祇園祭くじ改め(前祭)2026年7月17日(山鉾巡行順)
祇園祭くじ改め(前祭)
祇園祭くじ改め(前祭)(日程・時間・・・)を紹介しています。くじ改め(前祭)は7月17日に山鉾巡行(前祭)で行われます。くじ改めではくじ取らずの山鉾5基を除き、18基の山鉾がくじ取り式で決まった順番通りに巡行しているかを確認します。くじ改めは四条堺町で行われます。(詳細下記参照)
●昨年の順番:1-長刀鉾、2-★占出山、3-★霰天神山、4-★山伏山、5-函谷鉾、6-★油天神山、7-★綾傘鉾、8-★蟷螂山、9-★菊水鉾、10-★保昌山、11-★伯牙山、12-★白楽天山、13-★月鉾、14-★木賊山、15-★四条傘鉾、16-★太子山、17-★鶏鉾、18-★芦刈山、19-★郭巨山、20-★孟宗山、21-放下鉾、22-岩戸山、23-船鉾(★はくじ改めを行います。)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭くじ改め(前祭)2026 日程時間(要確認)】
祇園祭くじ改め(前祭)2026は2026年(令和8年)7月17日(金曜日)9:15頃から四条堺町で行われます。
祇園祭山鉾巡行(前祭)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭くじ改め(前祭) アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市・四条烏丸
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ
【祇園祭くじ改め(前祭) 簡単概要】
祇園祭くじ改め(くじあらため)(前祭)は7月17日に行われる山鉾巡行(前祭)の出発直後に四条堺町の鬮改め処(関所)で行われます。くじ改めではくじ取らずの山鉾5基である長刀鉾(1番目先頭)・函谷鉾(5番目)・放下鉾(21番目)・岩戸山(22番目)・船鉾(殿23番目)を除く、18基の山鉾が7月2日のくじ取り式で決まった順番通りに巡行しているかを確認するものです。山鉾町では正使(せいし・町行司)1名・副使(ふくし)2名が選ばれます。先ず副使2名が厄除けちまき(粽)を奉行補佐(京都府知事・市局長)に収めます。その後町行司(正使)が奉行役の京都市長の前に進み、手を使わずに扇子(せんす)を使ってくじ(鬮)の入った文箱(ふばこ)の紐(ひも)を解き、蓋(ふた)を開けてくじ(鬮)の入った文箱を頭にかざし、奉行(京都市長)にくじを改めてもらいます。奉行(京都市長)は山鉾の名前と順番が書かれたくじを読み上げて確認します。確認が済むと町行司(正使)は扇子で紐を跳ね上げて巻き付け、後ずさりして戻り、扇子を勢いよく開き、山鉾を扇子で招きます。ちなみにくじ取らずの山鉾は奉行(京都市長)に挨拶だけを行い、小型の舁山(かきやま)は山を1回転させて懸装品を見てもらいます。
●くじ取り式は応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))によって祇園祭が33年間に渡って中断し、1500年(明応9年)に祇園祭を復興する際、山鉾巡行の先陣争いが絶えなかったことから室町幕府の奉行衆・松田豊前守頼亮(まつだぶぜんのかみよりすけ)が混乱を避ける為に私宅で始めたのが起源と言われています。「祇園会山鉾事」に「今度御再興巳後、山鉾次第町人等諍論之間、鬮取次第也、前々日町人等来愚邸鬮取之、雑色等来入申付之、 頼亮」と記され、松田豊前守頼亮の私宅に町人や室町幕府侍所(さむらいどころ)に属する雑色(ぞうしき)が集まったことが分かります。その後京都の中心地で、下京の町堂として下京の人々の精神的な拠り所だったと言われる六角堂(ろっかくどう・頂法寺(ちょうほうじ))で行われるようになり、江戸時代(1603年~1868年)に雑色の立ち会いのもとで行われるようになりました。ちなみにくじ取り式はかつて山鉾巡行(前祭)・山鉾巡行(後祭)の前日に2回行われていました。明治時代(1868年~1912年)以降に京都府庁で行われるようになり、1899年(明治32年)から京都市役所に場所が変わり、戦後の一時期に八坂神社で行われたこともあったが、1953年(昭和28年)から京都市役所市の会議場で行われるようになり、日程も7月2日に固定されました。
●奉行役(京都市長)は大紋烏帽子(だいもんえぼうし)を着用しています。大紋は武家の装束の一種です。大紋は大きな紋様を要所につけた直垂(ひたたれ)で、大紋の直垂の略です。武家では鎌倉時代(1185年~1333年)頃から直垂に大きな文様を入れることが流行し、大紋は室町時代(1336年~1573年)頃に始まり、江戸時代(1603年~1868年)に五位(ごい)の武家で、諸大夫(しょだいぶ)以上の通常礼装になりました。ちなみに一般の大名当主は五位に叙せられることが慣例になっており、大紋は大名当主の礼服でした。江戸時代に大紋は上下同じ生地から作られ、長袴(ながばかま)を用いるようになりました。大紋では大きめの家紋を背の中央・左右の袖の中央・袖の後ろ側・長袴の尻部分、小さめの家紋を長袴の前側に入れました。なお大紋を着用する場合、風折烏帽子(かざおりえぼし)・熨斗目小袖(のしめこそで)または白帷(しろかたびら)で、小刀(ちいさがたな)を帯びました。
●江戸時代(1603年~1868年)のくじ改めは「祇園祭礼図」によると前祭では高倉通と柳馬場通の間の四条通、後祭では東洞院通と高倉通の間の三条通で行われていました。北側を向いて床机が置かれ、雑色がくじを確認していました。1757年(宝暦7年)の「祇園会細記」によると前祭のくじ改めの場所は「此所公武見物有し旧跡なり」、後祭のくじ改めの場所は「北側曇華院宮様御物見の向ひ」と記され、公家・武家などの貴人が山鉾巡行を見物する場だったと言われています。ちなみに1378年(天授4年・永和4年)には室町幕府3代将軍・足利義満が四条東洞院に桟敷を設け、世阿弥と祇園祭を見物しました。また1504年(永正元年)には第104代・後柏原天皇が祇園祭を見物しました。
【くじを取る山鉾】
鶏鉾(にわとりほこ)・菊水鉾(きくすいほこ)・月鉾(つきほこ)・綾傘鉾(あやがさほこ)・四条傘鉾(しじょうかさほこ)・保昌山(ほうしょうやま)・孟宗山(もうそうやま)・占出山(うらでやま)・山伏山(やまぶしやま)・霰天神山(あられてんじんやま)・郭巨山(かっきょやま)・伯牙山(はくがやま)・芦刈山(あしかりやま)・油天神山(あぶらてんじんやま)・木賊山(とくさやま)・太子山(たいしやま)・白楽天山(はくらくてんやま)・蟷螂山(とうろうやま)
【くじ取らずの山鉾】
1番目(先頭)の長刀鉾(なぎなたほこ)・5番目の函谷鉾(かんこほこ)・21番目の放下鉾(ほうかほこ)・22番目の岩戸山(いわとやま)・23番目(最後尾)の船鉾(ふねほこ)
【祇園祭くじ改め(前祭) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)


















