将門の乱、936年(承平6年)に藤原純友の乱が起こったり、937年(承平7年)に富士山の噴火などの災害・変異が起こったりしました。朱雀天皇は病弱だったことから皇子女に恵まれず、944年(天慶7年)に同母弟・成明親王(第62代・村上天皇)を東宮(皇太弟)にし、946年(天慶9年)に村上天皇に譲位しました。朱雀天皇は母・藤原穏子の言に従って譲位したが、その後後悔したと言われています。952年(天暦6年)に出家して仁和寺に入りました。なお第61代・朱雀天皇は952年(天暦6年)に崩御しました。
【吉祥院天満宮 備考】
*参考・・・吉祥院天満宮