延暦寺の歴史は伝教大師・最澄が一乗止観院を結んだのが起源
延暦寺の時代別年表と重要人物
延暦寺は788年(延暦7年)に天台宗の宗祖である伝教大師・最澄が自ら刻んだ薬師如来を本尊とする一乗止観院を結んだのが起源です。最澄没後の823年(弘仁14年)に嵯峨天皇から最初の年号寺・延暦寺が許されました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【延暦寺が建立されている場所】
- 延暦寺が建立されている場所は古代から比叡山(ひえいざん)の地主神・大山咋神(おおやまくいのかみ)が鎮座する神山として崇められていました。その後比叡山では近江守(おうみのかみ)・藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)が父・藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)の為に宝殿を建立して修行したとも、天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)の父・三津首百枝(みつのおびとももえ)が草庵を結び、男児(最澄)誕生を祈願したとも言われています。
【延暦寺の起源・始まり】
- 延暦寺は奈良時代末期の788年(延暦7年)に伝教大師・最澄が自ら刻んだ薬師如来(やくしにょらい・薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい))を本尊とする草庵・一乗止観院(いちじょうしかんいん)を結んだのが起源と言われています。伝教大師・最澄は大和国(奈良)三輪山(みわやま)から大物主神(おおものぬしのかみ)の分霊を比叡山に勧請して大比叡とし、従来の地主神・大山咋神を小比叡としたとも言われています。
【奈良時代(710年頃~794年頃)の歴史・出来事】
- 790年(延暦9年)に八部院(はちぶいん)が建立されました。
- 791年(延暦10年)に延暦寺が第50代・桓武天皇(かんむてんのう)の御願寺(ごがんじ)になり、794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇が行幸して落慶法要が行われたと言われています。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
- 804年(延暦23年)に延暦寺開山である伝教大師・最澄は真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)らとともに遣唐使(けんとうし)として入唐し、805年(延暦24年)に帰国しました。
- 806年(延暦25年)1月26日に勅許によって天台宗(てんだいしゅう)が公認されました。
- 822年(弘仁13年)6月4日に伝教大師・最澄が亡くなりました。伝教大師・最澄は12年間比叡山延暦寺に篭もって修学・修行するの教育制度を確立し、天台宗の基礎を築いた第3代天台座主(てんだいざす)である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)、天台寺門宗(てんだいじもんしゅう)の宗祖である智証大師(ちしょうだいし)・円珍(えんちん)、浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖である法然上人(ほうねんしょうにん)、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の宗祖である親鸞聖人(しんらんしょうにん)、融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)の宗祖である良忍上人(りょうにんしょうにん)、時宗(じしゅう)の宗祖である一遍上人(いっぺんしょうにん)、臨済宗(りんざいしゅう)の宗祖である栄西禅師(えいさいぜんじ)、曹洞宗(そうとうしゅう)の宗祖である道元禅師(どうげんぜんじ)、日蓮宗(にちれんしゅう)の宗祖である日蓮聖人(にちれんしょうにん)などを輩出しました。なお比叡山には最盛期三千もの寺院が建ち並んでいたと言われています。
- 823年(弘仁14年)に第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)から最初の年号寺・延暦寺が許されました。
- 854年(仁寿4年)に慈覚大師・円仁が第3代天台座主になり、859年(天安3年)に智証大師・円珍(えんちん)が園城寺(おんじょうじ・三井寺(みいでら))長吏になり、その後円仁派(山門派)と円珍派(寺門派)に分かれて激しく対立するようになります。なお868年(貞観10年)に智証大師・円珍が第5代天台座主になりました。
- 866年(貞観8年)に清和天皇から最澄に伝教大師、円仁に慈覚大師という諡号(しごう)を賜りました。
- 935年(承平5)に火災により、根本中堂など延暦寺の伽藍の多くを焼失したと言われています。その後も度々焼失します。
- 平安時代中期頃に八坂神社・北野天満宮が延暦寺に属しました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
- 1192年(建久3年)に慈円(じえん・慈鎮(じちん))が天台座主になりました。 慈円は1201年(建仁元年)・1212年(建暦2年)・1213年(建暦3年)にも天台座主になりました。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
- 1336年(延元元年・建武3年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)と戦う為に延暦寺に立て籠もりました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
- 1419年(応永26年)は室町幕府第6代将軍となる足利義教(あしかがよしのり・義円)が第153代天台座主になりました。義教は室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の子として生まれ、青蓮院(しょうれんいん)に入寺して門跡になり、その後天台座主になりました。1425年(応永32年)に室町幕府5代将軍・足利義量(あしかがよしかず)が亡くなり、1428年(応永35年)に義量の父で、室町幕府4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)も亡くなると石清水八幡宮での籤引き(くじびき)で室町幕府第6代将軍になりました。なお義教は将軍就任後に延暦寺と対立するようになり、有力な僧侶を誘い出して斬首しました。これに反発した延暦寺の僧侶は根本中堂に立て籠って激しく抗議し、その後根本中堂に火を放って焼身自殺しました。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】
- 1571年(元亀2年)に織田信長(おだのぶなが)が浅井(あざい)氏・朝倉(あさくら)氏と通じた延暦寺を焼き討ちし、伽藍の多くが焼失しました。
- 1582年(天正10年)に本能寺の変で織田信長が自害すると青蓮院尊朝法親王が延暦寺再興の為に朝廷・諸大名などに勧進を始めました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
- 1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が延暦寺再興を許可し、1604年(慶長9年)に豊臣秀吉の側室・淀殿(よどどの)が横川の中堂を再建しました。なお豊臣秀吉は1,573石の寺領を寄進しました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
- 1607年(慶長12年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が天海大僧正(てんかいだいそうじょう)に延暦寺再興を命じ、1642年(寛永19年)に天海大僧正の進言により、江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)が根本中堂を再建しました。なお徳川家康は3,427石の寺領を寄進しました。
- 1625年(寛永2年)に天海大僧正が江戸の鬼門鎮護の為、寛永寺(かんえいじ)を創建すると天台宗の宗務は寛永寺に移されました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
- 明治維新後の神仏分離令により、延暦寺から日吉大社(日吉山王社)を分離しました。
- 1870年(明治3年)に山門派(さんもんは)・寺門派(じもんは)・盛門派に分裂しました。
- 1994年(平成6年)に延暦寺はユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されました。
【延暦寺の開山とされる伝教大師・最澄】
767年(神護景雲元年)に近江国滋賀郡(滋賀県大津市)の豪族・三津首百枝の長男として生まれました。778年(宝亀9年)に近江国分寺で出家して行表の弟子になり、780年(宝亀11年)に得度しました。785年(延暦4年)に奈良・東大寺で具足戒を受け、788年(延暦7年)に比叡山に草庵を結び、根本中堂となる一乗止観院を創建しました。797年(延暦16年)に第50代・桓武天皇の内供奉十禅師になり、802年(延暦21年)に入唐求法の還学生に選ばれ、804年(延暦23年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海らとともに入唐し、中国・天台山で道邃・行満らに師事し、円・密・禅・戒の諸教を受け、805年(延暦24年)に帰国し、密教を伝える為に高雄山寺(神護寺)に灌頂壇を設け、806年(大同元年)に天台宗の開創が許されました。819年(弘仁10年)に比叡山に大乗戒壇建立を奏上したが、南都六宗の反対で許されず、822年(弘仁13年)に亡くなりました。死後7日目に大乗戒壇建立の勅許が下り、866年(貞観8年)に第56代・清和天皇から諡号・伝教大師が贈られました。
【延暦寺 備考】
*参考・・・延暦寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