祇園祭注連縄切り(前祭)2025年7月17日・山鉾巡行(前祭)

祇園祭注連縄切り(前祭)
祇園祭注連縄切り(前祭)(日程・時間・・・)を紹介しています。注連縄切り(前祭)は7月17日の山鉾巡行(前祭)で行われます。注連縄切りでは斎竹に張られた注連縄を太刀で切り、神域との結界を開放し、山鉾が進んでいきます。注連縄切りは太刀を使うことから長刀鉾稚児と稚児を後からサポートする稚児係が二人羽織のように行います。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭注連縄切り(前祭)2025 日程時間(要確認)】
祇園祭注連縄切り(前祭)2025は2025年(令和7年)は7月17日(木曜日)9:25頃に行われます。
祇園祭山鉾巡行(前祭)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2026日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭注連縄切り(前祭) アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市・四条烏丸
最寄り駅・バス停・・・四条駅(徒歩すぐ)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅からは地下鉄烏丸線
祇園祭山鉾巡行ルート(前祭)
【祇園祭注連縄切り(前祭) 簡単概要】
祇園祭注連縄切り(しめなわきり)(前祭)は7月17日に行われる山鉾巡行(前祭)の出発直後に四条麩屋町(しじょうふやちょう)で行われます。注連縄切りの前には現在唯一の生稚児(いきちご)で、神の使いとされる長刀鉾(なぎなたほこ)稚児が清め祓い、疫病の退散を祈願する稚児舞(ちごまい・太平の舞)を披露し、その後胸に抱いた鼓(つづみ・鞨鼓(かっこ))を外します。ちなみに稚児は白塗りにクジャクの羽を飾った蝶とんぼ(蝶蜻蛉)の冠を被り、青海波に鶴模様の藤紫色の振り袖と薄緑紗の肩衣袴を着用します。
注連縄切りの直前に7月15日の早朝に四条麩屋町に建てられた斎竹(いみだけ)に注連縄が張られ、長刀鉾の欄縁(らんぶち)に注連縄を切る為の板が設置され、注連縄が板の上にセットされます。注連縄切りは太刀(重さ約1キロの日本刀)を使うことから長刀鉾稚児と稚児を後からサポートする稚児係が二人羽織のように行います。先ず太刀(たち)を鞘(さや)から抜き、鞘を向かって右側の禿(かむろ)が持ちます。その後太刀をゆっくりと左右に振って太刀に神を宿らせ、太刀を真ん中に戻すと一気に振り下ろして注連縄を一刀両断にします。その後両手を広げ、太刀を鞘に戻して終了します。注連縄切りには神域との結界を開放する役割があります。なお7月24日に行われる山鉾巡行(後祭)では注連縄切りは行われません。
なお長刀鉾稚児は7月17日の山鉾巡行(前祭)前に先ず竹光(たけみつ)で注連縄切りを練習し、その後本番の太刀(日本刀)に持ち替えて練習し、模擬の縄を一刀両断するそうです。邪気を断ち切るような気持ちを持って練習するそうです。
●注連縄切りは1757年(宝暦7年)に成立しました「祇園会細記(ぎおんえさいき)」に「御旅所の斎竹建る事(略)泉涌寺中来迎院より立る、是悪王子社のしめ也、悪王子社泉涌寺支配ゆへ也、此社、古へ四条東洞院に有し也、其注縄を長刀桙参入の時切て通し古例ゆへ、今以四条白山通に至れバ切とく例也」と記され、かつて泉涌寺(せんにゅうじ)が支配し、現在八坂神社の摂社になっている悪王子社(あくおうじしゃ)に由来して行われていることが分かります。そしてかつて四条東洞院で行われていたが、その後四条白山通で行われるようになりました。斎竹は泉涌寺(せんにゅうじ)の塔頭・来迎院(らいごういん)が立てていました。
●長刀鉾稚児による注連縄切りは古い文献を参考に長刀鉾山鉾巡行のコースが変更された1956年(昭和31年)から行われるようになりました。それまでは長刀鉾の役員が行っていたそうです。
●稚児舞は太平の舞とも言われ、山鉾巡行のコースを清め祓い、疫病の退散を祈願します。稚児舞では両手に握ったバチを交差させ、体を大きく、優雅に旋回させて胸に抱いた鼓(つづみ)を叩きます。
●注連縄(標縄・七五三縄)は神域(常世・とこよ)と現世(うつしよ)を隔てる結界の役目や厄・禍を祓う役割があると言われています。なお注連縄は天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸から出た際、太玉命(ふとだまのみこと)が二度と天岩戸に入れないよう注連縄で塞いだのが起源とも言われているそうです。
●悪王子社は974年(天延2年)に東洞院通四条下る西側に祀られていたと言われています。その後桃山時代(1583年~1603年)に関白・豊臣秀吉の命によって烏丸五条に移され、1596年(慶長元年)に豊臣秀吉の命によって四条御旅所内に移され、更に四条通大和大路角に移されたと言われています。1877年(明治10年)に八坂神社内に移されました。悪王子社には素戔嗚尊の荒御霊(あらみたま)が祀られています。
【長刀鉾 歴史・簡単概要】
長刀鉾は1441年(嘉吉元年)またはそれ以前に創建されたと言われています。また長刀鉾は1225年(嘉禄元年)に八坂神社に寄進された長刀を鉾頭に掲げて創建されたとも言われています。長刀鉾は現在存在する祇園祭の全山鉾の中で最古の山鉾と言われています。応仁の乱(1467年(応仁元年)~1477年(文明9年))前の山鉾と地名を記した「祗園社記」第15(八坂神社記録)には「長刀ほく(四条東洞院烏丸間)」と記されています。長刀鉾の名称は山鉾の先端である鉾頭に疫病邪悪を祓う大長刀を付けていることに由来しています。鉾頭にはかつて三条小鍛冶宗近が作刀した長刀、1522年(大永2年)に三条長吉が作刀した長刀、1675年(延宝3年)に和泉守来金道が作刀した長刀が使われていたが、現在は竹に錫箔を張ったレプリカが使われています。なお長刀鉾では長刀の刃先が京都御所・八坂神社には向かないように南向きに取り付けています。
*参考・・・長刀鉾(祇園祭山鉾前祭)ホームページ
【祇園祭注連縄切り(前祭) 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2026日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)