建仁寺の見どころ2-修学旅行・観光の簡単解説

建仁寺の見どころは東鐘楼・西鐘楼・織田信長供養塔・平成の茶苑・放生池など
建仁寺の見どころを簡単にマトメて解説します。見どころには陀羅尼鐘を釣る東鐘楼(府指定有形文化財)、西鐘楼(府指定有形文化財)、織田信長供養塔、平成の茶苑、放生池、洗鉢池、建仁寺垣、桜、紅葉などがあります。(個別解説下記参照)
●風神雷神図・方丈(重要文化財)・法堂と双龍図などの建仁寺見どころは下記リンクから確認することができます。
建仁寺見どころ(風神雷神図・方丈など)
【建仁寺の歴史・簡単概要】
建仁寺(けんにんじ)は鎌倉時代前期の1202年(建仁2年)に建仁寺開基である鎌倉幕府2代将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)が寺域を寄進し、建仁寺開山である臨済宗(りんざいしゅう)の開祖・栄西禅師(えいさいぜんじ・ようさいぜんじ)が宋(中国)・百丈山(ひゃくじょうざん)を模して創建しました。建仁寺の寺号は第83代・土御門天皇(つちみかどてんのう)の勅許により、禅寺初の年号寺院になりました。その後鎌倉時代の寛元年間(1243年~1247年)・康元年間(1256年~1257年)の火災などによって荒廃し、1258年(正嘉元年)に東福寺(とうふくじ)を開山した聖一国師(しょういちこくし)・円爾(えんに)が再興しました。1262年(弘長2年)に宋(中国)からの渡来僧禅で、建仁寺11世・蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)が入寺して禅の道場に改めました。
建仁寺歴史(起源・・・)
【東鐘楼(府指定有形文化財)・西鐘楼(府指定有形文化財)】
- 概要:建仁寺には東鐘楼(大鐘楼)・西鐘楼(小鐘楼)があります。東鐘楼は陀羅尼鐘を釣っています。
- 歴史:東鐘楼は1622年(元和8年)に再建されました。西鐘楼は1672年(寛文12年)に建立されました。ちなみに1669年(寛文9年)11月に仏殿の東北に鐘楼が創建されたと言われています。
【方丈の前庭に建立されている向唐門(府指定文化財)】
- 概要:向唐門は方丈の前庭に建立されています。
- 歴史:向唐門は寛文年間(1661年~1673年)に建立されたと言われています。
- 様式:向唐門は屋根が銅板葺です。向唐門はかつてこけら葺だったが、その後瓦葺きに葺き替えられました。
【北門(府指定文化財)・西門(府指定文化財)】
- 概要:北門・西門では北門がかつて境内だった祇園の花見小路通(はなみこうじどおり)に面して建立されています。西門は総門になります。
- 歴史:北門は寛永年間(1624年~1645年)に再建され、西門は文化年間(1804年~1818年)に再建されました。
- 様式:北門は高麗門(こうらいもん)で、屋根が本瓦葺です。西門は四脚門(しきゃくもん)で、屋根が切妻造の本瓦葺です。
【七重石塔である織田信長供養塔】
- 概要:織田信長供養塔(おだのぶながくようとう)は七重石塔です。織田信長供養塔は元々、十三重石塔でした。
- 歴史:織田信長供養塔は大名で、茶人・織田有楽斎(おだうらくさい)が兄・織田信長追善の為に建てたと言われています。織田有楽斎は塔頭・正伝永源院(しょうでんえいげんいん・正伝院)に住しました。織田信長供養塔はかつて開山堂の南にあったが、1898年(明治31年)に現在の場所に移されました。
【開山・栄西禅師ゆかりの平成の茶苑】
- 概要:平成の茶苑は山門の東側に茶碑とともにあります。平成の茶苑・茶碑は開山・栄西禅師が茶の種を宋(中国)から持ち帰り、「茶祖」と言われていることに由来しています。
- 行事:平成の茶苑では5月に初摘みが行われ、6月5日の開山忌・献茶式で供えられるそうです。
【蓮の名所である放生池】
- 概要:放生池(ほうじょうち)は山門の南側にあります。放生池は捕らえた魚などを殺さずに放す放生会(ほうじょうえ)を行う為の池です。放生池には蓮(ハス)が植えられ、例年初夏に花を咲かせます。
- 歴史:放生池は1991年(平成3年)に改修されたとも言われています。
【放生池よりも小さな洗鉢池】
- 概要:洗鉢池(せんばつち)は山門の東側にあり、近くには平成の茶苑・茶碑などがあります。洗鉢池は放生池よりも小さな池です。洗鉢には禅宗の食事作法で、食べ物を一切残さないようにお椀にお茶やお湯を入れ、たくあんなどでお椀をきれいにするという意味があるそうです。
【竹垣の一周である建仁寺垣】
- 概要:建仁寺垣は竹垣の一種です。建仁寺垣は東陽坊周辺などにあります。建仁寺垣は四つ割りにした竹の皮を外側に向け、すき間なく並べて竹の押縁で押さえ、しゅろ縄で結んだ竹垣です。
【春の桜・見ごろ】
- 概要:建仁寺は桜の名所です。山内に染井吉野・枝垂桜・河津桜などが植えられています。桜は例年4月上旬頃に見ごろを迎えます。
【秋の紅葉・見ごろ】
- 概要:建仁寺は紅葉の名所です。本坊の庭園・潮音庭などにカエデなどが分布しています。潮音庭は四方から眺めることができます。紅葉は例年11月下旬頃から12月上旬頃に見ごろを迎えます。
【開山降誕会が行われる四頭茶礼】
- 概要:四頭茶礼(よつがしらちゃれい)は例年4月20日に開山降誕会が行われ、四頭茶礼(よつがしらちゃれい)が行われています。四頭茶礼は栄西禅師が中国で学んだ茶礼(喫茶法)を伝え、日本最古の茶礼とも言われています。なお四頭茶礼は京都市登録無形民俗文化財です。
【栄西禅師に因んだ桑の日フォーラム】
- 概要:桑の日フォーラムは例年9月に行われています。桑の日フォーラムは約800年前に栄西禅師が宋(中国)から桑とお茶を伝えたと言われていることに因んで行われています。桑の日フォーラムでは桑の碑の前で法要が行われ、舞妓・芸妓による舞が奉納されたりします。
【正伝永源院・禅居庵などの塔頭】
- 概要:建仁寺山内などに正伝永源院・六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)・禅居庵(ぜんきょあん)などの14の塔頭(たっちゅう)があります。塔頭は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。
- 正伝永源院:正伝永源院は1873年(明治6年)に正伝院が廃寺になった永源庵が合寺したものです。正伝院は文永年間(1264年~1274年)に第12世・紹仁義翁が建立しました。
- 六道珍皇寺:六道珍皇寺は延暦年間(782年~806年)に真言宗の宗祖である弘法大師・空海の師・慶俊が創建し、愛宕寺(おたぎでら)と言われたのが起源とも言われています。
【鎮守社だった恵美須神社】
- 概要:恵美須神社(ゑびすじんじゃ)は建仁寺の鎮守社でした。恵美須神社は1202年(建仁2年)に建仁寺開山・栄西禅師が創建した際に鎮守として造営されたと言われています。その後応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))後に現在の場所に移ったと言われています。
【かつて境内だった花街・祇園】
- 概要:祇園の南側はかつて建仁寺境内だったが、明治維新後の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)・上知令(あげちれい)によって政府に没収され、その後政府が払い下げられ、祇園の組合が買い取りました。花街・祇園は明治時代以降に開発されました。
【建仁寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・建仁寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