妙心寺の見どころ簡単解説2-修学旅行・観光の豆知識
妙心寺の見どころは勅使門・北門・南門・龍泉庵、東海庵・霊雲院・聖澤院など
妙心寺の見どころを簡単にマトメて解説します。見どころには旧総門だった勅使門(重要文化財)、北門(重要文化財)、南門(重要文化財)、四派四本庵を表す四派の松、放生池、龍泉庵、東海庵、霊雲院、聖澤院、山門懺法会などがあります。(個別解説下記参照)
●法堂(重要文化財)と雲龍図・仏殿(重要文化財)・三門(重要文化財)などの妙心寺見どころは下記リンクから確認することができます。
妙心寺見どころ(法堂・仏殿など)
【妙心寺の歴史・簡単概要】
妙心寺(みょうしんじ)は花園上皇(第95代・花園天皇(はなぞのてんのう)))の花園御所(離宮・萩原殿(はぎわらどの))があった場所です。妙心寺は南北朝時代の1335年(建武2年)に妙心寺開基・花園上皇が落飾して法皇になり、花園御所を禅寺に改めることを発願したのが起源です。ただ1337年(延元2年・建武4年)に花園法皇の禅の師である大燈国師(だいとうこくし)・宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)が亡くなった為、1342年(興国3年)に宗峰妙超が推挙した高弟で、妙心寺開山・関山慧玄(かんざんえげん)が美濃から京に戻ってから開山になりました。1398年(応永5年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の祈願所(きがんじょ)になったが、応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))の兵火で伽藍(がらん)の多くが焼失しました。
妙心寺歴史(起源・・・)
【旧総門だった勅使門(重要文化財)】
- 概要:勅使門(旧総門)は伽藍の正面に建立されています。勅使門は現在、妙心寺住持の入山などに限って使われます。勅使門はかつての総門で、南大門・南四足門とも言われました。
- 歴史:勅使門は1610年(慶長15年)に建立されました。
- 様式:勅使門は四脚門(しきゃくもん)です。勅使門は屋根が切妻造の檜皮葺です。
【北門(重要文化財)・南門(重要文化財)】
- 概要:北門(北総門)・南門(南総門)は北門が北総門、南門が南総門と言われています。北門・南門は右手に潜り通用門があります。
- 歴史:北門・南門は1610年(慶長15年)に建立されました。北門・南門は大工・宗知と吉次が建てたと言われています。
- 様式:北門・南門はほぼ同形式の薬医門(やくいもん)です。北門・南門は屋根が切妻造の本瓦葺です。
【四派四本庵を表す四派の松】
- 概要:四派の松は仏殿と三門の間に植えられている4本の松です。四派の松は室町時代に妙心寺を運営した四派四本庵(しはしほんあん)を表しています。四派四本庵は龍泉派の龍泉庵(りゅうせんあん)、東海派の東海庵(とうかいあん)、霊雲派の霊雲院(れいうんいん)、聖澤派の聖澤院(しょうたくいん)です。
【ほぼ正方形の放生池】
- 概要:放生池(ほうじょうち)は三門と勅使門の間にあります。放生池はほぼ正方形の形をした池で、中央に石橋が架けられ、左右相対になっています。なお放生池は捕らえた魚などを殺さずに放す放生会(ほうじょうえ)を行う為の池です。
【山門内部が特別拝観できる山門懺法会】
- 概要:山門懺法会(さんもんざんほうえ)は例年6月18日に行われています。山門懺法会では日頃知らず知らずの内に犯している自らの過ちを懺悔します。山門懺法会では山内の全僧侶が山門の楼上に集まって法要を行います。なお山門懺法会では普段非公開の山門内部が特別拝観できます。
【山内最古の塔頭である塔頭・玉鳳院】
- 概要:玉鳳院(ぎょくほういん)は妙心寺山内最古の塔頭(たっちゅう)です。玉鳳院は1337年(延元2年・建武4年)に妙心寺が創建されると1342年(興国3年)に開基・花園法皇(第95代・花園天皇)が起居する禅宮御殿として建てられ、1348年(正平3年・貞和4年)の花園法皇の没後に塔所になりました。なお玉鳳院は妙心寺発祥の地で、山内で最も神聖な場所とされ、玉鳳禅宮と言われています。
【世界遺産である塔頭・龍安寺】
- 概要:龍安寺(りょうあんじ)は妙心寺の山外塔頭で、世界遺産です。龍安寺は1450年(宝徳2年)に細川勝元が徳大寺公有から山荘を譲り受け、妙心寺第5世・義天玄詔を開山、妙心寺第4世・日峰宗舜を勧請開山として創建しました。
【龍泉派の塔頭・龍泉庵】
- 概要:龍泉庵は妙心寺の塔頭です。龍泉庵は1481年(文明13年)に大徳寺46世で、妙心寺10世・景川宗隆(本如実性禅師)が妙心寺の六祖と言われる中興の祖・雪江宗深(仏日真照禅師)から土地を与えられ、小庵・龍泉庵を結んだのが起源と言われています。
【東海派の塔頭・東海庵】
- 概要:東海庵は妙心寺の塔頭です。東海庵は1484年(文明16年)に斎藤妙純(斎藤利国)の妻・利貞尼が妙心寺11世・悟渓宗頓を請じて創建したとも、悟渓宗頓が妙心寺の六祖と言われる中興の祖・雪江宗深から土地を与えられて創建したとも言われています。
霊雲派の
【塔頭・霊雲院】
- 概要:霊雲院は妙心寺の塔頭です。霊雲院は1390年(明徳元年)に東福寺80世・岐陽方秀が創建したと言われています。霊雲院は当初は不二庵(坊)と言われていたが、1473年(文明5年)に名称が霊雲院に改められました。
【聖澤派の塔頭・聖澤院】
- 概要:聖澤院は妙心寺の塔頭です。聖澤院は1523年(大永3年)に妙心寺18世・天蔭徳樹が細川氏などの援助により、妙心寺13世・東陽英朝を開山として創建しました。
【退蔵院などの塔頭】
- 概要:妙心寺山内には龍泉庵・東海庵・霊雲院・聖澤院など38の山内塔頭、山外には龍安寺など10の山外塔頭、合計48もの塔頭があります。塔頭は祖師や高僧の死後、その弟子が祖師・高僧を慕って寄り沿うように創建した小さな寺院です。
- 退蔵院:退蔵院は1404年(応永11年)に越前の豪族・波多野出雲守重通が妙心寺第3世・無因宗因を開山として千本通松原に創建したのが起源です。
【妙心寺 備考(参考リンク・・・)】
*参考・・・妙心寺(見どころ・アクセス・・・)ホームページ