祇園祭くじ改め(前祭)7/17(日程時間・・・)

祇園祭くじ改め(前祭)

祇園祭くじ改め(7月17日)(日程・時間・・・)を紹介しています。祇園祭くじ改めは7月17日に行われています。くじ改めではくじ取らずの長刀鉾(1番目先頭)・函谷鉾(5番目)・放下鉾(21番目)・岩戸山(22番目)・船鉾(殿23番目)を除く山鉾が7月2日のくじ取り式で決まった順番通りに巡行しているかを確認します。(詳細下記参照)

●祇園祭2023最新情報。

【祇園祭くじ改め 日程時間(要確認)】
祇園祭くじ改めは7月17日9:00過ぎから四条堺町で行われます。
祇園祭山鉾巡行(前祭)2023
祇園祭2023日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)

【祇園祭くじ改め アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市・四条烏丸
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩すぐ)

アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
地下鉄・アクセスダイヤ

祇園祭山鉾巡行ルート(前祭)

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【祇園祭くじ改め 簡単概要】
祇園祭くじ改め(くじあらため)は7月17日に行われる山鉾巡行(前祭)の出発直後に四条堺町で行われます。くじ改めではくじ取らずの長刀鉾(1番目先頭)・函谷鉾(5番目)・放下鉾(21番目)・岩戸山(22番目)・船鉾(殿23番目)を除く山鉾が7月2日のくじ取り式で決まった順番通りに巡行しているかを確認します。山鉾町では正使(せいし・町行司)1名・副使(ふくし)2名が選ばれます。先ず副使が厄除けちまきを奉行補佐に収めます。その後町行司が奉行役の京都市長の前に進み、手を使わずに扇子(せんす)を使ってくじ(鬮)の入った文箱(ふばこ)の紐(ひも)を解き、蓋(ふた)を開けてくじ(鬮)の入った文箱を頭にかざし、奉行にくじを改めてもらいます。奉行は山鉾の名前と順番が書かれたくじを読み上げて確認します。確認が済むと町行司は扇子で紐を跳ね上げて巻き付け、後ずさりして戻り、扇子を勢いよく開き、山鉾を扇子で招きます。ちなみにくじ取らずの山鉾は奉行に挨拶だけを行い、舁山(かきやま)は山を回転させて懸装品を見てもらいます。
●昨年の山鉾巡行(前祭)順番は長刀鉾・蟷螂山・芦刈山・木賊山・函谷鉾・郭巨山・綾傘鉾・伯牙山・菊水鉾・油天神山・太子山・保昌山・鶏鉾・白楽天山・四条傘鉾・孟宗山・月鉾・山伏山・占出山・霰天神山・放下鉾・岩戸山・船鉾です。

●くじ取り式は応仁の乱によって祇園祭が33年間に渡って中断し、1500年(明応9年)に祇園祭を復興する際、山鉾巡行の先陣争いが絶えなかったことから室町幕府の奉行衆・松田豊前守頼亮が混乱を避ける為に私宅で始めたのが起源と言われています。その後六角堂で行われるようになり、江戸時代に雑色の立ち会いのもとで行われるようになりました。明治時代以降に京都府庁で行われるようになり、1899年(明治32年)から京都市役所に場所が変わり、戦後の一時期に八坂神社で行われたこともあったが、1953年(昭和28年)から京都市役所市の会議場で行われるようになり、日程も7月2日に固定されました。
●山鉾巡行(前祭)では山鉾23基が四条烏丸から出発し、四条通・河原町通・御池通の順に巡行します。
祇園祭くじ取り式
●奉行役は大紋烏帽子(だいもんえぼうし)を着用しています。大紋は武家の装束の一種です。大紋は大きな紋様を要所につけた直垂(ひたたれ)で、大紋の直垂の略です。武家では鎌倉時代頃から直垂に大きな文様を入れることが流行し、大紋は室町時代頃に始まり、江戸時代に五位(ごい)の武家で、諸大夫(しょだいぶ)以上の通常礼装になりました。ちなみに一般の大名当主は五位に叙せられることが慣例になっており、大紋は大名当主の礼服でした。江戸時代に大紋は上下同じ生地から作られ、長袴(ながばかま)を用いるようになりました。大紋では大きめの家紋を背の中央・左右の袖の中央・袖の後ろ側・長袴の尻部分、小さめの家紋を長袴の前側に入れました。なお大紋を着用する場合、風折烏帽子(かざおりえぼし)・熨斗目小袖(のしめこそで)または白帷(しろかたびら)で、小刀(ちいさがたな)を帯びました。
●江戸時代のくじ改めは「祇園祭礼図」によると前祭では高倉通と柳馬場通の間の四条通、後祭では東洞院通と高倉通の間の三条通で行われていました。北側を向いて床机が置かれ、雑色がくじを確認していました。江戸時代中期の1757年(宝暦7年)の「祇園会細記」によると前祭のくじ改めの場所は「此所公武見物有し旧跡なり」、後祭のくじ改めの場所は「北側曇華院宮様御物見の向ひ」と記され、公家・武家などの貴人が山鉾巡行を見物する場だったと言われています。ちなみに南北朝時代(室町時代前期)の1378年(永和4年)には室町幕府3代将軍・足利義満が四条東洞院に桟敷を設け、世阿弥と祇園祭を見物しました。また戦国時代(室町時代後期)の1504年(永正元年)には第104代・後柏原天皇が祇園祭を見物しました。

