八坂神社歴史の簡単まとめ-時代別年表と重要人物

八坂神社見どころ

八坂神社歴史の簡単まとめ-修学旅行・観光ガイド

八坂神社歴史を簡単にまとめてポイント解説します。八坂神社は656年(斉明天皇2年)に高麗から来日した伊利之使主が新羅・牛頭山に座した素戔嗚尊を八坂郷に祀ったのが起源とも言われています。なお八坂神社歴史では時代別に歴史年表にまとめ、重要人物も紹介したりしています。

八坂神社見どころ(本殿・西楼門など)

【前史(八坂造)】

★八坂神社が建立されている場所は渡来氏族(とらいしぞく)・八坂造(やさかのみやつこ)の一族が住した場所とも言われています。

【八坂神社創建(起源・由来)】

★八坂神社は飛鳥時代の656年(斉明天皇2年)に高麗(こうらい)から来日した調進副使(ちょうしんふくし)・伊利之使主(いりしおみ)が新羅(しらぎ)国・牛頭山(ごずさん)に座した素戔嗚尊(すさのおのみこと)=牛頭天王(ごずてんのう)を山城国愛宕郡八坂郷(やましろのくにおたぎぐんやさかごう)に祀ったのが起源とも言われています。
★八坂神社は平安時代前期の876年(貞観18年)に南都(奈良)の僧・円如(えんにょ)がお堂(八坂神社の神宮寺(じんぐうじ)・観慶寺(かんぎょうじ)を建立し、薬師如来(やくしにょらい)像を安置し、同年に天神(てんじん・祇園神(ぎおんのかみ))が東山の麓である祇園林に降り立ったのが起源とも言われています。

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【平安時代(794年頃~1185年頃)の出来事】

★869年(貞観11年)に京都をはじめ全国に流行した疫病を鎮める祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が神泉苑(しんせんえん)で行われました。この祇園御霊会が八坂神社の祭礼・祇園祭の起源と言われています。
★877年(元慶元年)に疫病が流行した際、東山の小祠(八坂神社)に勅使が派遣され、祈願すると疫病の流行が止んだことから八坂神社発展の契機になったと言われています。877年(元慶元年)から祇園祭(祇園御霊会)が八坂神社で行われるようになったとも言われています。
★879年(元慶3年)に第57代・陽成天皇(ようぜいてんのう)から八坂神社に堀川12町が社領として寄進され、同地の材木商人360人が神人(じにん)になりました。
★元慶年間(877年~885年)に太政大臣(だいじょうだいじん)・藤原基経(ふじわらのもとつね)が八坂神社に精舎(しょうじゃ)を建立し、感神院(かんしんいん)と称したとも言われています。
★927年(延長5年)に観慶寺(八坂神社)が定額寺(じょうがくじ)になったとも言われています。
★934年(承平4年)に観慶寺(八坂神社)山内に坊(子院)・感神院が建立されたとも言われています。その後感神院が観慶寺に代って、八坂神社の別当寺になったと言われています。
★970年(天禄元年)から祇園祭が毎年行われるようになりました。また祇園祭は官祭になったと言われています。
★974年(天延2年)に延暦寺(えんりゃくじ)の別院になったと言われています。八坂神社はそれ以前に奈良・興福寺(こうふくじ)に属していたが、延暦寺に属するようになりました。
★974年(天延2年)に第64代・円融天皇(えんゆうてんのう)の勅命によって大政所御旅所(おおまんどころおたびしょ)が造営され、祇園祭は勅祭になったと言われています。
★995年(長徳元年)に八坂神社は王城鎮護の社の二十一社に数えられました。1081年(永保2年)に二十二社の下八社に列せられました。
★1070年(延久2年)に太政官符(だじょうかんぷ)により、八坂神社の境内が「東は白河山、南は五条(松原)以北、西は鴨川、北は三条以南」に定められました。
★1072年(延久4年)に第71代・後三条天皇(ごさんじょうてんのう)が初めて八坂神社に行幸し、以後歴代天皇の行幸が行われるようになりました。
★平安時代中期頃から八坂神社は産土神(うぶすながみ)として信仰されるようになり、朝廷からも篤い崇敬されました。
★平安時代後期に平清盛(たいらのきよもり)が田楽を奉納しました。

