常寂光寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説

常寂光寺

常寂光寺の歴史を時代別年表で紹介。

常寂光寺の歴史は慶長年間に日蓮宗の大本山である本圀寺16世・日禎上人が隠棲の地として開創したのが起源と言われています。1596年(文禄5年)に小笠原秀政の母で、日野輝資の養女・延壽院が開基になりました。なお歴史は修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

【小倉山荘「時雨亭」・本圀寺】

★平安時代後期に小倉百人一首の撰者で、歌人・藤原定家(ふじわらのていか)の小倉山荘「時雨亭(しぐれてい)」が小倉山山腹にあった言われ、藤原定家が「時雨亭」で小倉百人一首を選んだと言われています。「時雨亭」は仁王門北側にあったと言われ、多宝塔の南西上方に「時雨亭」の基礎石跡が復元され、「時雨亭」の石碑が建てられています。なお嵐山・嵯峨野は平安時代に皇族・貴族の離宮・山荘が設けられる景勝地でした。
★本圀寺(本国寺)は寺伝によると鎌倉時代の1253年(建長5年)に日蓮宗(法華宗(ほっけしゅう))の宗祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)が鎌倉・松葉ヶ谷に小庵を結び、法華堂と号したのが起源です。その後日蓮聖人が伊豆・佐渡に配流され、本圀寺も破却されたたが、1307年(徳治2年)に本圀寺が再興され、1328年(嘉歴3年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(だいごてんのう)の勅願所になり、勅願「根本道場」を賜ったとも言われています。1345年(興国6年・貞和元年)に本圀寺4世・三位日静上人(にちじょうしょうにん)が北朝初代・光厳天皇(こうごんてんのう)の勅諚により、本圀寺が鎌倉から京都・六条堀川楊梅に移りました。三位日静上人は室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の母・上杉清子(うえすぎきよこ)の弟だった為、足利将軍家の庇護を受けました。1536年(天文5年)の天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)によって焼失し、大阪・堺にある末寺・成就寺(じょうじゅじ)に避難したが、1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)が法華宗帰洛の綸旨を下し、1547年(天文16年)に六条堀川の旧地に再興されました。1568年(永禄11年)に上洛した室町幕府15代将軍・足利義昭(あしかがよしあき)の仮居所(六条御所)になりました。1585年(天正13年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により、寺地の南側二町が西本願寺に割譲され、西本願寺が建立されました。

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【常寂光寺の起源・始まり】

★常寂光寺は慶長年間(1596年~1614年)に日蓮宗の大本山である本圀寺16世・日禎上人(にっしんしょうにん)が隠棲の地として開創したのが起源と言われています。1596年(文禄5年)に小笠原秀政(おがさわらひでまさ)の母で、日野輝資の養女・延壽院が開基になりました。常寂光寺は常寂光土のような風情から寺号が付けられたと言われています。なお慶長年間に小早川秀秋(こばやかわひであき)の助力より、伏見城の客殿が移されて本堂が建立されました。また小倉山一帯は高瀬川(たかせがわ)開削で知られる角倉一族の所有で、角倉了以(すみのくらりょい)とその従兄・角倉栄可から寺地が寄進されました。日禎上人は天龍寺小字大雄寺の荒蕪地を開拓して住居にしました。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

★1616年(元和2年)に南北朝時代の貞和年間(1345年~1350年)に本圀寺客殿の南門として建立された仁王門が常寂光寺に移築されました。仁王像は仏師・運慶(うんけい)作とも言われ、目と足腰の病気にご利益があるとされ、病気平癒祈願にわらじが奉納されています。仁王像は福井県小浜市の長源寺から移されました。
★1620年(元和6年)8月に多宝塔(重要文化財)が建立されました。霊元上皇(第112代・霊元天皇(れいげんてんのう))宸筆の勅額「並尊閣」が掛けられています。
★1642年(寛永18年)に鐘楼が再建されました。
★享和年間 (1801年~1804年)に妙見菩薩(みょうけんぼさつ)が角倉町の集会所から常寂光寺に移されました。妙見菩薩は慶長年間(1596年~1614年)に保津川(ほづがわ・桂川(かつらがわ))が洪水に見舞われた際、角倉町の船頭が拾って集会所に祀られていたが、享和年間に常寂光寺に移されました。妙見菩薩は洛陽十二支妙見めぐりの札所で、常寂光寺が御所から見ると西(酉)に位置することから「酉(とり)の妙見菩薩」と言われています。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

★1890年(明治23年)に歌仙祠(謌僊祠 かせんし)が建立されました。歌仙祠は1994年(平成6年)に改築されました。歌仙祠には藤原定家・藤原家隆(ふじわらのいえたか)の像が納められ、富岡鉄斎(とみおかてっさい)筆の扁額「歌遷祠」が掛けられています。なお室町時代頃から藤原定家の像を祀る祠があり、常寂光寺創建の際に祠よりも上に庫裏を建立するのは恐れ多いと現在の場所に移されたそうです。
★1928年(昭和3年)に拝殿が建立されました。
★1932年(昭和7年)に本堂が修理されました。
★1973年(昭和48年)に梵鐘が京都工芸繊維大学教授・青木一郎の音響設計によって鋳造されました。梵鐘は太平洋戦争中に供出されました。

【常寂光寺の開山である日禎上人】

日禎上人は1561年(永禄4年)に藤原北家日野氏流の権大納言・広橋国光の子として京都で生まれました。幼い頃に本國寺15世・日栖の門に入り、18歳で本國寺16世になりました。1595年(文禄4年)に関白・豊臣秀吉が方広寺大仏殿で千僧供養を行った際、不受不施義の宗制を守って出仕しませんでした。1596年(文禄5年)に日蓮宗の宗祖・日蓮の佐渡の霊跡を巡拝し、京都に戻ると常寂光寺に隠棲しました。日禎上人は角倉了以から小倉山の土地を寄進され、その後角倉了以の大堰川改修工事を支援しました。日禎上人は宗学と歌道に造詣が深く、加藤清正・三好吉房・小出秀政・小早川秀秋・瑞竜院日秀(豊臣秀吉の実姉)や町衆に帰依されました。なお日禎上人は1617年(元和3年)に亡くなりました。

【常寂光寺 備考】
*参考・・・常寂光寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)ホームページ

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