建仁寺-修学旅行・観光で見逃せない見どころ

建仁寺見どころ

建仁寺見どころ簡単解説

建仁寺見どころを解説しています。修学旅行・観光に役立つ簡単まとめを提供。建仁寺で見逃せない風神雷神図・方丈(重文)・法堂と双龍図などを解説しています。建仁寺有数の見どころである法堂には鏡天井に双龍図が描かれています。風神雷神図は現在京都国立博物館に寄託されています。(建仁寺見どころ下記参照)

【建仁寺 歴史・簡単解説】
建仁寺(けんにんじ)とは鎌倉時代前期の1202年(建仁2年)に建仁寺開基である鎌倉幕府2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)が寺域を寄進し、建仁寺開山である臨済宗(りんざいしゅう)の開祖・栄西禅師(えいさいぜんじ・ようさいぜんじ)が宋(中国)・百丈山(ひゃくじょうざん)を模して創建しました。建仁寺の寺号は第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)の勅許により、禅寺初の年号寺院になりました。その後鎌倉時代の寛元年間(1243年~1247年)・康元年間(1256年~1257年)の火災などによって荒廃し、1258年(正嘉元年)に東福寺(とうふくじ)を開山した聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)が再興しました。1262年(弘長2年)に宋(中国)からの渡来僧禅で、建仁寺11世・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺して禅の道場に改めました。
建仁寺(アクセス・・・)基本情報建仁寺歴史(起源・・・)

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【風神雷神図・見どころ解説】★★★修学旅行三ッ星
風神雷神図(ふうじんらいじんず)とは見逃せない国宝(1952年(昭和27年)3月29日指定)です。風神雷神図は珍しい二曲一双屏風(にきょくいっそうびょうぶ)で、左に雷神・右に風神がダイナミックに描かれています。風神雷神図は元々豪商・打它公軌(うだきんのり)が妙光寺(みょうこうじ)の再興を記念し、絵師・俵屋宗達(たわらやそうたつ)に製作を依頼したものです。風神雷神図は江戸時代前期の1639年(寛永16年)頃に妙光寺に奉納されたが、その後妙光寺から寄贈されました。なお風神雷神図は現在京都国立博物館に寄託され、見られるのは複製の屏風と陶板です。風神雷神図は里帰りすると雷鳴が響くとも言われています。
(風神雷神図・ポイントまとめ)
●風神雷神図は縦154.5センチ・横169.8センチです。
●風神雷神図は俵屋宗達の真筆とされているが、俵屋宗達の印章(いんしょう)・落款(らっかん)はどこにもないそうです。
●妙光寺は鎌倉時代後期の1285年(弘安8年)に内大臣(ないだいじん)・花山院師継(かさのいんもろつぐ)が長子・花山院忠季(かさのいんただすえ)の死を悼んで、山荘を寺院に改めて菩提寺(ぼだいじ)にしたのが起源です。
建仁寺風神雷神図見どころ(歴史概略・・・)

【方丈・見どころ解説】★★★修学旅行三ッ星
方丈(ほうじょう)とは見逃せない重要文化財(1899年(明治32年)4月5日指定)です。方丈は柱などが桃山風だが、禅宗様(ぜんしゅうよう)の建物です。方丈には仏間・書院・室中(しつちゆう)・礼(らい)の間・檀那(だんな)の間・衣鉢(いはつ)の間があります。方丈は室町時代後期の1487年(長享元年)に広島・安国寺(あんこくじ)の方丈としてに建立され、安土桃山時代の1599年(慶長4年)に武将で、臨済宗(りんざいしゅう)の僧・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)が移しました。ただ1934年(昭和9年)の室戸台風で倒壊し、1940年(昭和15年)に再建されました。なお方丈はこけら葺(こけらぶき)の入母屋造(いりもやづくり)です。
(方丈・ポイントまとめ)
●方丈は桁行約27.6メートル・梁行約20.8メートルです。
●方丈は第108代・後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の中宮・東福門院(とうふくもんいん・徳川和子(とくがわまさこ))から寄進された本尊・十一面観音菩薩(じゅういちめんかんのんぼさつ)像を安置しています。
●方丈はかつて江戸時代中期の1736年(享保21年)に大規模な修理が行われ、こけら葺から桟瓦葺(さんがわらぶき)に改められ、1940年(昭和15年)の再建時に屋根の軽量化から一時こけら葺に戻されたが、1962年(昭和37年)に銅板葺に改められました。2013年(平成25年)に開山千光祖師八百年大遠諱法要に併せ、こけら葺に戻されました。
●方丈にはかつて安土桃山時代から江戸時代初期の絵師・海北友松(かいほうゆうしょう)が描いた水墨障壁画(すいぼくしょうへきが)があったが、現在は掛軸に改められました。障壁画は京都国立博物館に寄託されています。
建仁寺方丈見どころ(歴史概略・・・)

