祇園祭山鉾巡行見どころ2025年7月17日・24日(辻回し・・・)

祇園祭山鉾巡行(Latter Festival Yamahoko-Junko)

祇園祭山鉾巡行見どころ

祇園祭山鉾巡行見どころを紹介しています。山鉾巡行見どころには巡行中に行われるくじ改め・稚児舞・注連縄切り・辻回し・祇園囃子があります。また山鉾は「動く美術館」とも言われ、山鉾に飾られる懸装品も見どころです。ちなみに山鉾には高さが25メートルを越えるものもあります。

★祇園祭最新情報。

【祇園祭山鉾巡行2025 日程時間(要確認)】

●山鉾巡行(前祭)・・・・2025年(令和7年)7月17日(木曜日)9:00 四条烏丸出発
祇園祭山鉾巡行(前祭)
●山鉾巡行(後祭)・・・・2025年(令和7年)7月24日(木曜日)9:30 烏丸御池出発
祇園祭山鉾巡行(後祭)

●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭山鉾巡行見どころ 地図マップ】

【祇園祭 歴史・簡単概要】

祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。

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【懸装品(けそうひん)】

懸装品(けそうひん)は山鉾を彩り、山鉾は「動く美術館」と言われています。懸装品には西陣織物をはじめ中国・ベルギー・インド製などの貴重なものが使われました。函谷鉾(前祭)の前懸・鶏鉾(前祭)の見送は重要文化財に指定されています。また鯉山(後祭)の前懸・胴懸・水引・見送も重要文化財に指定されています。懸装品は山鉾巡行の見どころです。(懸装品は変更になっている場合があります。)
●函谷鉾の前懸は16世紀(戦国時代頃)に製造されたベルギー製のタペストリー(飾毛綴)で、「旧約聖書」の創世記24章に記されている「イサクの結婚」の物語が描かれています。函谷鉾の前懸は江戸時代に九州・平戸に伝わり、1718年(享保3年)に函谷鉾町に居住していた沼津宇右衛門が函谷鉾に寄贈したと言われています。
●鶏鉾の見送は16世紀(戦国時代頃)に製造されたベルギー・フランドル地方製のタペストリー(飾毛綴)で、「イーリアス」のトロイアの戦争物語でトロイの王子・ヘクトルが妻子と別れを告げる場面が描かれています。鶏鉾の見送は江戸時代初期に日本に伝わり、1815年(文化12年)に鶏鉾が購入したと言われています。
●鯉山の前懸・胴懸・水引・見送は1575年~1620年(安土桃山時代~江戸時代前期)に製造されたベルギー・ブリュッセルのタペストリー(飾毛綴)で、「イーリアス」のトロイアの戦争物語でトロイのプリアモス王とその后であるヘカベーが描かれています。前懸・胴懸・水引・見送は裁断して作られました。

【祇園囃子(コンチキチン)】

祇園囃子(コンチキチン)は7月17日の山鉾巡行(前祭)・7月24日の山鉾巡行(前祭)で奏でられます。祇園囃子は囃子方を持つ山鉾で奏でられます。祇園囃子は鉦(かね)・笛・太鼓で編成されています。祇園囃子には山鉾に共通している部分もあるが、その多くは各山鉾独自のものだそうです。なお祇園囃子は親しみを込めて、「コンチキチン」とも言われています。
祇園祭祇園囃子
●囃子方は前祭の長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・菊水鉾・月鉾・放下鉾・船鉾・岩戸山・綾傘鉾・四条傘鉾、後祭の北観音山・南観音山・大船鉾・鷹山にあります。
●鷹山は長く休山だったことから祇園囃子が伝承されず、北観音山を基礎とした祇園囃子が編曲・構成されています。ただ2021年(令和3年)に「調」・「序」・「楽」・「遊」・「飛」のオリジナルの新曲が加わりました。
●祇園囃子は室町時代末期から奏でられるようになったが、現在のような様式が整えられたのは江戸時代と言われています。

