清水の舞台(飛び降り・高さ・大きさ・・・)清水寺見どころ

清水寺

清水の舞台・清水寺見どころ

清水の舞台を解説します。清水の舞台は元々清水寺の本尊・十一面千手観音立像(秘仏)に雅楽・能・狂言・歌舞伎などの芸能を奉納する場所でした。清水の舞台の両脇にある翼廊は音楽を奏でる楽舎に使われていました。清水の舞台では現在も重要な法会などで芸能が奉納されています。(詳細下記参照)

清水寺見どころ(清水の舞台・三重塔など)

【清水寺 基礎知識】

清水寺は奈良時代後期の778年(宝亀9年)に大和・興福寺の僧で、子島寺で修行していた延鎮上人・賢心が「南の地を去れ」という霊夢により、音羽山に庵を結んだのが起源と言われています。その後780年(宝亀11年)に坂上田村麻呂が延鎮上人から鹿狩りの殺生を戒められ、観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)の教えを諭され、自らの邸宅を仏殿(ぶつでん)に寄進しました。また坂上田村麻呂は妻とともに本尊・十一面千手観音像と地蔵菩薩・毘沙門天を安置したとも言われています。

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【清水の舞台・概要概略の解説】

●概要概略:清水の舞台は本堂と一帯になっています。清水の舞台と本堂は国宝で、崖(がけ)・錦雲渓(きんうんけい)の斜面にせり出すように建立されています。清水の舞台は元々本堂に安置されている清水寺の本尊・十一面千手観音(じゅういちめんせんじゅかんのん)立像(秘仏)に雅楽(ががく)・能(のう)・狂言(きょうげん)・歌舞伎(かぶき)などの芸能を奉納する場所でした。清水の舞台の両脇にある翼廊(よくろう)は音楽を奏でる楽舎(がくしゃ)に使われていました。なお清水の舞台では現在も重要な法会(ほうえ)などでは芸能が奉納されています。
●十一面千手観音:十一面千手観音は四十二の手(四十二臂)と十一の表情(十一面)で一切の衆生を救うとされています。合掌する二臂(手)以外の四十臂が数珠・宝鏡・宝弓などを持ち、四十臂それぞれが25の法力が宿るとされています。40×25=1,000になります。
●修復:清水の舞台では「平成の大修理」に伴って、2020年(令和2年)に16年振りに床板の張り替えが行われました。ちなみに床板は25年から30年ほどで張り替えられ、前回は2004年(平成16年)に行われました。今回の張り替えには合計166枚の木曽ヒノキ(檜)の板が使われました。また高欄(こうらん)には吉野ヒノキが使われました。同年12月3日には床板の張り替えと本堂の屋根の葺き替え完了に伴って、奉告法要が行われました。
●行事:清水の舞台では例年8月に六斎念仏(ろくさいねんぶつ)が奉納されています。なお2021年(令和3年)12月31日の紅白歌合戦では19年連続・19回目の出場となる歌手・水森かおりさんが雪が舞う中、清水の舞台で山口百恵さんの「いい日旅立ち」を歌唱しました。

【清水の舞台・起源由来の解説】

●起源由来:清水の舞台がいつ頃から建立されたかは明確ではありません。清水の舞台は平安時代後期の1,100年頃に初めて建立されたとも言われています。平安時代後期の公卿(くぎょう)で、蹴聖(しゅうせい)・藤原成通(ふじわらのなりみち)が清水の舞台の欄干(らんかん)で、蹴鞠(けまり)をしながら一往復したことが「成通卿口伝日記(なりみちきょうくでんにっき)」に記されているのが文献上の初見と言われています。
●藤原成通:藤原成通は人柄が優美で明朗、詩歌・笛・今様などに秀で、法令・風俗などの有職故実(ゆうそくこじつ)に通じていました。また馬・早業などにも優れ、特に蹴鞠は名人として「蹴聖(しゅうせい」と賞賛されました。蹴鞠庭に7千日立ち、その内の2千日は連日蹴り続けました。また1千日は休まずに蹴鞠をする千日行を達成しました。
●蹴鞠:蹴鞠は中国・戦国時代の蹴鞠(しゅうきく)が起源とも言われています。日本には飛鳥時代(538年頃)に仏教とともに中国から伝わったと言われています。