【勅使門・見どころ解説】★★修学旅行二ッ星
勅使門とは重要文化財(1902年(明治35年)7月31日指定)です。勅使門は四脚門(しきゃくもん)です。勅使門は平清盛(たいらのきよもり)の嫡男・平重盛(たいらのしげもり)の六波羅(ろくはら)邸の門を移したとも、平教盛(たいらののりもり)の館の門を室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に移したとも言われています。勅使門は鎌倉時代後期(1275年~1332年)に建立されました。なお勅使門は銅板葺です。
(勅使門・ポイントまとめ)
●勅使門には戦乱の矢の痕があり、矢の根門(やのねもん)・矢立門 (やたちもん) とも言われています。
●勅使門はかつてこけら葺だったとも言われています。
建仁寺勅使門見どころ(歴史概略・・・)

【法堂・見どころ解説】★★★修学旅行三ッ星
見逃せない法堂(拈華堂)は仏殿を兼ねた禅宗様の建物です。法堂はもこし(裳階)付きの為に二階建てに見えるが、一階建てです。法堂には鏡天井(かがみてんじょう)に日本画家・小泉淳作(こいずみじゅんさく)が描いた双龍図(そうりゅうじ)があります。法堂は江戸時代中期の1765年(明和2年)に建立されました。なお法堂は本瓦葺(ほんがわらぶき)の入母屋造です。
(法堂・ポイントまとめ)
●法堂は建仁寺の本尊・釈迦如来(しゃかにょらい)坐像、脇侍(きょうじ)に迦葉尊者(かしょうそんじゃ)・阿難尊者(あなんそんじゃ)が安置されています。
●法堂は拈華堂(ねんげどう)とも言われています。
建仁寺法堂見どころ(歴史概略・・・)

【双龍図・見どころ解説】
双龍図は法堂の鏡天井にあります。双龍図は2002年(平成14年)の建仁寺創建800年を記念して、日本画家・小泉淳作が約2年の歳月を掛けて描きました。なお双龍図は丈夫な和紙である麻紙108枚分に墨・程君房(ていくんぼう)を使って描かれています。
(双龍図・ポイントまとめ)
●双龍図は縦11.4メートル・横15.7メートルです。

【三門・見どころ解説】★★★修学旅行三ッ星
三門は八脚門です。三門は望闕楼(ぼうけつろう)とも言われています。望闕楼とは御所を望む楼閣を意味します。三門は法堂と放生池の間にあります。三門は江戸時代末期に静岡・安寧寺(あんねいじ)に建立され、1923年(大正12年)に移されました。なお三門は本瓦葺です。
建仁寺三門見どころ(歴史概略・・・)

【東陽坊・見どころ解説】
茶室・東陽坊(とうようぼう)は安土桃山時代の1587年(天正15年)に関白・豊臣秀吉が北野大茶会を行った際に紙屋川(かみやがわ・天神川)の土手に建てられた副席です。東陽坊の南には秀吉遺愛と言われている烏帽子石が据えらています。東陽坊は1921年(大正10年)に移されました。
(東陽坊・ポイントまとめ)
●東陽坊は千利休の高弟・真如堂東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)好みと言われています。なお東陽坊は茶道・薮内家(藪内流)の燕庵(えんなん)と構成や意匠に共通する部分が多いと言われています。
●東陽坊の西側には茶室・清凉軒が建てられています。
建仁寺東陽坊見どころ(歴史概略・・・)

