清水寺歴史年表(創建~現在)延鎮上人

清水寺見どころ

清水寺歴史

清水寺歴史を紹介しています。清水寺は奈良時代末期に奈良・興福寺の僧で、子島寺で修行していた延鎮上人・賢心が「木津川の北流に清泉を求めて行け」という霊夢により、音羽山に草庵を結んだのが起源と言われています。延鎮上人・賢心は行叡居士と出会いました。
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【清水寺歴史 年表】
(歴史・創建)
清水寺は奈良時代末期に奈良・興福寺(こうふくじ)の僧で、奈良・子島寺(こじまでら)で修行していた延鎮上人(えんちんしょうにん)・賢心(けんしん)が「木津川(きづがわ)の北流に清泉を求めて行け」という霊夢により、京都・音羽山(おとわやま)に草庵を結んだのが起源と言われています。延鎮上人・賢心は音羽山で長年修行続ける行叡居士(ぎょうえいこじ)と出会い、霊木に千手観音像(せんじゅかんのんぞう)を刻んで護持するようにとの遺命を受けました。その後行叡居士が姿を消しことから延鎮上人は行叡居士が観音の化身であると悟ったそうです。

(歴史・奈良時代)
780年(宝亀11年)に坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が妻・三善高子(みよしのたかこ)の安産の為に鹿の生き血を求めて音羽山に上り、延鎮上人に出会いました。しかし坂上田村麻呂は延鎮上人から鹿狩りの殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭されたことから自らの邸宅を仏殿(ぶつでん)に寄進しました。また坂上田村麻呂は妻とともに本尊・十一面千手観音像(じゅういちめんせんじゅかんのん)像と地蔵菩薩(じぞうぼさつ)・毘沙門天(びうしゃもんてん)を安置したとも言われています。

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(歴史・平安時代)
805年(延暦24年)に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)の御願寺(ごがんじ)になり、810年(弘仁元年)に鎮護国家の道場になり、第52代・嵯峨天皇(さがてんのう)から「北観音寺」の宸筆(しんぴつ)を賜りました。

(歴史・平安時代以後から江戸時代)
平安時代後期の1063年(康平6年)から江戸時代前期の1629年(寛永6年)までに記録に残るだけでも9回も焼失しました。現在の伽藍の多くは1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されたものです。

(歴史・明治時代以降)
明治維新後の神仏分離令により、清水寺の鎮守社・地主神社(じしゅじんじゃ)が清水寺から独立しました。
1965年(昭和40年)に法相宗(ほっそうしゅう)から独立し、北法相宗を開宗しました。

【清水寺 延鎮上人・賢心】
延鎮上人・賢心は平安時代前期の法相宗(ほっそうしゅう)の僧で、清水寺を開基しました。なお延鎮上人は報恩(ほうおん)に師事し、奈良の興福寺の僧となり、子島寺を継いだと言われています。

【清水寺 行叡居士】
行叡居士は「清水寺縁起」に記された伝承上の僧です。行叡居士は清水寺がある音羽山に庵を結んで長年修行続け、200歳と言われています。

【清水寺 坂上田村麻呂】
坂上田村麻呂は758年(天平宝字2年)に坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ)の次男または三男として生まれ、近衛府(このえふ)に勤仕しました。794年(延暦13年)に征夷大将軍・大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)に従って蝦夷(えぞ)を征討し、797年(延暦16年)に征夷大将軍になりました。その後陸奥胆沢城(いさわじょう)や志波城(しわじょう)を築きました。

【清水寺 国宝】
●本堂(清水の舞台)は1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光の寄進によって再建されました。
清水の舞台・清水寺歴史

【清水寺 重要文化財・建物】
●開山堂(田村堂)は本堂と同じく、1633年(寛永10年)に再建されました。
●三重塔は1632年(寛永9年年)に再建されました。
●子安塔(泰産寺)は1500年(明応9年)に再建されました。
●釈迦堂は1631年(寛永8年)に再建されたが、1972年(昭和47年)の集中豪雨によって倒壊し、1975年(昭和50年)に旧材を使って復元されました。
●阿弥陀堂は1631年(寛永8年)から1633年(寛永10年)に再建されました。
●経堂は1633年(寛永10年)に再建されました。
●朝倉堂は1633年(寛永10年)に再建されました。
●奥の院(奥の千手堂)は1633年(寛永10年)に再建されました。
●春日社は室町時代後期に再建され、1629年(寛永6年)に現在の場所に移されたと言われています。
●馬駐は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に再建されたと言われています。
●鐘楼は1607年(慶長12年)に再建されました。

【清水寺 重要文化財・門】
●仁王門(赤門)は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって焼失し、室町時代に再建されました。そして1629年(寛永6年)の大火による焼失も免れました。
●轟門(とどろきもん)は1631年(寛永8年)から1633年(寛永10年)に再建されました。
●北総門は1631年(寛永8年)から1639年(寛永16年)に再建されました。
●西門(さいもん)は1631年(寛永8年)に再建されました。

【清水寺 重要文化財・その他】
●梵鐘には「文明十年(1478年)」銘があり、室町時代中期に鋳造されたと言われています。

【清水寺 音羽の滝】
清水寺の名称の由来になったのが音羽の滝(おとわのたき)です。音羽の滝は清水寺が778年(宝亀9年)に創建されてから1200年以上一度も涸れたことがなく、1年を通してほぼ一定量の水がこんこんと湧き続けているそうです。
音羽の滝

【清水寺 地主神社】
清水寺のかつての鎮守社が地主神社(じしゅじんじゃ)です。なお地主神社は社伝によると神代(かみよ)の昔、つまり日本の建国以前に造営されたと言われています。
地主神社

【清水寺 成就院】
清水寺の塔頭のひとつが成就院(じょうじゅいん)です。なお成就院は1484年(文明16年)応仁の乱によって焼失した清水寺を再興した願阿上人(がんあしょうにん)の住房が起源です。その後成就院と名付けられ、清水寺の塔頭になりました。
成就院

【清水寺歴史 備考】
*参考・・・京都世界遺産・清水寺(アクセス・歴史概要・見どころ・・・)ホームページ

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