【清水の舞台・歴史時代の解説】

●歴史時代:清水寺は延鎮上人・賢心が音羽山に草庵を結んだのが起源だが、その後平安時代中期の1063年(康平6年)から江戸時代前期の1629年(寛永6年)までに記録に残るだけでも9回も焼失し、現在の清水の舞台(本堂)は江戸時代前期の1633年(寛永10年)に江戸幕府3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)の寄進によって再建されました。
●徳川家光:徳川家光は1604年(慶長9年)に江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の次男として生まれました。病弱で、吃音があり、弟・徳川忠長が生まれると世継ぎ争いが起こり、元和年間に春日局が徳川家康に直訴して世継ぎに決まりました。1623年(元和9年)に秀忠とともに上洛して伏見城で将軍宣下を受け、江戸幕府3代将軍になりました。徳川家光は武家諸法度・参勤交代制などの諸制度を整備したり、キリシタン禁制や貿易統制の為に鎖国を行ったりし、江戸幕府の基礎を確立しました。また神社仏閣に寄進したり、再建などに尽力しました。
●室町時代の歴史:清水の舞台(本堂)は室町時代中期の応仁の乱(おうにんのらん)で焼失し、その後願阿上人(がんあしょうにん)が再建したが、江戸時代前期の1629年(寛永6年)に大火で焼失していました。
●修理の歴史:清水の舞台(本堂)では1964年(昭和39年)~1967年(昭和42年)に屋根の葺き替え・床板の張り替えを中心とする大規模修理が行われ、京都府の技術職員が詳細な調査を行って精密な図面が初めて作成されました。

【清水の舞台・大きさ規模の解説】

●大きさ規模:清水の舞台は高さ約13メートルで、正面約18メートル・側面約10メートルです。清水の舞台は高さが4階建てのビルに匹敵し、広さは約100畳(面積約190平方メートル)です。清水の舞台では床に410枚以上のヒノキの板が敷き詰められています。
●本堂の大きさ:清水の舞台と一体となっている本堂は正面約36メートル・側面約30メートル・棟高18メートルです。

【清水の舞台・構造形式の解説】

●構造形式:清水の舞台は最長約12メートル・周囲約2メートルの柱など139本のケヤキ(欅)を釘を1本も使わない地獄止めにより、組み上げられています。縦横に何本もの貫(ぬき)が通され、木材同士が継ぎ手によって接合され、格子状(こうしじょう)に組まれています。清水の舞台の直下には18本の柱が使用されています。清水の舞台の構造は舞台造(ぶたいづくり)と言われています。ちなみに舞台造は懸造(かけづくり)・懸崖造り(けんがいづくり)・崖造り(がけづくり)などとも言われ、耐震性の高い構造と言われています。なお本堂は屋根が寄棟造(よせむねづくり)の檜皮葺(ひわだぶき)です。
●構造の由来:清水の舞台(本堂)が舞台造の理由は清水寺が本尊とする観音菩薩(かんのんぼさつ)がインドの南海岸にある八角形の補陀洛山(ふだらくさん)に現われるという「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)」に由来しています。

【清水の舞台・「清水の舞台から飛び降りる」の解説】

●飛び降り:清水の舞台は「清水の舞台から飛び降りる」という言葉のように江戸時代中期・後期(1694年(元禄7年)~1864年(元治元年))に235件の投身(未遂を含む)があったと言われています。投身の中には12歳の若者や80歳の老人、そして2度飛び降りて2度とも助かった女性もいたとも言われています。なお清水の舞台から飛び降りた理由は清水の観音さまに祈って飛び降りると命も助かり、願いも叶うということ、また運悪く亡くなったとしても観音さまの補陀落浄土(ふだらくじょうど)で、成仏(じょうぶつ)するといった願掛け・迷信によるものと言われています。
●飛び降りの禁止:明治時代に京都府から飛び降り禁止令が出され、事態は収束したそうです。
●飛び降りの記録:投身は記録に残されているものが全体で237件あったと言われています。
●絵・文献:江戸時代中期に浮世絵師・鈴木春信(すずきはるのぶ)が傘を両手に女性が宙を舞う「清水舞台より飛ぶ女」を描きました。江戸時代後期に十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)が「東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)」の中で、弥次(やじ)さん・喜多(きた)さんが清水寺の僧から「観音さまに願をかけて舞台より飛び降りる人がいるがけがをしない」と説明されたことが記されています。

【清水の舞台・植林植樹の解説】

●植林植樹:清水の舞台には樹齢300年から400年と言われるケヤキなどが使われていることから2000年(平成12年)から京都府の花背(はなせ)・京北町・舞鶴市の山林で、ケヤキの植林が行われています。ちなみに花背には約6,000本のケヤキが植林されているそうです。なお清水寺ではケヤキ以外にもヒノキの植林も行っています。
●補修:ケヤキは耐用年数が約800年とも言われています。ただ腐食や虫食いに見舞われることがあり、清水寺では傷んだ部分だけを切り取り、新しい木材を継ぎ足す根継ぎで補修しています。

【清水の舞台・清水寺見どころの簡単まとめ 備考】
*参考・・・清水寺(見どころ・歴史・・・)ホームページ

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