建仁寺歴史-修学旅行・観光ポイント(栄西禅師)

建仁寺(Kennin-ji Temple)

建仁寺歴史-簡単マトメ

建仁寺歴史を簡単にマトメてポイント解説します。建仁寺は1202年(建仁2年)に鎌倉幕府2代将軍・源頼家が寺域(境内)を寄進し、臨済宗の宗祖・栄西禅師が宋(中国)・百丈山を模して創建しました。なお時代別に年表にまとめ、重要人物も紹介しています。

建仁寺見どころ(風神雷神図・方丈など)

【前史(鎌倉幕府の幕府直轄領)】

★建仁寺が建立されている場所は鎌倉幕府の六波羅探題(ろくはらたんだい)に近接する鎌倉幕府の幕府直轄領でした。六波羅探題は後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権・北条義時(ほうじょうよしとき)に対して討伐の兵を挙げて敗れた1221年(承久3年)の承久の乱(じょうきゅうのらん)後に六波羅探題北方(北殿)・北条泰時(ほうじょうやすとき)と六波羅探題南方(南殿)・北条時房(ほうじょうときふさ)を京都に常駐されたのが始まりです。

【建仁寺創建(起源・由来)】

★建仁寺は鎌倉時代前期の1202年(建仁2年)に鎌倉幕府2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)が寺域(境内)を寄進し、臨済宗(りんざいしゅう)の宗祖・栄西禅師(えいさいぜんじ・ようさいぜんじ)が宋(中国)・百丈山(ひゃくじょうざん)を模して創建したのが起源です。建仁寺の寺号は第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)の勅許により、禅寺初の年号寺・建仁寺になりました。なお建仁寺は当初、天台(てんだい)・密教(みっきょう)・禅(ぜん)の三宗兼学で、真言(しんごん)・止観(しかん)の二院も構えていました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事・事件】

★1205年(元久2年)に建仁寺が官寺になりました。
★1214年(建保2年)に曹洞宗(そうとうしゅう)の開祖・道元(どうげん)が入宋前に栄西禅師に建仁寺で会ったと言われています。
★1215年(建保3年)に栄西禅師が建仁寺で亡くなったと言われています。
★1246年(寛元4年)・1247年(寛元5年)・1256年(建長8年)に建仁寺が火災によって焼失して荒廃したと言われています。
★1258年(正嘉元年)に東福寺(とうふくじ)開山である聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)が建仁寺10世になり、諸堂を修復して再興しました。
★1259年(正元元年)に宋(中国)からの渡来禅僧で、鎌倉・建長寺(けんちょうじ)開山・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺して建仁寺11世になり、三宗兼学から禅の道場に改めたと言われています。建仁寺では禅の作法・規矩(禅院の規則)が厳格に行われ、「建仁寺の学問面」の起源になったとも言われています。
★1265年(文永2年)に蘭渓道隆が寺号を建仁寺から建寧寺に改めました。
★1305年(嘉元3年)に方丈が再建されました。

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【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事・事件】

★1334年(建武元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(ごだいごてんのう)から建仁寺が京都五山の第2位に列せられました。
★1340年(延元5年・暦応3年)に佐々木道誉(ささきどうよ)による妙法院(みょうほういん)焼き討ちの際に開山堂・輪蔵や塔頭・瑞法庵(ずいほうあん)などが類焼しました。
★1341年(興国2年・暦応4年)に室町幕府が建仁寺を京都五山の第4位に列しました。
★1342年(興国3年・康永元年)に寺号を建仁寺に戻しました。
★1363年(正平18年・貞治2年)に青山慈永(せいざんじえい)が建仁寺に住し、法堂を創建しました。
★1386年(元中3年・至徳3年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が建仁寺を京都五山(天龍寺(てんりゅうじ)・相国寺(しょうこくじ)・建仁寺・東福寺・万寿寺(まんじゅじ))の第3位に列しました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事・事件】

★1397年(応永4年)に火災で焼失しました。
★1419年(応永26年)に「建仁寺式法」・「山門条々規式」が制定されました。
★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で焼失しました。また1481年(文明13年)にも火災で焼失しました。

【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の出来事・事件】

★1552年(天文21年)に三好長慶(みよしながよし)・細川晴元(ほそかわはるもと)の兵火により、仏殿・方丈・法堂などの伽藍や建仁寺の塔頭(たちゅう)が焼失したとも言われています。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事・事件】

★1586年(天正14年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が建仁寺に寺領820石を寄進したとも言われています。
★1599年(慶長4年)に東福寺(とうふくじ)224世住持・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が広島・安国寺(あんこくじ)の方丈を建仁寺に移して方丈を再建しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事・事件】

★1606年(慶長11年)に三江紹益(さんこうじょうえき)が入寺して建仁寺295世になりました。
★1614年(慶長19年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえみつ)から建仁寺の寺領820石を安堵されました。
★1615年(元和元年)に「五山十刹諸山之諸法度」が制定されました。
★1628年(寛永5年)に三江紹益が浴室を再建しました。
★1664年(寛文4年)に新彫された栄西禅師像の開眼法要が行われました。ちなみに前年から開山栄西禅師四百五十年遠諱の為に開山塔も修理されました。
★1669年(寛文9年)に仏殿東北に鐘楼が創建されました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事・事件】

★明治維新後に臨済宗建仁寺派として分派独立し、大本山になりました。神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃ)によって塔頭(たちゅう)が統廃合され、余った土地が政府に上納され、境内が半分近くに縮小しました。塔頭は34院から14院に減少しました。
★1872年(明治5年)に第1回京都博覧会が行われ、西本願寺(にしほんがんじ)・知恩院(ちおんいん)とともに会場になりました。
★1876年(明治9年)に臨済宗から独立し、建仁寺派の総本山になりました。
★2002年(平成14年)に日本画家・小泉淳作(こいずみじゅんさく)が描いた双龍図(そうりゅうじ)の開眼法要が行われました。

【栄西禅師(明菴栄西):建仁寺開山】

明菴栄西は1141年(永治元年)に岡山・吉備津神社の賀陽貞遠の子として生まれました。1151年(仁平元年)に備中・安養寺の静心に師事し、1154年(久寿元年)に延暦寺で出家しました。天台宗の教学・密教を学び、その後自分の坊号を冠した葉上流を興しました。1168年(仁安3年)に堕落した天台宗を立て直すべく、南宋(中国)に留学し、天台山万年寺を訪れ、同年9月に「天台章疎」60巻を持って帰国しました。1187年(文治3年)に再び南宋に渡り、仏法辿流の為にインド渡航を願い出るが、許可されませんでした。その後天台山万年寺の虚庵懐敞に師事し、1189年(文治5年)に虚庵懐敞にともに天童山景徳寺に移り、1191年(建久2年)に虚庵懐敞から臨済宗黄龍派の嗣法の印可を受け、号・明菴を授かりました。1195年(建久6年)に博多・聖福寺を創建して日本最初の禅道場にしました。1198年(建久9年)に京都での布教に限界を感じて鎌倉に下向し、1200年(正治2年)に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝一周忌の導師を務め、北条政子創建の寿福寺の住職に招聘されました。1202年(建仁2年)に鎌倉幕府第2代将軍・源頼家の外護によって建仁寺を創建し、1204年(元久元年)に奈良・東大寺勧進職に就任しました。なお明菴栄西は1215年(建保3年)に亡くなりました。

【建仁寺 備考】
*参考・・・建仁寺(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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