金胎寺(アクセス・マップ・概要・・・)
金胎寺
金胎寺(アクセス・見どころ・歴史概要・料金・・・)情報を紹介しています。金胎寺が建立されている標高約682メートルの鷲峰山(じゅぶせん・じゅうぶさん)は南山城地域の最高峰であり、昔から霊山として信仰されていました。鷲峰山は奈良吉野の大峯山に対し、「北大峯」と称されました。
【金胎寺 アクセス・マップ】
場所・・・京都府相楽郡和束町原山鷲峰山
最寄り駅・バス停・・・維中前(徒歩約180分)
アクセス路線は次の通りです。(最終更新2014年末・変更の場合あり)
*JR宇治駅・京阪宇治駅・近鉄新田辺駅から京都京阪バス・維中前(いちゅうまえ)行き・緑苑坂(りょくえんざか)行き・工業団地行き
路線・時刻表・運賃チェック
【金胎寺 拝観時間・時間(要確認)】
入山料300円(寺宝志納)
【金胎寺 拝観料金・料金(要確認)】
境内自由
【金胎寺 歴史・簡単概要】
金胎寺(こんたいじ)は起源が明確ではありません。金胎寺は「興福寺官務牒疏・1441年(嘉吉元年)」によると修験道(しゅげんどう)の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)が鷲峰山(じゅぶせん・じゅうぶさん)を開山したのが起源とも言われています。奈良時代に第45代・聖武天皇が平城京の鬼門封じとして、伽藍を建立し、勅願寺としました。その後寺領が拡大し、山内に58もの坊舎を有して繁栄していたと言われています。1298年(永仁6年)に第92代・伏見天皇が行幸し、勅願によって多宝塔が建立されました。1331年(元弘元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇が鷲峰山を経て、笠置に逃れた際に鎌倉幕府軍によって焼き討ちされました。1340年(暦応3年)にも出火によって多くの堂塔を焼失し、1361年(康安元年)に光弁上人が堂塔を再建しました。しかし1518年(永正15年)に再び焼失し、その後の兵火により、往時のように堂塔が再建されず、1523年(大永3年)に堂塔跡に杉・檜2万本が植えられたと言われています。安土桃山時代に織田信長によって寺領が没収されたが、江戸時代末期(幕末)まで南北19町半・東西30町の広さを誇っていました。ただ明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)などにより、現在の境内は3町弱になりました。
金胎寺は真言宗醍醐派の寺院です。
*参考・・・金胎寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)
【金胎寺 見どころ・文化財(非公開の場合あり)】
金胎寺の見どころはいずれも重要文化財である宝篋印塔・多宝塔です。宝篋印塔は1300年(正安2年)に建立されたと言われています。多宝塔は1298年(永仁6年)に建立され、1490年(延徳2年)・1681年(元和元年)に修復されたと言われています。なお国の史跡と歴史的自然環境保全地区になっている境内も見どころです。
【金胎寺 連絡先(現在確認中)】*電話は控えて下さい。迷惑になります。
電話番号・・・080-3031-8817(金胎寺)
【金胎寺 備考(アクセス・御朱印・駐車場・・・)】
【金胎寺 おすすめ散策ルート】
金胎寺からのおすすめ散策ルートは西側に位置する熊倉権現神社に向かうルートです。また北西に位置する大道神社(天神宮)に向かうのもいいかもしれません。金胎寺は市街地からかなり離れ、周辺にはあまり観光スポットがない為、次の観光スポットに向かい、その周辺を散策した方がいいかもしれません。