妙覚寺の歴史-修学旅行・観光の簡単解説
妙覚寺の歴史を時代別年表にまとめ
妙覚寺の歴史は1378年(天授4年・永和4年)に日像上人の法孫・日実が信徒だった豪商・小野妙覚の外護により、四条大宮の小野妙覚邸内に創建したのが起源です。ただ妙覚寺では日像上人を開山、日実を妙覚寺4世としています。(時代別年表・重要人物下記参照)
【本圀寺(本国寺)】
★本圀寺(本国寺)は寺伝によると鎌倉時代の1253年(建長5年)に日蓮宗の宗祖・日蓮聖人(にちれんしょうにん)が鎌倉・松葉ヶ谷に小庵を結び、法華堂と号したのが起源です。1345年(興国6年・貞和元年)に本圀寺4世・三位日静上人(にちじょうしょうにん)が北朝初代・光厳天皇(こうごんてんのう)の勅諚により、本圀寺が鎌倉から京都・六条堀川楊梅に移りました。三位日静上人は室町幕府初代将軍・足利尊氏(あしかがたかうじ)の母・上杉清子(うえすぎきよこ)の弟だった為、足利将軍家の庇護を受けました。
★妙顕寺は1321年(元亨元年)に帝都弘通(ていとぐずう)を果たした肥後阿闍梨・日像上人(にちぞうしょうにん)が日蓮聖人の遺命を受け、南朝初代で、第96代・後醍醐天皇(だいごてんのう)から勅旨を賜り、今小路に京都における日蓮宗最初の道場として創建しました。1334年(建武元年)に後醍醐天皇の勅願寺になり、洛中洛外の宗門の第一位とされ、四海唱導妙顕寺(しかいしょうどう)と言われました。
【妙覚寺の起源・始まり】
★妙覚寺(妙覺寺)は南北朝時代の1378年(天授4年・永和4年)に日像上人(にちぞうしょうにん)の法孫・日実(にちじつ)が信徒だった豪商・小野妙覚の外護により、四条大宮の小野妙覚邸内に創建したのが起源です。ただ妙覚寺では日像上人を開山、日実を妙覚寺4世としています。なお日実は紀州(和歌山)に生まれ、妙顕寺の大覚に師事し、備前・備中で布教を行ったが、教義や後継者問題で対立し、実弟・日成とともに妙顕寺から去りました。
【室町時代(1336年頃~1573年頃)の歴史・出来事】
★1466年(寛正7年)に本覚寺と合寺し、寺域を広げ、不受不施義の中心的な寺院になりました。
★1483年(文明15年)に室町幕府9代将軍・足利義尚(あしかがよしひさ)の命により、二条衣棚(中京区)にに移りました。
【戦国時代(1493年頃~1590年頃)の歴史・出来事】
★1536年(天文5年)に天文法華の乱(てんぶんほっけのらん)で焼失し、妙覚寺は他の日蓮宗の寺院とともに大阪・堺に避難したが、1542年(天文11年)に第105代・後奈良天皇(ごならてんのう)が法華宗帰洛の綸旨を下し、1548年(天文17年)に旧地の二条衣棚に再興されました。
★戦国時代室町幕府第13代将軍・足利義輝(あしかがよしてる)の宿舎になりました。
★戦国時代に妙覚寺は妙顕寺と同様に大きな寺域を持っており、国宝「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ」に建物などが描かれています。
【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】
★安土桃山時代に妙覚寺は本能寺とともに織田信長(おだのぶなが)の宿舎になり、織田信長が京都に20数回上洛した際、妙覚寺が18回、本能寺が3回宿舎なりました。1582年(天正10年)6月2日の本能寺の変の際、妙覚寺が織田信長の嫡男・織田信忠(おだのぶただ)、本能寺が織田信長の宿舎になり、織田信忠は二条新御所、織田信長は本能寺で自刃しました。ただ本能寺・二条新御所は兵火に見舞われたが、妙覚寺は兵火を免れたとも言われています。なお妙覚寺は織田信長だけでなく、伊達政宗(だてまさむな)などの宿舎になったり、千利休(せんのりきゅう)が茶会を催したりしました。
★1583年(天正11年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)の命により、現在の場所に移りました。
★1595年(文禄4年)に関白・豊臣秀吉が方広寺(ほうこうじ)で千僧供養を行った際、妙覚寺21世・日奥(にちおう)は不受不施義の教義によって出仕を拒み、豊臣秀吉に法華宗諌状を提出して妙覚寺を去りました。
★安土桃山時代に華芳塔堂(京都府指定有形文化財)が建立されたとも言われています。
【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】
★1663年(寛文3年)に聚楽第(じゅらくだい)の裏門が移築され、大門(京都府指定有形文化財)が建立されました。聚楽第の裏門は1590年(天正18年)に関白・豊臣秀吉(とよとみひでよし)が造営しました。
★1788年(天明8年)に天明の大火で焼失し、その後再建されました。本格的な本堂を再建する予定で、仮本堂が建てられて本尊が安置されたが、本格的な本堂が再建されず、明治時代に仮本堂が解体され、本尊は客殿に移されて客殿が本堂(京都府指定有形文化財)になりました。
【妙覚寺の開山とされる日像上人】
日像上人は1269年(文永6年)に下総国(千葉)に生まれました。1275年(建治元年)に兄で、日蓮聖人の弟子・日朗に師事し、その後日蓮聖人の直弟子になりました。1293年(永仁元年)に日蓮聖人の遺命を果たすべく、京都での布教に出発しました。佐渡・北陸を経て、1294年(永仁2年)に御所に向かって上奏し、その後辻説法を行い、新興の商工業者に布教したが、延暦寺・東寺・仁和寺・南禅寺・知恩寺などの諸大寺から迫害を受け、3度にわたって追放されました。1321年(元亨元年)に南朝初代で、第96代・後醍醐天皇から寺領を賜って妙顕寺を創建し、1334年(建武元年)に後醍醐天皇から法華宗号を許され、勅願寺になりました。その後足利将軍家の祈願所にもなりました。日像上人は1342年(康永元年・興国3年)に亡くなりました。
【妙覚寺 備考】
*参考・・・妙覚寺(アクセス・マップ・歴史・見どころ・・・)