大原野神社の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

大原野神社

大原野神社の歴史を時代別年表にまとめ

大原野神社の歴史は784年(延暦3年)に桓武天皇が平城京から長岡京に遷都した際、桓武天皇の后・藤原乙牟漏が藤原氏の氏神である春日大社の分霊を勧請し、桓武天皇が鷹狩を行った大原野に祀ったの起源と言われています。(時代別年表・重要人物下記参照)

【奈良・春日大社と勝持寺】

★奈良・春日大社(かすがたいしゃ)は奈良時代(710年~794年)頃、約1,300年前に常陸国(茨城)・鹿島神宮(かしまじんぐう)の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請(かんじょう)したのが起源とも言われています。また春日大社は「古社記」によると768年(神護景雲2年)に左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅命により、鹿島神宮の武甕槌命、下総国(千葉)・香取神宮(かとりじんぐう)の経津主命(ふつぬしのおおみこと)、河内国(大阪)・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を祀る本殿を建立したのが起源とも言われています。
★勝持寺(しょうじじ)は飛鳥時代後期の679年(白鳳8年)に修験道(しゅげんどう)の祖で、神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)と言われる役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が第40代・天武天皇(てんむてんのう)の勅によって創建したのが起源と言われています。勝持寺は大原野神社が創建されると別当寺になりました。

【大原野神社の起源・始まり】

★大原野神社は奈良時代後期の784年(延暦3年)に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が平城京(へいじょうきょう)から長岡京(ながおかきょう)に遷都した際、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏(ふじわらのおとむろ)が藤原氏の氏神である奈良・春日大社の分霊(建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)・伊波比主命(いわいぬしのみこと)・天之子八根命(あめのこやねのみこと)・比賣大神(ひめのおおかみ))を勧請し、桓武天皇が鷹狩を行った大原野に祀ったの起源と言われています。ちなみに大原野神社が祀られている小塩山は奈良・春日大社が祀られている御蓋山、春日山と重ね合わせられたとも言われ、大原野神社は「京春日」とも言われています。なお大原野神社が最初に祀られた場所には諸説があり、「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)編纂」に記されている大原野上羽町の入野神社が有力と言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

★850年(嘉祥3年)に左大臣・藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)を祖父とする第55代・文徳天皇(もんとくてんのう)が藤原冬嗣の願望を想い出し、壮麗な社殿を建立しました。
★851年(仁寿元年)に初めて勅祭が行われ、春秋二季に祭祀が行われるようになりました。
★861年(貞観3年)以降に第56代・清和天皇(せいわてんのう)の皇后である藤原高子(ふじわらのたかこ)などの皇后が度々参拝し、第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)、第66代・一条天皇(いちじょうてんおう)、第82代・後鳥羽天皇(ごとばてんのう)も行幸し、藤原氏だけでなく朝廷からも崇敬されました。藤原高子が参拝した際、かつての恋人で、供奉した在原業平(ありわらのなりひら)が「大原や 小塩の山も けふこそは 神代のことも 思い出づらめ」と和歌を詠んだことで知られています。なお藤原氏では女の子が生まれると中宮・皇后になれるように大原野神社に祈願し、祈願が叶うと行列を整えて参拝することが恒例になっていました。
★1005年(寛弘2年)3月8日に中宮・藤原彰子(ふじわらのしょうし)が参拝し、父・藤原道長(ふじわらのみちなが)や「源氏物語(げんじものがたり)」 の作者・紫式部(むらさきしきぶ)も参拝し、その行列は絢爛だったと言われています。紫式部は「源氏物語」の29帖「行幸(みゆき)」の巻に冷泉帝が大原野に向かう華やかで美しい行列の様子を描いています。
★平安時代に国家に重大事や天変地異があると勅使が遣わされ、奉幣を受けた二十二社(にじゅうにしゃ)に列せられ、国家鎮護の社とされました。二十二社は京都・奈良・三重・大阪・兵庫・滋賀の神社が選ばれ、上七社が伊勢神宮(いせじんぐう)・石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)・上賀茂神社(かみがもじんじゃ)と下鴨神社(しもがもじんじゃ)・松尾大社(まつのおたいしゃ)・平野神社(ひらのじんじゃ)・伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)・春日大社、中七社が大原野神社・大神神社(おおみわじんじゃ)・石上神宮(いそのかみじんぐう)・大和神社(おおやまとじんじゃ)・広瀬大社(ひろせたいしゃ)・龍田大社(たつたたいしゃ)・住吉大社(すみよしたいしゃ)、下八社が日吉大社(ひよしたいしゃ)・梅宮大社(うめのみやたいしゃ)・吉田神社(よしだじんじゃ)・廣田神社(ひろたじんじゃ)・八坂神社(やさかじんじゃ)・北野天満宮(きたのてんまんぐう)・丹生川上神社(にうかわかみじんじゃ)・貴船神社(きふねじんじゃ)でした。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の歴史・出来事】

★南北朝時代に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)が祈祷を命じたとも言われています。また足利尊氏は社領も安堵したとも言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】

★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、その後大原野神社が荒廃し、その祭祀も中絶したと言われています。また室町時代末期(戦国時代)の兵火により、社領も減少しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

★江戸時代前期に大原野神社が復興されたとも言われています。第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)が復興したとも言われています。
★1701年(元禄14年)頃に若宮社が建立されたと言われています。
★1717年(享保2年)に神慮を慰め 氏子が平穏無事に過ごせるように御田刈祭(みたかりさい)で神相撲神事(かみずもうしんじ)が毎年行われるようになりました。氏子が東西に分かれ、古式に則って相撲を二番取ります。結果は争いが起こらず、協力できるように最初に東が勝ち、次は西が勝つ1勝1敗が慣例になっています。
★1822年(文政5年)に本殿四棟が再建されました。
★1865年(慶応元年)に官祭が復興されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

★明治維新後の神仏分離令により、別当寺だった勝持寺の関係が解消されました。
★1871年(明治4年)に官幣中社に列せられました。
★1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に列せられました。

【大原野神社の創建者とされる藤原乙牟漏】

藤原乙牟漏は760年(天平宝字4年)に藤原式家の藤原良継と阿倍粳蟲の娘・阿倍古美奈の子として生まれました。第50代・桓武天皇となる山部親王に入内し、774年(宝亀5年)に小殿親王(安殿親王)を産みました。781年(天応元年)に山部親王が桓武天皇に即位し、783年(延暦2年)に無位から正三位に叙され、同年に皇后になり、785年(延暦4年)に子・安殿親王(第51代・平城天皇)が立太子されました。786年(延暦5年)に神野親王(第52代・嵯峨天皇)を産み、789年(延暦8年)に高志内親王(第53代・淳和天皇の皇后)を産みました。藤原乙牟漏は「続日本紀」によると美しいく、温和で、礼儀が正しく、良き母だったと言われています。平城天皇が即位すると皇太后、仁明天皇が即位すると太皇太后になり、自身が産んだ子は全て天皇・皇后になりました。なお藤原乙牟漏は790年(延暦9年)に長岡京で亡くなりました。

【大原野神社 備考】
*参考・・・大原野神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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