祇園祭弓矢町武具飾り2025年7月16日・17日(日程時間・・・)
祇園祭弓矢町武具飾り(日程時間・アクセス・概要・・・)
祇園祭弓矢町武具飾り(日程・時間・・・)を紹介しています。弓矢町武具飾りは7月16日・17日に行われています。弓矢町武具飾りでは松原通(西福寺前から松原橋)沿いの町家や町会所である弓箭閣(きゅうせんかく)などに甲冑が飾られます。弓箭閣では大将と言われる立派な甲冑と御使い武者の甲冑2領が並んで飾られるそうです。(詳細下記参照)
★祇園祭最新情報。
【祇園祭弓矢町武具飾り2025 日程時間(要確認)】
祇園祭弓矢町武具飾り2025は2025年(令和7年)7月16日(水曜日)・17日(木曜日)に行われます。(現在確認中・要注意)
●祇園祭の主要行事の日程を確認できます。(下記リンク参照)
祇園祭2025日程一覧(宵山屋台・山鉾巡行・・・)
【祇園祭弓矢町武具飾り・西福寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府京都市東山区松原通大和大路東入ル西轆轤町81
最寄り駅・バス停・・・清水道(徒歩約5分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*京都駅から西福寺は100系統(D1乗り場)、110系統(D1乗り場)、206系統(D2乗り場)
*四条河原町からは207系統
*四条烏丸からは207系統
*堀川丸太町からは202系統
路線・時刻表・運賃チェック
*京阪電鉄本線の場合、最寄り駅は清水五条駅(徒歩約7分)
【祇園祭弓矢町武具飾り 簡単概要】
祇園祭弓矢町武具飾り(ゆみやちょうぶぐかざり)は宵山(前祭)が行われる7月16日・神幸祭・山鉾巡行(前祭)が行われる7月17日に行われています。弓矢町武具飾りは江戸時代の神幸祭(しんこうさい)の際に6人の法師武者(ほうしむしゃ)・30人の甲冑姿(かっちゅうすがた)の武者が神輿行列に武者行列として供奉し、明治時代以降に神幸祭・還幸祭(かんこうさい)に供奉したことに由来しています。しかし1966年(昭和41年)に還幸祭の供奉が最後になり、1974年(昭和49年)に神幸祭の供奉が最後になり、1975年(昭和50年)から神幸祭に合わせ、甲冑が虫干しを兼ねて飾られるようになりました。弓矢町武具飾りでは松原通(西福寺(さいふくじ)前から松原橋)沿いの町家や町会所である弓箭閣(きゅうせんかく)などに約10領の甲冑が飾られます。弓箭閣では大将印の立派な甲冑と御使武者印の2領の甲冑が並んで飾られ、古文書・古地図・写真なども展示されます。ちなみに甲冑には大将印・御使武者印以外にも智印・信印・愛宕印・仁印・義印・福印・壽印・天印・禮印・花印・松印などの銘があるそうです。なお大将印の供奉は中弓矢町・東弓矢町・西弓矢町の3ヶ町の年番で交替で務めていたそうです。
弓矢町は平安時代中期頃に八坂神社(祇園社)の社領になったとも言われています。その後八坂神社に従属し、警備や清掃などの雑役に従事した下級神官・犬神人(いぬじにん)が住むようになったとも言われています。犬神人は神輿渡御(神幸祭・還幸祭)の際に眼だけを出した白い頭巾の法師姿で、八角棒を持ち、6人の棒の衆として神輿を先導し、順路を警備・清掃したと言われています。犬神人の姿は「洛中洛外図屏風(上杉本)・1565年(永禄8年)」にも描かれているそうです。なお犬神人は江戸時代に弓矢・弦・沓(とう)・弓懸(ゆがけ)などを作ったそうです。
神幸祭では中御座神輿(なかござみこし)・東御座神輿(ひがしござみこし)・西御座神輿(にしござみこし)が八坂神社から氏子町を回って、御旅所(Otabi Kyoto)に向かいます。
宵山(前祭)では夕方から長刀鉾・月鉾・菊水鉾など23基の山鉾の駒形提灯に明かりが灯され、祇園囃子(コンチキチン)が奏でられます。
祇園祭宵山(前祭)
【祇園祭 歴史・簡単概要】
祇園祭(ぎおんまつり)は平安時代前期の869年(貞観11年)に全国に疫病が流行し、牛頭天王(ごずてんのう)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)の祟りであるとし、卜部日良麿(うらべのひらまろ)が神泉苑に国の数と同じ66本の鉾を立て、悪霊を移して穢れを祓い、薬師如来の化身とされる牛頭天王を祀り、更に牛頭天王を主祭神とする八坂神社から3基の神輿を送り、病魔退散を祈願した祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)が起源と言われています。970年(天禄元年)から毎年に行われるようになりました。
祇園祭歴史年表・由来(869年~)
【祇園祭弓矢町武具飾り 備考】
*イベントの情報(日程・場所・内容など)は必ず主催者に確認して下さい。当サイトの情報はあくまで参考情報です。イベントの内容などが変更になっている場合もあります。
祇園祭2025日程(ちまき販売・宵山屋台・・・)