東寺歴史の簡単マトメ-修学旅行・観光の解説

東寺見どころ(To-ji Temple) 

東寺歴史の簡単マトメ-年表と重要人物

東寺歴史を簡単にまとめてポイント解説します。東寺は796年(延暦15年)に桓武天皇の発願により、国家鎮護の官寺として建立され、823年(弘仁14年)に弘法大師・空海が嵯峨天皇から賜りました。なお時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

東寺見どころ(金堂・五重塔など)

【前史(平安京)】

★奈良時代後期の784年(延暦3年)に奈良・平城京(へいじょうきょう)から京都・長岡京(ながおかきょう)に遷都したが、造長岡宮使長官・藤原種継(ふじわらのたねつぐ)の暗殺事件が起こり、平安京への再遷都が検討されました。793年(延暦12年)1月に和気清麻呂(わかのきよまろ)の建議により、第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が平安京遷都を決定し、794年(延暦13年)10月22日に長岡京から平安京に遷都しました。

【東寺創建(起源・由来)】

★東寺は平安時代初期の796年(延暦15年)に第50代・桓武天皇の発願により、西寺(さいじ・右大寺(うだいじ))とともに国家鎮護の官寺(左大寺(さだいじ))として、平安京(へいあんきょう)の入口である正門・羅城門(らじょうもん)の東に創建されました。東寺の記録(歴史)書「東宝記(とうぼうき)・南北朝時代成立」によると794年(延暦13年)の桓武天皇による平安京遷都直後に造寺長官・藤原伊勢人(ふじわらのいせひと)が工事責任者として建立されたと言われています。東寺・西寺は緑色をした緑釉瓦(りょくゆうがわら)に朱の柱、白壁の大伽藍が建ち並び新しい平安京を象徴するものだったと言われています。東寺・西寺は左右対照に建立され、東寺は平安京の左京、西寺は平安京の右京、または東寺は東国、西寺は西国を守る意味が込められているとも言われています。なお東寺は唯一残された平安京の遺構とも言われています。

【平安時代(710年頃~794年頃)の出来事】

★東寺は823年(弘仁14年)に真言宗(しんごんしゅう)の宗祖である弘法大師(こうぼうだいし)・空海(くうかい)が第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)から賜り、真言密教の根本道場にしました。東寺は「教えの王、国を護る」から教王護国寺(きょうおうごこくじ)とも言われました。弘法大師・空海は嵯峨天皇が造営し、その後大覚寺(だいかくじ)となる離宮・嵯峨院(さがいん)で、嵯峨天皇の信任を得て、自ら刻んだと言われている五大明王(ごだいみょうおう)を安置する堂を建立し、修法を行ていました。また弘法大師・空海は嵯峨天皇と平城上皇(第51代・平城天皇(へいじょうてんのう))が対立した810年(弘仁元年)の薬子の変(くすこのへん)の際に勝利の祈祷を行いました。東寺は第51代・平城天皇と愛妾・藤原薬子(ふじわらのくすこ)の怨霊を鎮める国家鎮護の寺院にもなりました。
★823年(弘仁14年)頃に金堂が完成したと言われています。
★823年(弘仁14年)から東寺の執行は弘法大師・空海の母方の叔父・阿刀大足(あとのおおたり)の子孫が代々勤め、1871年(明治4年)まで続きました。
★825年(天長2年)に弘法大師・空海は東寺で密教の中心伽藍となる講堂の建立に着工し、839年(承和6年)に完成したと言われています。
★826年(天長3年)に弘法大師・空海が五重塔の建立に着手したが、実際に五重塔の建立が開始されたのは835年(承和2年)の弘法大師・空海没後の9世紀末だったと言われています。826年(天長3年)に五重塔建立の為、木材を東山から運搬して欲しいと朝廷に願いが出された記録が残されています。
★828年(天長5年)に弘法大師・空海が東寺境内に日本最初の私立学校・綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を創立しました。
★平安時代に五重塔・金堂などが焼失しました。また平安時代後期に東寺は源平の合戦などによって一時衰微したと言われています。

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【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★鎌倉時代前期に仏師・運慶(うんけい)が文覚上人(もんがくしょうにん)の依頼によって諸仏を修復しました。文覚上人は後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)の援助により、東寺再興を開始したと言われています。
★1233年(天福元年)に運慶の四男・康勝(こうしょう)が弘法大師・空海の坐像を完成させました。
★1239年(延応元年)から東寺境内で行われている弘法市が毎月行われるようになったと言われています。弘法市はかつて弘法大師・空海の命日である3月21日に毎年・1回行われていました。
★1240年(延応2年)頃から後白河法皇(第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう))の第6皇女・宣陽門院(せんようもんいん)が毎朝弘法大師・空海に食事を捧げる生身供(しょうじんく)を創始したと言われています。なお宣陽門院は弘法大師・空海を篤く信仰し、東寺に荘園を寄進したりしました。
★鎌倉時代に弘法大師信仰が高まり、東寺は皇族から庶民までに信仰され、「お大師様の寺」と言われるようになりました。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事】

★南北朝時代に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が東寺に陣を置き、新田義貞(にったよしさだ)と戦火を交えました。足利尊氏は東大門を閉めて難を逃れ、不開門(あかずのもん)とも言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★1486年(文明18年)に土一揆によって金堂・講堂・南大門など東寺の伽藍の多くが焼失しました。
★1491年(延徳3年)に講堂が再建されました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

★1591年(天正19年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が東寺の知行地2,030石を認めました。
★1596年(文禄5年)に慶長伏見大地震(けいちょうふしみじしん)によって講堂など東寺の伽藍が損壊したが、1598年(慶長3年)に豊臣秀吉の正室・北政所(きたのまんどころ)が講堂を修理しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★1603年(慶長8年)に豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)の寄進により、片桐且元(かたぎりかつもと)を奉行として金堂が再建されました。
★1644年(寛永21年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって五重塔が再建されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★1868年(明治元年)に鳥羽・伏見の戦い(とば・ふしみのたたかい)が起こった際、仁和寺宮嘉彰親王(にんなじのみやよしあきらしんのう)が征夷大将軍、西郷隆盛(さいごうたかもり)が総大将になった新政府軍の本陣が東寺に置かれ、江戸幕府征討の錦の御旗(にしきのみはた)が立ちました。なお同年に南大門などが焼失しました。
★1994年(平成6年)に東寺はユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」に登録されました。

【弘法大師・空海:東寺】

空海は774年(宝亀5年)に讃岐国多度郡屏風浦(香川県善通寺市)で父・佐伯直田公と母・阿刀大足の妹の間に生まれました。789年(延暦8年)に15歳で母方の叔父・阿刀大足のもとで論語・孝経・史伝などを学び、792年(延暦11年)に18歳で官僚育成機関である大学寮に入って官吏としての学問を修めました。その後仏道を志して山林で修行し、三論宗の僧で、東大寺別当・勤操のもとで南都仏教を学びました。804年(延暦23年)に遣唐使として唐(中国)に渡り、長安で青竜寺の恵果のもとで密教を学び、伝法阿闍梨位の灌頂を受け、遍照金剛の灌頂名を与えられました。806年(大同元年)に帰国し、真言密教を日本に伝えて真言宗の開祖になりました。816年(弘仁7年)から高野山で金剛峯寺創建に着手し、823年(弘仁14年)に東寺を賜って真言密教の道場にしました。なお弘法大師・空海は835年(承和2年)に高野山で亡くなりました。

【東寺 備考】
*参考・・・東寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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