【くじ改め(鬮検め・鬮改め)】

くじ改め(鬮検め・鬮改め)は7月17日の山鉾巡行(前祭)・7月24日の山鉾巡行(後祭)で行われます。山鉾巡行(前祭)では四条堺町、山鉾巡行(後祭)では京都市役所前で行われます。くじ改めでは7月2日のくじ取り式で決まった順番で山鉾巡行が行われているかを確認します。奉行役の京都市長に各山鉾町の町行司がくじ(鬮)の入った文箱を扇子を使って紐を解き、蓋を開けてくじ(鬮)を差し出します。京都市長はがくじ(鬮)の順番を読み上げて確認が済むと町行司が後ずさりして戻り、山鉾を扇子で招きます。この時の粋な姿が山鉾巡行の見どころです。最近は子どもが町行司になることも多くなっています。なお山鉾の内、くじ取らずの山鉾は奉行に挨拶だけを行い、舁山は山を回転させます。
●山鉾巡行(前祭)では月鉾・鶏鉾・菊水鉾・孟宗山・芦刈山・伯牙山・油天神山・四条傘鉾・占出山・蟷螂山・木賊山・山伏山・郭巨山・綾傘鉾・太子山・白楽天山・保昌山・霰天神山がくじ改めを行います。長刀鉾・函谷鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾はくじ取らずです。
祇園祭くじ改め(前祭)
●山鉾巡行(後祭)では鯉山・八幡山・黒主山・役行者山・浄妙山・鈴鹿山で行われます。橋弁慶山・北観音山・南観音山・鷹山・大船鉾はくじ取らずです。
祇園祭くじ改め(後祭)
●くじ取り式・くじ改めは1500年(明応9年)の祇園祭再興の際に始まりました。江戸時代のくじ改めは「祇園祭礼図」によると前祭が高倉通と柳馬場通の間の四条通、後祭が東洞院通と高倉通の間の三条通で行われていました。江戸時代は現在と山鉾巡行ルートが異なっていました。

【稚児舞(太平の舞)】

稚児舞(ちごまい)は7月17日の山鉾巡行(前祭)だけで行われます。山鉾巡行(後祭)では行われません。稚児舞は注連縄切りの前や長刀鉾の巡行中に町名が変わる度に披露されます。稚児舞は太平の舞とも言われ、山鉾巡行(前祭)のコースを清め祓い、疫病の退散を祈願します。稚児舞も山鉾巡行の見どころです。
祇園祭稚児舞
●放下鉾の稚児人形・三光丸(さんこうまる)は稚児舞を披露できるように作られ、山鉾巡行中に児舞を披露します。稚児人形には函谷鉾の嘉多丸(かたまる)・菊水鉾の菊丸・月鉾(つきほこ)の於兎丸(おとまる)・鶏鉾の名称不詳があります。

【注連縄切り(しめなわ切り)】

注連縄切り(しめなわ切り)は7月17日の山鉾巡行(前祭)だけで行われます。山鉾巡行(後祭)では行われません。注連縄切りは山鉾巡行(前祭)の先頭を巡行する長刀鉾が四条麩屋町に到着すると神の使いである長刀鉾稚児が稚児舞(太平の舞)を披露し、その後斎竹(いみだけ)に張られた注連縄を太刀で切って神域との結界を開放します。注連縄切りも山鉾巡行の見どころです。なお注連縄切りは太刀を使うことから長刀鉾稚児と稚児をサポートする稚児係が二人羽織のように行います。
祇園祭注連縄切り
●注連縄切りは1956年(昭和31年)に山鉾巡行(前祭)ルートが変更された際に古い文献を参考行われるようになりました。それまでは長刀鉾の役員が行っていたそうです。なお注連縄切りはかつて八坂神社の摂社になっている悪王子社(あくおうじしゃ)が祀られていた四条東洞院に泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭(たちゅう)・来迎院(らいごういん)が斎竹を建てて行われていました。
●斎竹は7月15日の早朝に建てられ、注連縄は山鉾巡行(前祭)の直前に張られます。
●注連縄切りは現在、八坂神社の摂社になっている悪王子社が祀られていた四条東洞院に泉涌寺の塔頭・来迎院が斎竹を建て行われていました。

