上賀茂神社(賀茂別雷命)歴史簡単まとめ

上賀茂神社見どころ

上賀茂神社歴史

上賀茂神社歴史を簡単にまとめて紹介しています。上賀茂神社は社伝によると神代の昔に祭神・賀茂別雷命が現社殿の北北西にある秀峰・神山に降臨したのが起源とも言われています。上賀茂神社は下鴨神社とともに賀茂氏の氏神を祀り、賀茂神社(賀茂社)と言われました。

【上賀茂神社歴史以外の情報】
上賀茂神社見どころ
上賀茂神社七不思議(見どころ)

★上賀茂神社歴史年表
【創建(起源・由来)の歴史 上賀茂神社】
●神代の昔に祭神・賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています。飛鳥時代後期の677年(天武天皇6年)に賀茂神宮が建立されたとも言われ、それ以前から祀られていたとも言われています。なお上賀茂神社は下鴨神社(しもがもじんじゃ)とともに古代氏族・賀茂氏の氏神を祀り、下鴨神社とともに賀茂神社(賀茂社)と言われました。上賀茂神社は上賀茂社・上社とも言われたそうです。

【古墳時代の歴史 下鴨神社】
●古墳時代後期の第29代・欽明天皇(きんめいてんのう)の時代(539年~571年)に葵祭(賀茂祭)が始まったと言われています。なお「本朝月令(ほんちょうがつりょう)」・「年中行事抄」によると544年(欽明天皇5年)4月に葵祭が行われたことが記されています。

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【飛鳥時代の歴史 上賀茂神社】
●698年(文武天皇2年)に勅撰史書「続日本紀(しょくにほんぎ)・平安時代初期編纂」によると葵祭に見物人が多く集まるので警備するようにと命令が出されたことが記されています。

【奈良時代の歴史 上賀茂神社】
●784年(延暦3年)に長岡京遷都(ながおかきょうせんと)が行われ、下鴨神社とともに神階・従二位(じゅにい)を賜ったと言われています。

【平安時代の歴史 上賀茂神社】
●794年(延暦13年)に平安京遷都(へいあんきょうせんと)が行われ、上賀茂神社は皇城鎮護の神になり、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が行幸したと言われています。
●807年(大同2年)に最上位である神階・正一位(しょういちい)に昇叙し、葵祭が勅祭になりました。
●810年(大同5年)に賀茂斎院(さいいん)が置かれ、第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)の皇女・有智子内親王(うちこないしんのう)が初代斎王として仕えました。なお斎王は35代、約400年も続き、鎌倉時代前期の1212年(建暦2年)の第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう)の皇女・礼子内親王(れいしないしんのう)が最後になりました。
●820年(弘仁11年)に第52代・嵯峨天皇の勅により、神宮寺(じんぐうじ)が建立されました。
●927年(延長5年)に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)」に「山城国愛宕郡 賀茂別雷神社」と記されて名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。
●968年(安和元年)に式年造営が行われました。
●1036年(長元9年)に第68代・後一条天皇(ごいちじょうてんのう)の勅により、21年毎の式年遷宮(しきねんせんぐう)が始り、1037年(長暦元年)に式年造営が行われました。
●1093年(寛治7年)に第73代・堀河天皇(ほりかわてんのう)が天下太平と五穀豊穣を祈願する武徳殿(ぶとくでん)の宮中行事を上賀茂神社に移し、葵祭の賀茂競馬(かもくらべうま)の起源になりました。
●1182年(寿永元年)に神主・賀茂重保(かものしげやす)が曲水宴(すいのえん)を催しました。

【鎌倉時代の歴史 上賀茂神社】
●1183年(寿永2年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が荘園を安堵しました。

【南北朝時代の歴史 上賀茂神社】
●1334年(建武元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が上賀茂神社に行幸しました。ただ天皇の行幸は江戸時代後期の第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)まで断絶します。

【室町時代の歴史 上賀茂神社】
●室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、葵祭は中止になって約200年途絶えました。1476年(文明8年)に本殿などの社殿が焼失しました。

【安土桃山時代の歴史 上賀茂神社】
●1574年(天正2年)に織田信長(おだのぶなが)が葵祭の賀茂競馬に馬を出しました。
●1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が式年遷宮を行ったと言われています。