【鎌倉時代(1185年頃~1333年頃)の出来事】

★鎌倉時代前期に鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(みなもとのよりとも)が八坂神社に狛犬(こまいぬ)を奉納しました。

【南北朝時代(1337年頃~1392年頃)の出来事】

★1385年(元中2年・至徳2年)に将軍家御師職(おししき)が設けられたと言われています。

【室町時代(1336年頃~1573年頃)の出来事】

★1384年(元中元年)に室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が八坂神社を延暦寺から独立させたと言われています。
★室時代中期に応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))が起こり、仮殿が焼失し、祇園祭が33年間中絶したと言われています。なお祇園祭は1500年(明応9年)に規模を縮小して再興され、くじ改めが始まったと言われています。
★室町時代に足利将軍家が八坂神社に社領を寄進したり、社殿を修造したりしました。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の出来事】

★1571年(元亀2年)に織田信長(おだのぶなが)による比叡山焼き討ち(ひえいざんやきうち)が起こり、八坂神社は延暦寺の支配から離れたとも言われています。
★1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が多宝塔(祇園大塔)を再建し、母の病気回復を祈願したと言われています。また豊臣秀吉は1万石も寄進し、戦国時代に荒廃した八坂神社が整備されます。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の出来事】

★1646年(正保3年)5月に江戸幕府が本殿を修理したが、同年11月に焼失しました。
★1654年(承応3年)に江戸幕府4代将軍・徳川家綱(とくがわいえつな)が本殿を再建しました。また徳川家綱は八坂神社に神宝類も寄進しました。
★寛政年間(1789年~1801年)に多宝塔が焼失しました。

【明治時代以降(1868年頃~)の出来事】

★明治維新後に神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、感神院は廃寺になって仏事が廃止され、社名を八坂神社に改めました。本殿西側に建立されていた観慶寺薬師堂も取り壊され、薬師如来立像(重要文化財)・十一面観音(じゅういちめんかんのん)立像は大蓮寺(だいれんじ)に移されました。なお八坂神社はかつて祇園社(ぎおんしゃ))・祇園感神院(ぎおんかんしんいん)・祇園神社などと称しました。
★1872年(明治4年)に八坂神社は官幣中社に列せられ、1915年(大正4年)に官幣大社に昇格されました。
★1875年(明治8年)に氏子組織・清々講社が設立されました。
★1911年(明治44年)に本殿が重要文化財に指定されました。
★1948年(昭和23年)に神社本庁の別表神社に列せられました。
★2019年(令和元年)に祇園祭が創始1,150年を迎えました。
★2020年(令和2年)に本殿が国宝に指定され、摂社末社など26棟が国の重要文化財に指定されました。

【江戸幕府4代将軍・徳川家綱:八坂神社の本殿再建】

八坂神社の本殿を再建したのは徳川家綱です。徳川家綱は1641年(寛永18年)に江戸幕府第3代将軍・徳川家光と側室・お楽の方(宝樹院)の間に生まれました。家綱は父・家光によって生まれた時から後継ぎに決められました。乳母・春日局に育てられ家光は父・徳川秀忠と母・江(崇源院)に寵愛された同母弟・徳川忠長と世継争いがあった為と言われています。家綱は1645年(正保2年)に元服し、1651年(慶安4年)4月20日に父・家光が亡くなると8月18日に10才で江戸城で将軍宣下を受け、江戸幕府第4代将軍に就任し、内大臣にも任じられました。家綱は幼少将軍であったことから叔父・保科正之や父・家光の遺老とも言われる酒井忠勝・松平信綱らに補佐され、治世29年間で幕府諸制度を整備しました。なお徳川家綱は質素倹約を重んじ、武芸学問を奨励し、武断政治から文治政治に政策を切り替えました。

【祇園祭:八坂神社の祭礼】
八坂神社の祭礼である祇園祭は869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(素戔嗚尊)の祟りであるとし、卜部日良麿が禁苑である神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会が起源と言われています。
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【八坂神社歴史の簡単まとめ 備考】
*参考・・・八坂神社(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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