【祇園祭くじ改め 山鉾】
●長刀鉾は鉾頭に疫病邪悪を祓う大長刀を付けていることに由来しています。(くじ取らず)
●函谷鉾は中国の戦国時代(紀元前403~221年)に斉の孟嘗君が鶏の声により、函谷関を脱出できたという故事に由来しています。(くじ取らず)
●鶏鉾は中国の堯の時代に天下がよく治まり、訴訟用の太鼓(諫鼓)に用がなくなり、苔が生えて鶏が宿ったという故事に由来しています。
●菊水鉾は室町時代末期町内に千利休の師である茶人・武野紹鴎の大黒庵があり、その屋敷にあった菊水井に由来しています。
●月鉾は鉾頭に新月型を付けていることに由来しています。
●放下鉾は真木の天王座に放下僧の像を祀っていることに由来しています。(くじ取らず)
●綾傘鉾は鉾頭が金の鶏と金幣の古い形式の傘鉾です。
●四条傘鉾は傘の上に花瓶・赤幣・若松を飾った応仁の乱以前に起源を持つ古い形式の傘鉾です。
●保昌山は和泉式部と和泉式部から紫宸殿の紅梅を手折って欲しいと頼まれた丹後守・平井保昌との恋物語に由来しています。
●孟宗山は中国の史話・二十四孝の一人である孟宗が病身の母が欲しがった筍を真冬の雪の中から掘り当てたことに由来しています。
●占出山は神功皇后の新羅遠征の際、肥前松浦川で鮎を釣って戦勝の兆としたという説話に由来しています。
●山伏山は八坂の塔・法観寺の五重塔がかつて傾いた際に法力によって直した山伏・浄蔵貴所に由来しています。
●霰天神山は永正年間の大火の際に霰が急に降って大火が鎮火し、その時霰とともに降ってきた天神さまを祀ったことに由来しています。
●郭巨山は中国の史話・二十四孝の一人である郭巨が貧しさから母と子を養うことができず、子を山に埋めようとして土の中から黄金の釜を掘り当てた故事に由来しています。
●伯牙山は中国の周時代に琴の名人・伯牙が親友・鍾子期の訃報に悲しんで、琴の弦を断ったという故事に由来しています。
●芦刈山は故あって妻と離れ、難波の浦で芦を刈る一人の老翁が三年振りに妻との再会を果たした謡曲・芦刈に由来しています。
●油天神山は古くから油小路通にある風早町に祀られていた天神さんを勧請したことに由来しています。
●木賊山は我が子を人にさらわれ、信濃伏屋の里で一人木賊を刈る翁を描いた謡曲・木賊に由来しています。
●太子山は聖徳太子を祀っていることに由来しています。
●白楽天山は唐の詩人・白楽天が道林禅師に仏法の大意を問うた説話に由来しています。
●蟷螂山は車に惹かれそうなカマキリが鎌を振り上げて立ち向う「蟷螂の斧を以て隆車の隧を禦がんと欲す」という中国の故事に由来しています。
●岩戸山は天照大神が天の岩戸を開いて現れる日本神話に由来しています。(くじ取らず)
●船鉾は神功皇后の新羅遠征の際の出船に由来しています。(くじ取らず)

【祇園祭くじ改め 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2023日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)

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