吉田神社歴史の簡単マトメ-修学旅行・観光の解説

吉田神社

吉田神社歴史の簡単まとめ

吉田神社歴史を簡単にまとめてポイント解説します。吉田神社は859年(貞観元年)に公卿・藤原山蔭が藤原氏の氏神として、奈良・春日大社四座の神(建御賀豆智命・伊波比主命・天之子八根命・比売神)を勧請したのが起源です。なお吉田神社歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

【前史(蓮台野)】

★吉田神社が建立されている吉田山は古来から神楽岡(神が集いし岡)と言われる聖地で、吉田山が東山三十六峰の12峰目に数えられています。神楽岡は古来から雷神が祀られていたとも言われています。平安時代初期に第50代・桓武天皇(かんむてんのう)が神楽岡で猟をしたり、行幸したりしたと言われています。
★奈良・春日大社は奈良時代(710年~794年)頃、約1,300年前に常陸国(茨城)・鹿島神宮(かしまじんぐう)の武甕槌命(たけみかづちのみこと)を御蓋山(みかさやま)の山頂・浮雲峰(うきぐものみね)に勧請(かんじょう)したのが起源とも言われています。その後768年(神護景雲2年)に左大臣・藤原永手(ふじわらのながて)が第48代・称徳天皇(しょうとくてんのう)の勅命により、鹿島神宮の武甕槌命、下総国(千葉)・香取神宮(かとりじんぐう)の経津主命(ふつぬしのおおみこと)、河内国(大阪)・枚岡神社(ひらおかじんじゃ)の天児屋根命(あめのこやねのみこと)と比売神(ひめがみ)を祀る本殿を建立したとも言われています。

【吉田神社創建(起源・由来)】

★吉田神社は平安時代前期の859年(貞観元年)に公卿・藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が藤原氏の氏神として、奈良・春日大社四座の神(建御賀豆智命(たけみかづちのみこと)・伊波比主命(いはいぬしのみこと)・天之子八根命(あめのこやねのみこと)・比売神(ひめがみ))を吉田山に勧請したのが起源です。その後吉田神社は平安京の守護神になったとも言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

★987年(永延元年)に第66代・一条天皇(いちじょうてんのう)が吉田神社に行幸したと言われています。
また同年に吉田祭が公祭(官祭)になりました。
★991年(正暦2年)に二十二社の前身である十九社奉幣に列せられました。
★1039年(長暦3年)以降、二十二社の下八社に列しました。
★1106年(嘉承元年)に4度の官幣に賜りました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★鎌倉時代以降に卜部氏(うらべし・吉田家)が神職を相伝するようになりました。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事】

★1336年(延元元年・建武3年)に吉田兼熈(よしだかねひろ)が摂社・若宮社の社殿を建立しました。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★室町時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、本殿が焼失しました。
★文明年間(1469年~1486年)に吉田神社が現在の場所に移り、吉田兼倶(よしだかねとも)が室町幕府8代将軍・足利義政(あしかがよしまさ)の妻・日野富子(ひのとみこ)などの寄進により、吉田神道を創始しました。
★1484年(文明16年)に吉田兼倶が斎場所大元宮(さいじょうしょだいげんぐう)を建立しました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

★1590年(天正18年)に吉田兼見が第107代・後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の勅命により、鎮魂祭に奉仕し、大元宮後方に八神殿を奉遷しました。かつて律令制時代に神祇官に祀られていた八神殿を吉田神社に移し、神祇官代としました。
★1601年(慶長6年)頃に関白・豊臣秀吉(とよろみひでよし)の子・豊臣秀頼(とよとみひでより)が母・淀殿(よどどの)の祈願により、斎場所大元宮を再建しました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★1608年(慶長13年)に江戸幕府初代将軍・徳川家康(とくがわいえやす)が神祇官八神殿がある為、神祇官作法を斎場所大元宮で行うことを命じました。江戸時代に吉田神社は社領が590石だったが、1665年(寛永5年)に江戸幕府が諸社禰宜神主法度を発布すると吉田家は全国の神社の神職の任免権(神道裁許状)などを与えられ、幕末まで大きな権勢を誇りました。
★1609年(慶長14年)に勅命により、神祇官代として伊勢例幣使の儀礼を行ないました。
★1648年(慶安元年)に若宮社が現在の場所に移され、その後吉田神社の摂社に定められました。
★1672年(寛文12年)に中門・御廊・神供所が修造され、1685年(貞享2年)に舞殿・直会殿・着到殿などが建立されたと言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★明治維新後に神道裁許状を奪われたが、吉田神社は官幣中社に列せられました。斎場所大元宮は吉田神道の中核だったが、吉田神社の末社になりました。
★1872年(明治5年年)に八神殿の神璽(しんじ)が宮中神殿(皇居)に移されました。
★1877年(明治10年)に若宮社が吉田神社の摂社になりました。
★1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に加列されました。
★1957年(昭和32年)に吉田神社鎮座1,100年大祭を機、1959年(昭和34年)に末社・山蔭神社が創建されました。

【藤原山蔭:吉田神社創建】

藤原山蔭は824年(天長元年)に藤原高房の三男として生れました。854年(仁寿4年)に左馬大允に任じられ、その後衛門少尉などを歴任し、858年(天安2年)に皇太子・惟仁親王(清和天皇)の春宮大進に任ぜられ、同年11月の惟仁親王が第52代・清和天皇に即位すると従五位下に叙せられました。その後清和天皇の側近として、蔵人・近衛少将・備後権介・伊予介・美濃守などを歴任し、875年(貞観17年)に従四位下・蔵人頭兼右近衛権中将に叙任されました。876年(貞観18年)に第57代・陽成天皇が即位すると清和上皇に仕える為に近衛中将の辞任を申し出たが、陽成天皇から慰留され、その後右大弁などを歴任し、879年(元慶3年)に参議に叙任されて公卿に列しました。880年(元慶4年)に清和上皇が崩御するが、その後も左大弁などを歴任し、886年(仁和2年)に従三位・中納言に叙任されました。藤原山蔭は四条流庖丁式の創始者とされています。なお藤原山蔭は888年(仁和4年)3月20日に亡くなりました。

【吉田神社歴史-修学旅行・観光ガイド 備考】
*参考・・・吉田神社(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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