真如堂歴史の簡単まとめ-修学旅行・観光ガイド

真如堂

真如堂歴史の簡単まとめ

真如堂歴史を簡単にまとめてポイント解説します。真如堂は984年(永観2年)に戒算上人が夢告により、比叡山・常行堂の阿弥陀如来を円融天皇の女御で、一条天皇の生母・藤原詮子の女院離宮があった現在の場所に安置したのが起源と言われています。なお真如堂歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(阿弥陀如来立像)】

★真如堂の本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)立像は平安時代(794年~1185年)前期に第3代天台座主(てんだいざす)である慈覚大師(じかくだいし)・円仁(えんにん)が近江(滋賀)の苗鹿大明神(みょうかみょうじん)で見付けたカヤの霊木で刻み、衆生済度、特に女人済度の阿弥陀如来とされています。本尊・阿弥陀如来は慈覚大師・円仁が一刀三礼で刻み、完成直前に慈覚大師・円仁が「比叡山の修行者の本尊となりたまえ」と言って白毫(びゃくごう)を入れようとすると阿弥陀如来は首を横に三度振って拒み、「では京の都に下って、一切衆生をお救い下さい。中でも女人等を救いたまえ」と言うと三度頷かれたという伝承があり、「頷きの阿弥陀(うなずきの阿弥陀)」とも言われています。

【真如堂創建(起源・由来)】

★真如堂は平安時代中期の984年(永観2年)に比叡山の僧・戒算上人(かいさんしょうにん)が夢告により、慈覚大師・円仁が刻み、比叡山・常行堂に安置されていた本尊・阿弥陀如来像を第64代・円融天皇(えんゆてんのう)の女御で、第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)の生母・東三条院(ひがしさんじょういん・藤原詮子(ふじわらのせんし))の女院離宮があった現在の場所に安置したのが起源と言われています。戒算上人はある晩、「神楽岡(かぐらおか)のあたりに小さな桧千本が一晩のうちに生えた場所がある。そここそ仏法有縁の地であり衆生済度の場である」というお告げを受け、常行堂から阿弥陀如来立像を持ち出し、お告げの場所である東三条院の離宮に移しました。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

★992年(正暦3年)に一条天皇から真如堂創建の宣旨が下り、堂塔が建立されました。真如堂は一条天皇の勅願寺になりました。
★994年(正暦5年)に阿弥陀如来像を真如堂に移して本尊とされました。
★1166年(永万2年)に第74代・鳥羽天皇(とばてんのう)の第7皇子・覚快法親王(かくかいほっしんのう)が如堂に入寺したと言われています。
★1177年(治承元年)の治承の乱後に堂塔が荒廃したが、貞慶上人(じょうけいしょうにん)の勧進によって復興しました。
★1181年(治承5年)に天台座主・慈円(じえん・慈鎮(じちん))が別当に就き、伽藍が整備されたと言われています。
★平安時代後期から鎌倉時代前期に浄土宗(じょうどしゅう)の宗祖・法然上人(ほうねんしょうにん)、浄土真宗(じょうどしんしゅう)の宗祖・親鸞聖人(しんらんしょうにん)などの念仏行者や民衆から信仰されました。特に女性から深く信仰されたそうです。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★1264年(文永元年)に安嘉門院が真如堂に摂津(大阪)の庄を施入し、父・後高倉院(守貞親王)の菩提を弔いました。
★1325年(正中2年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は仏舎利(ぶっしゃり)を寄進したと言われています。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事】

★1379年(天授5年・永和5年)に真如堂が焼失したと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、1468年(応仁2年)に兵火を避ける為に本尊が比叡山青竜寺(せいりゅうじ)に移されました。ただ伽藍は焼失したと言われています。
★1470年(文明2年)に本尊が江州(滋賀)穴大の宝光寺(穴太真如堂)に移されました。
★1478年(文明10年)に本尊が宝光寺から洛中の一条町(元真如堂町)に移されました。
★1484年(文明16年)に室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)が真如堂に旧地(神楽岡)への再建と本尊の帰座を命じました。その後真如堂に灯明料として、神楽岡東の花園田2町を寄進しました。
★1485年(文明17年)に本堂が立柱し、1493年(明応2年)に本尊遷座の供養法会が行われ、1503年(文亀3年)に本尊が開帳されました。
★1515年(永正12年)に室町幕府が灯明料として、神楽岡東の花園田2町を安堵しました。
★1567年(永禄10年)に室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)の命により、真如堂が室町幕府13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の菩提所になりました。
★1569年(永禄12年)に室町幕府15代将軍・足利義昭の命により、一条通北に移されました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

★1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が聚楽第(じゅらくだい)を造営した際、真如堂が京極今出川に移されました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★1604年(慶長9年)に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が本堂を再建しました。
★1661年(寛文元年)に本堂などが焼失し、1690年(元禄3年)に本堂が再建されたが、1692年(元禄5年)に本堂が再び焼失しました。
★1693年(元禄 6年)に第113代・東山天皇(ひがしやまてんのう)の勅により、真如堂が現在の場所(神楽岡)に戻りました。
★1695年(元禄8年)に総門(赤門)が再建されました。
★1696年(元禄9年)に元三大師堂が建立されました。
★元禄年間(1688年~1704年)に鐘楼堂が建立されました。
★1705年(宝永2年)に真如堂28世・尊通の勧進により、現在の伽藍が建立されました。
★1717年(享保2年)に本堂が再建されました。
★1759年(宝暦9年)に梵鐘が鋳造されました。
★1817年(文化14年)に三重塔が再建されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★1934年(昭和9年)に三井本家の寄進によって万霊堂が建立されました。
★1966年(昭和41年)に東山五条の金光院から薬師堂が移築されました。

【戒算上人:真如堂開山】

戒算上人は平安時代中期の963年(応和3年)に生れたと言われています。その後比叡山延暦寺に登り、先ず天台を学び、その後浄土教を学んだと言われています。平安時代中期に東山神楽岡に真如堂を創建し、999年(長保元年)に1丈6尺(約5メートル)の涅槃仏を造って奉納しました。戒算上人は昼夜を分かたずに念仏を唱え、浄土経典(浄土三部経)を講義しました。なお戒算上人は1053年(天喜元年)に91歳で亡くなりました。

【真如堂歴史-修学旅行・観光ガイド 備考】
*参考・・・真如堂(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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