【辻回し(方向転換)】

辻回し(つじまわし)は7月17日の山鉾巡行(前祭)・7月24日の山鉾巡行(後祭)で行われます。辻回しは鉾(ほこ)・曳山(ひきやま)・船鉾(ふねほこ)が四条河原町・河原町御池などの交差点で90度方向転換する際に行われます。辻回しでは道路に青竹などを敷って水を掛け、引き綱を何回か横から引き、山鉾を90度方向転換させます。ちなみに山鉾巡行では通常2人の音頭方が「エンヤラヤー」と音頭を取って巡行するが、辻回しの際には音頭方が4人になり、掛け声も「ヨイヨイヨイトセ ヨイトセ」に変わります。辻回しも山鉾巡行の見どころです。
●山鉾巡行(前祭)では大型の鉾・曳山・船鉾である長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・菊水鉾・月鉾・放下鉾・岩戸山・船鉾が辻回しを行います。
祇園祭辻回し(前祭)
●山鉾巡行(後祭)では大型の曳山・船鉾である北観音山・南観音山・大船鉾・鷹山が辻回しを行います。
祇園祭辻回し(後祭)
●音頭方の扇子の突き出し方には地面に垂直に突き出す「城下の手伝い(碇)」と地面に水平に突き出す「六条の手伝い(丸二)」があります。「城下の手伝い(碇)」は月鉾・放下鉾・岩戸山・北観音山・大船鉾、「六条の手伝い(丸二)」は長刀鉾・函谷鉾・菊水鉾・鶏鉾・船鉾・南観音山が行ないます。

【棒振り踊り・カラクリ仕掛け】

綾傘鉾・四条傘鉾は山鉾巡行(前祭)中に赤熊(しゃぐま)を付けた棒振り踊りが披露されます。蟷螂山は山鉾巡行(前祭)中に蟷螂(カマキリ)の頭・鎌・羽の部分や御所車の車輪がカラクリ仕掛けで動きます。

【山鉾巡行見物の歴史】

祇園祭では本来、神輿渡御などの神事が重要な行事だったが、次第に祭礼への関心が神事から山鉾巡行に移り、祇園祭の見どころが山鉾巡行になります。南北朝時代(1337年~1392年)頃には既に山鉾が大型化し、南北朝時代から室町時代前期に室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)、室町幕府2代将軍・足利義詮(あしかがよしあきら)、室町幕府3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が山鉾(山鉾巡行)を見物したとも言われています。「賢俊僧正日記」の1355年(正平10年・文和4年)6月14日の条に「将軍(足利尊氏)・羽林(足利義詮)所望之間、祇園会棧敷用意、御台(平登子(足利尊氏の妻で、足利義詮の母))同入御、三条烏丸南頬也、面七間打之」と記されています。また「迎陽記」の1380年(天授6年・康暦2年)6月14日の条に「今日祇園会也、大樹(足利義満)御棧、敷土岐大膳大夫入道善忠用意之、十間(五間女中・三間御座・二間近習輩)、又二間(近習并善忠・若党等)、也、」と記されています。足利尊氏・足利義詮・足利義満は棧敷を設けて山鉾(山鉾巡行)を見物したと言われています。ちなみに現在の山鉾の中で最古と言われる長刀鉾(なぎなたほこ)が室町時代中期の1441年(嘉吉元年)、またはそれ以前に創建されたと言われ、足利尊氏・足利義詮・足利義満が見物した祇園祭・山鉾(山鉾巡行)は現在と違ったものだったと考えられます。ただ詳しい内容が記されている古文書は多くありません。イエズス会の宣教師であるルイス・フロイスが記した「Historia de Iapan(フロイス日本史)」には「祭りの数日前に、各町内とその職人たちに、持ち出さねばならない出し物が割り当てられる。ついで当日になると、朝方、無数の群衆が、このまつりを見物するために都に殺到して来る」と記され、祇園祭・山鉾巡行の見物は大変人気だったようです。なお祇園祭・山鉾巡行は室町幕府4代将軍・足利義持(あしかがよしもち)、室町幕府6代将軍・足利義教(あしかがよしのり)を含む足利将軍だけでなく、第102代・後花園天皇(ごはなぞのてんのう)などの天皇、後小松上皇(第100代・後小松天皇(ごこまつてんのう))などの上皇、伏見宮貞成親王(ふしみのみやさだふさしんのう)などの親王、そして日本を訪れた明(中国)や朝鮮の外国使節も見物したことが古文書に記されています。

【祇園祭山鉾巡行見どころ 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
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