毘沙門堂歴史-行基菩薩が護法山出雲寺を創建したのが起源

毘沙門堂(Bishamon-do Temple)

毘沙門堂歴史-修学旅行・観光ポイント

毘沙門堂の歴史は703年(大宝3年)に僧・行基菩薩が文武天皇の勅願により、護法山出雲寺を創建したのが起源です。795年(延暦14年)に桓武天皇が行幸した際、伝教大師・最澄作の毘沙門天を奉献したと言われています。なお歴史は時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています

毘沙門堂見どころ

【護法山出雲寺】

★毘沙門堂の前身である護法山出雲寺が建立されていた一帯からは奈良時代前期にさかのぼる古瓦が出土しました。ただ護法山出雲寺の遺構かどうかは明確ではありません。

【毘沙門堂の起源・始まり】

★毘沙門堂は飛鳥時代後期の703年(大宝3年)に僧・行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が第42代・文武天皇(もんむてんのう)の勅願により、護法山出雲寺を上京区出雲路に創建したのが起源と言われています。護法山出雲寺は京都御所の北側に建立されていました。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事・事件】

★788年(延暦7年)に天台宗(てんだいしゅう)の宗祖である伝教大師(でんぎょうだいし)・最澄(さいちょう)が自ら刻んだ薬師如来(やくしにょらい・薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい))を本尊とする延暦寺(えんりゃくじ)の前身である草庵・一乗止観院(いちじょうしかんいん)を結びました。
★794年(延暦13年)に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が平安京遷都を行い、795年(延暦14年)に桓武天皇が毘沙門堂に行幸した際、伝教大師・最澄が自ら刻んだ毘沙門天(びしゃもんてん)を奉献したと言われています。毘沙門天は伝教大師・最澄が自ら刻み、延暦寺(えんりゃくじ)根本中堂に安置されている本尊・薬師如来(やくしにょらい)の余材で刻まれたと伝えられいます。毘沙門天は京の七福神に数えられ、商売繁盛・家内安全にご利益があるとも言われています。ちなみに毘沙門天は天部(てんぶ)の仏神で、持国天(じこくてん)・増長天(ぞうじょうてん)・広目天(こうもくてん)とともに四天王(してんおう)に数えられています。毘沙門天は多聞天(たもんてん)とも言われ、北方守護の武神とされています。毘沙門天は室町時代から恵比寿(えびす)・大黒天(だいこくてん)・弁財天(べんざいてん)・寿老人(じゅろうじん)・福禄寿(ふくろくじゅ)・布袋(ほてい)とともに七福神の一神に数えられ、招福と勝負の神とされています。毘沙門天は日本で寅の年の寅の月の寅の日の寅の刻に鞍馬山に出現されたとされ、鞍馬寺が毘沙門信仰の発祥の地とされているそうです。
★1160年(平治元年)に毘沙門堂が平治の乱(へいじのらん)によって焼失して荒廃しました。
★1161年(応保元年)に北岩倉に移りました。
★1163年(長寛元年)に焼失しました。
★1165年(永万元年)に大原・来迎院(らいごういん)内に伽藍が仮建立されました。
★平安時代末期に荒廃したと言われています。

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【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★1195年(建久6年)に平親範(たいらのちかのり)が平家ゆかりの3つの寺院(護法寺・平等寺・尊重寺)を合寺して毘沙門堂を再興したと言われています。五間堂3棟が建立され、延暦寺根本中堂に倣って、護法寺を中心に西側に平等寺、東側に尊重寺が配置されました。毘沙門堂は1195年(建久6年)に塔ノ壇・旧出雲寺の地に移りました。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事・事件】

★1339年(延元4年・暦応2年)に毘沙門堂が焼失したと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、1467年(応仁元年)に毘沙門堂が焼失しました。
★1469年(文明元年)に伽藍が再建されました。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の出来事・事件】

★1571年(元亀2年)に毘沙門堂が焼失しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★1611年(慶長16年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)の側近で、天台宗の僧・天海大僧正(てんかいだいそうじょう)が第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から毘沙門堂再興の勅命が下されました。ただ1643年(寛永20年)に天海大僧正が亡くなりました。なお江戸幕府から山科・安祥寺(あんしようじ)の寺領の一部が与えられたと言われています。
★1665年(寛文5年)に天海大僧正の弟子・公海大僧正(こうかいだいそうじょう)が現在の場所に毘沙門堂を再興しました。
★江戸時代中期に第111代・後西天皇(ごさいてんのう)の皇子・公弁法親王(こうべんほっしんのう)が毘沙門堂に入寺して門跡寺院になりました。後西天皇の崩御後に御所の旧殿を賜り、1686年(貞享3年)に移築が開始され、1693年(元禄6年)に移築が完了しました。なお毘沙門堂は三千院(さんぜんいん)・妙法院(みょうほういん)・青蓮院(しょうれんいん)・曼殊院(まんしゅういん)とともに天台宗の京都五箇室門跡にも数えられました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★1871年(明治4年)に三門跡制(宮門跡・摂家門跡・准門跡)が廃止されたが、1885年(明治18年)に毘沙門堂が旧門跡の復称が許されました。

【毘沙門堂の開山とされる行基菩薩】

行基菩薩は668年(天智天皇7年)に高志才智と蜂田古爾比売の長子として河内国大鳥郡で生まれました。682年(天武11年)に大官大寺(大安寺)で出家し、法相宗初伝の道昭や法相宗の祖・義淵らに法相宗を学び、民衆に仏法の教えを説き、寺院や道場を創建するだけでなく、困窮者の為に布施屋の設立などの社会事業も行いました。740年(天平12年)に第45代・聖武天皇から依頼されて大仏造立に協力し、743年(天平15年)に大仏造立の勧進に起用されました。しかし大仏造立中の749年(天平21年)に菅原寺(喜光寺)で亡くなりました。なお行基菩薩は738年(天平10年)に朝廷から行基大徳の称号が授与され、745年(天平17年)に日本初の大僧正位を授与されました。

【毘沙門堂 備考】
*参考・・・毘沙門堂(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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