祇園祭くじ改め(後祭)2026年7月24日(山鉾巡行順)

祇園祭くじ改め(後祭)

祇園祭くじ改め(後祭)(日程・時間・・・)を紹介しています。くじ改め(後祭)は7月24日の山鉾巡行(後祭)で行われます。くじ改めではくじ取らずの山鉾5基を除き、6基の山鉾が7月2日のくじ取り式で決まった順番通りに巡行しているかを確認します。くじ改めは京都市役所前で行われます。(詳細下記参照)

●昨年の順番:1-橋弁慶山、2-南観音山、3-★役行者山、4-★浄妙山、5-★鯉山、6-北観音山、7-★八幡山、8-★黒主山、9-★鈴鹿山、10-鷹山、11-大船鉾(★はくじ改めを行います。)
★祇園祭最新情報。

【祇園祭くじ改め(後祭)2026 日程時間(要確認)】

祇園祭くじ改め(後祭)2026は2026年(令和8年)7月24日(金曜日)9:50頃から京都市役所前で行われます。
祇園祭山鉾巡行(後祭)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭くじ改め(後祭) アクセス・マップ】

場所・・・京都府京都市・烏丸御池
最寄り駅・バス停・・・烏丸御池駅(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

祇園祭山鉾巡行コース(後祭)

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【祇園祭くじ改め(後祭) 簡単概要】

祇園祭くじ改め(くじあらため)(後祭)は7月24日に行われる山鉾巡行(後祭)の出発後に京都市役所前の鬮改め処(関所)で行われます。くじ改めではくじ取らずの山鉾5基である橋弁慶山(1番目先頭)・北観音山(2番目または6番目の隔年)・南観音山(2番目または6番目の隔年)・鷹山(10番目)・大船鉾(殿11番目)を除く、6基の山鉾が7月2日のくじ取り式で決まった順番通りに巡行しているかを確認します。山鉾町では正使(せいし・町行司(まちぎょうじ))1名・副使(ふくし)2名が選ばれます。先ず副使が厄除けちまきを奉行補佐に収めます。その後町行司(正使)が奉行役の京都市長の前に進み、手を使わずに扇子(せんす)を使ってくじ(鬮)の入った文箱(ふばこ)の紐(ひも)を解き、蓋(ふた)を開けてくじ(鬮)の入った文箱を頭にかざし、奉行にくじを改めてもらいます。奉行(京都市長)は山鉾の名前と順番が書かれたくじを読み上げて確認します。確認が済むと町行司(正使)は扇子で紐を跳ね上げて巻き付け、後ずさりして戻り、扇子を勢いよく開き、山鉾を扇子で招きます。ちなみにくじ取らずの山鉾は奉行(京都市長)に挨拶だけを行い、舁山(かきやま)は山を回転させて懸装品(けそうひん)を見てもらいます。ただ先頭を巡行する橋弁慶山は奉行の前で山を回転させる必要がない特別扱いになっています。

●くじ取り式(鬮取り式)は応仁の乱によって祇園祭が33年間に渡って中断し、1500年(明応9年)に祇園祭を復興する際、山鉾巡行の先陣争いが絶えなかったことから室町幕府の奉行衆・松田豊前守頼亮が混乱を避ける為に私宅で始めたのが起源と言われています。その後六角堂(頂法寺)で行われるようになりました。1757年(宝暦7年)の「祇園会細記(ぎおんえさいき)」に「祇園会の祭式はそもそも毎歳五月朔日の致斎より四条御旅町に榊を立つる。(略)六日の早天には、六角堂において、山鉾行列前後の鬮取あり。(略)また八日よりは十四日の山鉾の営みありて、十三日の朝鬮取あり。」と記され、旧暦6月6日・13日の朝に六角堂で山鉾巡行(前祭)・山鉾巡行(後祭)に合わせて2回くじ取り式が行われていたことが分かります。明治時代以降に京都府庁で行われるようになり、1899年(明治32年)から京都市役所に場所が変わり、戦後の一時期に八坂神社で行われたこともあったが、1953年(昭和28年)から京都市役所市の会議場で行われるようになり、日程も7月2日に固定されました。
●奉行役は大紋烏帽子(だいもんえぼうし)を着用しています。大紋は武家の装束の一種です。大紋は大きな紋様を要所につけた直垂(ひたたれ)で、大紋の直垂の略です。武家では鎌倉時代頃から直垂(ひたたれ)に大きな文様を入れることが流行し、大紋は室町時代頃に始まり、江戸時代に五位の武家で、諸大夫以上の通常礼装になりました。ちなみに一般の大名当主は五位に叙せられることが慣例になっており、大紋は大名当主の礼服でした。江戸時代に大紋は上下同じ生地から作られ、長袴を用いるようになりました。
●江戸時代のくじ改めは「祇園祭礼図」によると前祭では高倉通(たかくらどおり)と柳馬場通(やなぎばばどおり)の間の四条通(しじょうどおり)、後祭では東洞院通(ひがしのとういんどおり)と高倉通の間の三条通(さんじょうどおり)で行われていました。江戸時代中期に記された「翁草(おきなぐさ)」巻25「京都古町の事」に「六角堂に於て山鉾鬮取の節も、其場所へ立会、当日山鉾引出の節は、四條柳馬場に雑色四人各床机に着坐し、下雑色八人是に属して警固し、其前へ引懸る節、其町の年寄五人組より、其鉾何番と云ふ鬮取の印紙を差出す〈此印紙京都町奉行の印なり〉下雑色受取て上雑色へ披露す、上雑色四人床机に在て、此印紙を取廻して改之、町役人其間は傍に蹲踞す、改済て鉾を引出す、」と記され、雑色(ぞうしき)が六角堂のくじ取り式やくじ改めに立ち会っていたことが分かります。くじ改めでは上雑色4人が床机に着座し、下雑色8人が警護する中、山鉾町の年寄5人組がくじ取の印紙を差し出し、上雑色4人が確認し、その後山鉾が巡行を再開します。
●後祭では橋弁慶山が先頭だったが、1872年(明治5年)に北観音山が復興した際に編成上の理由により、北観音山が先頭、橋弁慶山が2番目を巡行するようになったが、2012年(平成24年)に142年振りに大船鉾が唐櫃で復帰した際に橋弁慶山が140年振りに先頭に復帰しました。また2022年(令和4年)に鷹山が復帰したことから2023年(令和5年)から2番目を巡行していた北観音山と6番目を巡行していた南観音山が隔年で入れ替わることになりました。

【くじを取る山鉾】

鯉山(こいやま)・浄妙山(じょうみょうやま)・黒主山(くろぬしやま)・役行者山(えんのぎょうじゃやま)・鈴鹿山(すずかやま)・八幡山(はちまんやま)

【くじ取らずの山鉾】

1番目(先頭)の橋弁慶山(はしべんけいやま)・2番目または6番目の北観音山(きたかんのんやま)・2番目または6番目の南観音山(みなみかんのんやま)・10番目の鷹山(たかやま)・11番目(最後尾)の大船鉾(おおふねほこ)

【祇園祭くじ改め(後祭) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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