【本坊・見どころ解説】★修学旅行一ッ星
本坊はかつて台所だった庫裏(くり)です。本坊は江戸時代後期の1814年(文化11年)に建立されました。なお本坊は桟瓦葺の切妻造です。
(本坊・ポイントまとめ)
●本坊は東面約17.8メートル・西面約19.9メートル・梁行約19.8メートルです。
●本坊では御朱印「拈華堂」・オリジナル御朱印帳「雲龍図」・「風神雷神図」を授与しています。(要確認)

【開山堂・見どころ解説】
開山堂は境内の西にあります。開山堂は建仁寺開山・栄西禅師の入定塔(墓所)です。開山堂には客殿(方丈)・経蔵・開山塔・楼門(宝陀門・宝陀閣)があります。また苔むした庭には栄西禅師お手植えの菩提樹があります。開山堂は明治時代中期に再建されたとも言われています。
(開山堂・ポイントまとめ)
●開山堂はかつては護国院・興禅護国院とも言われ、楼門は宝陀門(ほうだもん)・宝陀閣(ほうだかく)とも言われています。
建仁寺開山堂見どころ(歴史概略・・・)

【浴室・見どころ解説】
浴室には待合・蒸し風呂・土間(火炊場)があります。浴室は江戸時代前期の1628年(寛永5年)に三江紹益(さんこうじょうえき)が建立しました。なお浴室は2002年(平成14年)に法堂の東から山内の現在の場所に移されました。
(浴室・ポイントまとめ)
●浴室では入浴も修行とされ、厳しい作法が細かく定められていたそうです。
建仁寺浴室見どころ(歴史概略・・・)

【梵鐘・見どころ解説】
梵鐘は東鐘楼に釣るされています。梵鐘は京都第3位の大鐘と言われています。梵鐘は鎌倉時代に鋳造されたと言われています。なお梵鐘は観音慈救陀羅尼(かんのんじくだらに)を1万回唱えながら撞いたことから陀羅尼鐘(だらにがね)・陀羅尼の鐘とも言われています。
(梵鐘・ポイントまとめ)
●梵鐘は光源氏のモデルと言われている源融(みなもとのとおる)の六条河原院(塩竃第)にあったとも言われています。
建仁寺陀羅尼鐘見どころ(歴史概略・・・)

【楽神廟・見どころ解説】
楽神廟(らくじんびょう)は京都府指定文化財です。楽神廟は建仁寺開山・栄西禅師の母が岡山・吉備津神社(きびつじんじゃ)の末社・楽の社に参詣した後、夢に明星が現れて栄西を懐妊したことから祀られています。楽神廟は江戸時代前期に造営されたと言われています。なお楽神廟は桟瓦葺の一間社流見世棚造です。
建仁寺楽神廟見どころ(歴史概略・・・)

【向唐門・見どころ解説】
向唐門(むかいからもん)は京都府指定文化財です。向唐門は方丈の前庭にあります。向唐門は江戸時代前期の寛文年間(1661年~1673年)に建立されたと言われています。なお向唐門は銅板葺きです。向唐門はかつてこけら葺だったが、その後瓦葺きに葺き替えられました。

【北門・西門・見どころ解説】
北門・西門は京都府指定文化財です。北門は江戸時代前期の寛永年間(1624年~1645年)、西門は江戸時代後期の文化年間(1804年~1818年)に建立されたと言われています。北門は高麗門で、本瓦葺です。西門は四脚門で、本瓦葺の切妻造です。なお北門はかつて境内だった祇園の花見小路通に面しています。

【庭園・見どころ解説】★★★修学旅行三ッ星
見逃せない庭園には大雄苑(だいおうえん)・潮音庭(ちょうおんてい・三連の庭)・○△ロ乃庭(まるさんかくしかくのにわ)があります。大雄苑は方丈、潮音庭は本坊、○△ロ乃庭は小書院にあります。
(庭園・ポイントまとめ)
●大雄苑は1940年(昭和15年)に作庭された枯山水式庭園です。大雄苑は中国の百丈山の眺めを模し、百丈山の別名・大雄山から大雄苑と名付けられました。
●潮音庭は四面正面の枯山水式庭園です。潮音庭には法堂の三尊仏に見立てた三尊石があります。
●○△ロ乃庭は2006年(平成18年)に作庭されました。○△ロ乃庭は臨済宗古月派の禅僧で、画家・仙がい義梵(せんがいぎぼん)の「○△ロ」の掛軸から名付けられました。
建仁寺庭園見どころ(歴史概略・・・)