【江戸時代の歴史 上賀茂神社】
●1600年(慶長5年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が上賀茂神社に参拝しました。1610年(慶長15年)に駿府城の徳川家康に二葉葵を献上し、毎年二葉葵を徳川将軍家に献上する葵使(あおいつかい)が始まりました。
●1628年(寛永5年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠(とくがわひでただ)が第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)とその中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))の御願により、社殿を建立しました。
●1694年(元禄7年)に葵祭が再開されました。
●1708年(宝永5年)に御所が焼失し、細殿が第113代・東山天皇(ひがしやまてんのう)の仮の御所・行在所(あんざいしょ)になりました。
●1863年(文久3年)に第121代・孝明天皇(こうめいてんのう)が攘夷(じょうい)祈願の為、江戸幕府14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)らと上賀茂神社に行幸しました。孝明天皇から式年遷宮の勅があり、本殿・権殿が建て替えられました。

【明治時代以降の歴史 上賀茂神社】
●明治維新後に神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって神宮寺が廃寺になりました。
●1871年(明治4年)に官幣大社(かんぺいたいしゃ)の筆頭とされました。
●1883年(明治16年)に勅祭社に定められました。
●1994年(平成6年)に上賀茂神社はユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されました。

★下鴨神社歴史上祭神
【賀茂別雷命 上賀茂神社】
賀茂別雷命は本殿に祀られています。賀茂別雷命は下鴨神社の東本殿に祀られている祭神・玉依姫命の子神になります。神代の時代に天上で雷鳴が轟き、一本の丹塗矢が降ってきました。山背国に住んでいた賀茂一族の姫・玉依比売命が石川の瀬見の小川で身を清めていると川上から流れて来た一本の丹塗矢を不思議に思って持ち帰り、床に祀って眠っていると矢に籠もっていた不思議な力によって懐妊し、賀茂別雷命が生まれたと言われています。その後賀茂別雷命が元服を迎えた際、祖父・賀茂建角身命が八尋殿を造り、神々を招いて七日七夜の祝宴を催しました。賀茂建角身命が賀茂別雷命に対し、「父と思う神に盃をすすましめよ」と言って盃を渡すと賀茂別雷命は「我が父は天津神」と言って盃を天上に向けて投げ、甍を破って雷鳴とともに天へ昇ったと言われています。

【文化財・見どころ 上賀茂神社】
●本殿(国宝)は1863年(文久3年)に建て替えられました。
●権殿(国宝)は本殿と同じく1863年(文久3年)に建て替えられました。
●細殿(重要文化財)は1628年(寛永5年)に建て替えられました。
●忌子殿(重要文化財)は1628年(寛永5年)に建て替えられました。
●舞殿(重要文化財)は1863年(文久3年)に建て替えられられました。
●外幣殿(重要文化財)は1628年(寛永5年)頃に建て替えられ、1880年(明治13年)に改修されました。
●高倉殿(重要文化財)は1628年(寛永5年)頃に建て替えられました。
●御供所(重要文化財)は1628年(寛永5年)頃に建て替えられました。
●楽屋(重要文化財)は1628年(寛永5年)頃に建て替えられ、1880年(明治13年)に改修されました。
●土屋(重要文化財)は1628年(寛永5年)頃に建立されました。
●神宝庫(重要文化財)は1628年(寛永5年)に建立されました。
●唐門(重要文化財)は1628年(寛永5年)頃に建立されました。
●楼門(重要文化財)は1628年(寛永5年)に建立されました。
●中門(重要文化財)は1628年(寛永5年)に建立されました。
●庭園・渉渓園は1960年(昭和35年)に作庭家・中根金作が作庭しました。

【上賀茂神社歴史 下鴨神社】
下鴨神社は上賀茂神社ととも賀茂社と言われていました。下鴨神社は社伝によると初代・神武天皇(じんむてんのう)の時代に比叡山(ひえいざん)西麓の御蔭山(みかげやま)に祭神・賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)が降臨したのが起源とも言われています。

【上賀茂神社歴史 備考】
*参考・・・上賀茂神社(拝観料・アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

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