下鴨神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
下鴨神社の歴史を時代別年表にまとめ
下鴨神社の歴史を簡単にまとめています。下鴨神社は神武天皇の時代(紀元前660年~紀元前582年)に賀茂建角身命が比叡山西麓の御蔭山に降臨したのが起源と言われています。紀元前90年(崇神天皇7年)に瑞垣を修造した記録があります。(時代別年表・重要人物下記参照)
【糺の森一帯の発掘調査】
- 糺の森一帯の発掘調査により、縄文時代の土器や弥生時代の住居跡が発掘されました。なお糺の森には山背原野の原生樹林と同じ植生を現在も残していると言われています。
【下鴨神社の起源・始まり】
- 下鴨神社は初代・神武天皇(じんむてんのう)の時代(紀元前660年~紀元前582年)に祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が比叡山(ひえいざん)西麓の御蔭山(みかげやま)に降臨したのが起源とも言われています。日本最古の正史「日本書紀(にほんしょき)・720年(養老4年)完成」の神武天皇2年(紀元前659年)2月の条に賀茂建角身命を祀っていた氏族が葛野主殿県主部(鴨氏)と記されています。その後紀元前580年(綏靖天皇2年)に御生神事が行われ、紀元前28年(垂仁天皇27年)に御神宝が奉られたとも言われています。ちなみに「賀茂神宮賀茂氏系図」によると賀茂建角身命の子・鴨建玉依彦命から11代後の大伊乃伎命の孫・大二目命が鴨建角身命社を祀ったと記されています。
- 下鴨神社は「鴨社造営記」によると紀元前90年(崇神天皇7年)に下鴨神社で瑞垣(みずがき)の修造の記録があり、それ以前から祀られていたとも言われています。
【古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の歴史・出来事】
- 古墳時代後期の第29代・欽明天皇(きんめいてんのう)の時代(539年~571年)に葵祭(あおいまつり・賀茂祭(かもまつり))が下鴨神社で始まったと言われています。「本朝月令(ほんちょうがつりょう)」・「年中行事抄」によると544年(欽明天皇5年)4月に葵祭が行われたことが記されています。なお葵祭は欽明天皇の時代に風水害に見舞われて飢餓・疫病が流行し、賀茂大神(かものおおかみ)の崇敬者・卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせられたところ賀茂大神の祟りであると奏した為、4月吉日を選んで、馬に鈴を懸け、人は猪頭(いのがしら)を被り、駆競(くち・かけくらべ)して盛大に祭りを行ったことが始まりとされています。
【飛鳥時代(592年~710年)の歴史・出来事】
- 677年(天武天皇6年)に下鴨神社が官営神社になり、翌678年(天武天皇7年)に社殿が造営されたと言われています。
- 698年(文武天皇2年)に勅撰史書「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」によると葵祭に見物人が多く集まるので警備するようにと命令が出されたことが記されています。
【奈良時代(710年頃~794年頃)の歴史・出来事】
- 天平年間(729年~748年)頃に下鴨神社は上賀茂神社から分置されたとも言われています。
- 784年(延暦3年)に式年遷宮(しきねんせんぐう)が行われました。長岡京(ながおかきょう)遷都に伴って、下鴨神社は上賀茂神社とともに神階・従二位(じゅにい)を賜りました。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
- 794年(延暦13年)に平安京(へいあんきょう)遷都が行われ、下鴨神社は王城鎮護の神になり、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が初めて行幸しました。
- 807年(大同2年)に下鴨神社は神階・正一位(しょういちい)に叙され、葵祭(賀茂祭)が勅祭になりました。なお平安時代に祭りというと葵祭を指すほど隆盛しました。
- 810年(大同5年)に賀茂斎院(かもさいいん)が置かれ、第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王(さいおう)として仕えました。なお斎王は35代、約400年も続き、鎌倉時代前期の1212年(建暦2年)の第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう)の皇女・礼子内親王(れいしないしんのう)が最後になりました。
- 820年(弘仁11年)頃に第52代・嵯峨天皇の勅により、下鴨神社に神宮寺(じんぐうじ)が建立されました。なお神宮寺は明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって廃されました。
- 927年(延長5年)に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」と記され、下鴨神社は名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。
- 1036年(長元9年)に第68代・後一条天皇(ごいちじょうてんのう)の勅により、21年毎の式年遷宮(しきねんせんぐう)が始りました。
- 1081年(承暦5年)に下鴨神社は二十二社の上七社に列せられました。
- 平安時代末期に全国60余箇所の荘園・御廚が寄進されました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
- 1221年(承久3年)に承久の乱(じょうきゅうのらん)が起こり、兵火などによって焼失しました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
- 室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、兵火によって焼失し、葵祭は中止になって約200年途絶えました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
- 桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が下鴨神社から荘園を没収したが、540石を寄進しました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
- 1694年(元禄7年)に葵祭と下鴨神社の境外摂社・御蔭神社(みかげじんじゃ)の祭礼・御蔭祭が再開されました。
- 1854年(嘉永7年)に嘉永の大火によって内裏は炎上し、第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)が下鴨神社に一時避難し、一時的に仮の御所になりました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
- 明治維新後に神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、下鴨神社の神宮寺が廃寺になりました。
- 1871年(明治4年)に下鴨神社が官幣大社(かんぺいたいしゃ)に列せられました。
- 1883年(明治16年)に勅祭社に定められました。
- 1884年(明治17年)から葵祭が5月15日に行われるようになりました。葵祭はかつて旧暦4月の中の酉(なかのとり)の日または二の酉の年は下の酉の日に行われていました。
- 1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に列せられました。
- 1994年(平成6年)に下鴨神社はユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されました。
【下鴨神社の祭神とされる賀茂建角身命】
賀茂建角身命は下鴨神社の東本殿に祀られている玉依姫命(たまよりひめのみこと)の父で、上賀茂神社の本殿に祀られている賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)の外祖父になります。賀茂建角身命は初代・神武天皇の東征の際、八咫烏(やたがらす)となって皇軍を先導したと言われています。賀茂建角身命は導きの神・勝利の神とされ、方除け・厄除け・試験の合格などのご利益があるとも言われています。
【下鴨神社 備考】
*参考・・・下鴨神社(歴史・見どころ・・・)ホームページ