【織田信長供養塔・見どころ解説】
織田信長供養塔は七重石塔です。織田信長供養塔は大名で、茶人・織田有楽斎(おだうらくさい)が兄・信長追善の為に建てたと言われています。織田信長供養塔は当初開山堂の南にあったが、1898年(明治31年)に山内の現在の場所に移されました。なお有楽斎は塔頭・正伝永源院(正伝院)に住しました。

【平成の茶苑・見どころ解説】★修学旅行一ッ星
平成の茶苑は山門の東側に茶碑とともにあります。平成の茶苑・茶碑は建仁寺開山・栄西禅師が茶の種を宋(中国)から持ち帰り、「茶祖」とも言われていることに由来しています。なお平成の茶苑では5月に初摘みが行われ、6月5日の開山忌・献茶式で供えられるそうです。

【放生池・見どころ解説】★修学旅行一ッ星
放生池(ほうじょうち)は山門の南側にあります。放生池は捕らえた魚などを殺さずに放す放生会(ほうじょうえ)を行う為の池です。放生池は1991年(平成3年)に改修されたとも言われています。なお放生池には蓮が植えられ、例年初夏に花を咲かせます。

【洗鉢池・見どころ解説】
洗鉢池(せんばつち)は山門の東側にあり、近くには平成の茶苑・茶碑などがあります。洗鉢池は放生池よりも小さな池です。洗鉢には禅宗の食事作法で、食べ物を一切残さないようにお椀にお茶やお湯を入れ、たくあんなどでお椀をきれいにするという意味があるそうです。

【建仁寺垣・見どころ解説】
建仁寺垣は竹垣の一種です。竹垣は東陽坊周辺などにあります。竹垣は四つ割りにした竹の皮を外側に向け、すき間なく並べて竹の押縁で押さえ、しゅろ縄で結んだ竹垣です。

【四頭茶礼・見どころ解説】
毎年4月20日に開山降誕会が行われ、四頭茶礼(よつがしらちゃれい)が行われています。四頭茶礼は四頭茶会とも言われます。四頭茶礼は栄西禅師が中国で学んだ茶礼(喫茶法)を伝え、日本最古の茶礼とも言われています。なお四頭茶礼は京都市登録無形民俗文化財です。

【桑の日フォーラム・見どころ解説】
毎年9月に桑の日フォーラムが行われています。桑の日フォーラムは約800年前に栄西禅師(えいさいぜんじ・ようさいぜんじ)が宋(中国)から桑とお茶を伝えたと言われていることに因んで行われています。なお桑の日フォーラムでは桑の碑の前で法要が営まれたり、舞妓・芸妓による舞が奉納されたりします。
建仁寺桑の日フォーラム

【塔頭・見どころ解説】★修学旅行一ッ星
山内などに正伝永源院(しょうでんえいげんいん)・六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)・禅居庵(ぜんきょあん)などの14の塔頭(たっちゅう)があります。塔頭は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。
(塔頭・ポイントまとめ)
●正伝永源院は1873年(明治6年)に正伝院が廃寺になった永源庵が合寺したものです。正伝院は鎌倉時代後期の文永年間(1264年~1274年)に第12世・紹仁義翁が建立しました。
●六道珍皇寺は奈良時代末期から平安時代初期の延暦年間(782年~806年)に弘法大師・空海の師・慶俊が創建し、愛宕寺(おたぎでら)と言われたのが起源とも言われています。

【恵美須神社・見どころ解説】
恵美須神社(ゑびすじんじゃ)は建仁寺の鎮守社でした。恵美須神社は鎌倉時代前期の1202年(建仁2年)に建仁寺開山・栄西禅師が創建した際に鎮守として造営されたと言われています。室町時代中期の応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に現在の場所に移ったと言われています。
旧鎮守社・恵美須神社(アクセス・・・)

【祇園・見どころ解説】
祇園の南側はかつて建仁寺境内だったが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)・上知令(あげちれい)によって政府に没収され、その後政府が払い下げられ、祇園の組合が買い取りました。花街・祇園は明治時代以降に開発されました。

【建仁寺見どころ 備考(参考リンク)】
*参考・・・京都・建仁寺(アクセス・見どころ・・・)ホームページ京都・建仁寺(アクセス・見どころ・・・)wikipedia

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