松尾大社の歴史は松尾山の山霊を磐座に祀ったのが起源
松尾大社の時代別年表と重要人物
松尾大社は太古の昔にこの地の住民が松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座に生活の守護神として祀ったのが起源です。701年(大宝元年)に秦忌寸都理が文武天皇の勅命により、山麓に社殿を建立して神霊遷しました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。
【松尾山(別雷山・雷山・分土山)】
- 松尾山は京都盆地西部で、嵐山の東南に位置する標高223メートルの山です。松尾山は別雷山(わけいかづちやま)・雷山・分土山(わけつちやま)なども言われました。松尾山は七谷に別れ、大杉谷に霊亀の滝があります。なお松尾山は歌枕で、「ちはやぶる 松のお山の 影みれば けふぞ千年の はじめなりける」などと詠まれました。
【松尾大社の起源・始まり】
- 松尾大社は太古の昔にこの地に住んでいた住民が松尾山の山霊を頂上に近い大杉谷の上部の磐座に生活の守護神として祀ったのが起源とも言われています。松尾山山頂付近には御神蹟と称する磐座が残されています。
【古墳時代(3世紀中頃~7世紀頃)の歴史・出来事】
- 5世紀頃に中国・秦の始皇帝(しんのしこうてい)の子孫と称する渡来系氏族・秦氏(はたうじ)が朝廷の招きでこの地に住み、首長が松尾山の神を秦氏一族の総氏神として祀り、開拓に従事したとも言われています。
【飛鳥時代(592年~710年)の歴史・出来事】
- 701年(大宝元年)に秦忌寸都理(はたのいみきとり)が第42代・文武天皇(もんむてんのう)の勅命により、松尾山山麓の現在の場所に社殿を建立し、磐座の神霊を社殿に遷しました。秦忌寸都理の女(妹)・知満留女(ちまるめ)が斎女として奉仕し、その後その子孫が1868年(明治元年)まで松尾大社の幹部神職を勤めました。
- 718年(養老2年)に知麻留女の子・秦忌寸都駕布(はたのいみきつがふ)が初めて松尾大社の祝(神職)を務めました。
【奈良時代(710年頃~794年頃)の歴史・出来事】
- 720年(天平2年)に松尾大社が大社の称号が許されたとも言われています。
- 784年(延暦3年)11月に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が奈良・平城京(へいじょうきょう)から長岡京(ながおかきょう)に遷都すると勅使を派遣して松尾大社に奉告しました。
- 784年(延暦3年)に松尾大社が神階(しんかい)・従五位下(じゅごいげ)に叙されました。
- 786年(延暦5年)に神階・従四位下(じゅしいげ)に昇叙されました。
【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】
- 794年(延暦13年)の第50代・桓武天皇による平安京遷都後、東の賀茂社(上賀茂神社(賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ))・下鴨神社(賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)))とともに「東の厳神・西の猛霊」と並び称され、松尾大社が西の王城鎮護社に位置付けられました。
- 承和年間(834年~847年)に第54代・仁明天皇(にんみょうてんのう)が勅使を松尾大社に派遣し、神階・従三位(じゅうさんい)に昇叙させました。仁明天皇は病気平癒を祈願しました。
- 845年(承和12年)に神階・正四位下(しょうしいげ)に昇叙されました。
- 852年(仁寿2年)に第55代・文徳天皇(もんとくてんのう)が神階・正二位(しょうにい)に昇叙させました。
- 859年(貞観元年)に第56代・清和天皇(せいわてんのう)が神階・正一位(しょういちい)に昇叙させ、その後勲一等(くんいっとう)に叙しました。また清和天皇はご神宝を奉納し、甘雨を祈願しました。
- 平安時代中期に「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」で「松尾神社二座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記され、松尾大社が名神大社(みょうじんたいしゃ)に列せられました。また平安時代中期に二十二社の制・上七社で松尾大社が第4位に列せられました。
- 1004年(寛弘元年)以降の平安時代中期から鎌倉時代に第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)、第68代・後一条天皇(ごいちじょうてんのう)、第69代・後朱雀天皇(ごすざくてんのう)、第71代・後三条天皇(ごさんじょうてんのう)、・第73代・堀河天皇(ほりかわてんのう)、第75代・崇徳天皇(すとくてんのう)、第76代・近衛天皇(このえてんのう)、第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう)、第84代・順徳天皇(じゅんとくてんのう)が行幸・参拝しました。なお第62代・村上天皇(むらかみてんのう)は皇居の安泰などを祈願し、第77代・後白河天皇(ごしらかわてんのう)はご神宝を奉納しました。
- 平安時代に松尾大社は丹波国の雀部庄・小川庄・天田川庄、摂津国の山本庄、越中国の松永庄、甲斐国の巨摩庄、遠江国の池田庄、伯耆国の竹田郷・三朝郷・東郷庄、豊前国の門司関などの荘園を有していました。
【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の歴史・出来事】
- 鎌倉時代初期に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が松尾大社に社参して願文を奉納し、黄金百両・神馬十頭を寄進しました。
【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】
- 南北朝時代に室町幕府から松尾大社に社殿造替の料所として、山城一国の棟別銭と葛野一郡の段銭の宛行いを受けました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
- 室町時代中期に室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)が松尾大社に神馬を寄進しました。
- 室町時代末期から松尾大社が「日本第一酒造神」と仰がれるようになりました。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】
- 1568年(永禄11年)に織田信長(おだのぶなが)が入京すると松尾大社の社領が室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)の近習・上野秀政(うえのひでまさ)に預けられたが、1572年(元亀3年)に還付されました。
- 1575年(天正3年)に山城国奉行・細川藤孝(ほそかわふじたか・細川幽斎(ほそかわゆうさい))から年貢が安堵されました。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)】
- 桃山時代に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が松尾大社に神馬を寄進しました。豊臣秀吉の家臣で、淀城城主・杉原家次(すぎはらいえつぐ)から社領などが安堵されました。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
- 江戸時代に江戸幕府が松尾大社の朱印地1,078石を安堵しました。
- 江戸時代に松尾大社は社領1,333石を有し、嵐山一帯に山林1,000余町歩を有しました。
【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】
- 1871年(明治4年)5月14日に近代社格制度で官幣大社に列せられました。
- 戦後に神社本庁の別表神社に列せられました。
- 1950年(昭和25年)8月30日に松尾大社に社名を改めました。
【松尾大社の社殿を建立した秦忌寸都理】
秦忌寸都理は山城国葛野郡を本拠にした秦氏の首長と言われています。秦忌寸都理は鴨氏に生まれ、秦氏の養子になったとも言われています。秦忌寸都理は701年(大宝元年)に福岡県・宗像大社の祭神・市杵島姫命を松尾山山頂である日埼岑から松尾に迎え、社殿を建立したと言われています。秦忌寸都理には異母妹に知満留女がいます。
【松尾大社 備考】
*参考・・・松尾大社(歴史・見どころ・・・)ホームページ