愛宕神社歴史-修学旅行・観光ポイント

愛宕神社(Atago Shrine)

愛宕神社の時代別年表と重要人物

愛宕神社歴史を簡単にマトメてポイント解説します。愛宕神社は大宝年間(701年~704年)に修験道の祖・役行者と白山の開山・泰澄が朝廷の許しを得て、愛宕山に神廟を建立したのが起源と言われています。なお修学旅行・観光の為に簡単にマトメています。

愛宕神社基本情報

【前史(愛宕山)】

★愛宕神社が建立されている標高約924メートルの愛宕山(あたごさん)は山城国(やましろこく)・丹波国(たんばこく)の境に位置しています。愛宕山は京都市右京区の北西部に位置し、山体が京都市・亀岡市にまたがり、山頂が京都市にあります。ちなみに山頂には愛宕神社が祀られています。愛宕山は古くから京都盆地東北に聳えている標高約848メートルの比叡山(ひえいざん)とともに信仰を集めました。

【愛宕神社創建(起源・由来)】

★>愛宕神社は飛鳥時代後期の大宝年間(701年~704年)に修験道(しゅげんどう)の祖である役行者(えんのぎょうじゃ)・役小角(えんのおづの)と白山(はくさん)の開山で、越の大徳(こしのたいとこ)と称される泰澄(たいちょう)が朝廷の許しを得て、愛宕山(朝日峰)に神廟を建立したのが起源と言われています。「愛宕山神道縁起」・「山城名勝志」に愛宕神社の前身である白雲寺(はくうんじ)の縁起が記されています。

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【奈良時代(710年頃~794年頃)の歴史・出来事】

★781年(天応元年)に慶俊(けんしゅん)が中興し、宇佐八幡宮神託事件(うさはちまんぐうしんたくじけん・道鏡事件(どうきょうじけん))で皇統を守った和気清麻呂(わけのきよまろ)が愛宕山に白雲寺(愛宕神社)を創建し、鎮護国家の道場である愛宕大権現(あたごだいごんげん)としたとも言われています。ちなみに愛宕山には中国の五台山(ごだいさん)に模した五寺(白雲寺・月輪寺・神願寺(神護寺)・日輪寺・伝法寺)が建立されていたと言われています。なお白雲寺(愛宕神社)は神仏習合(しんぶつしゅうごう)、修験道(しゅげんどう)の霊場として信仰されました。本殿には本地仏(ほんじぶつ)である勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)、奥の院(若宮社)に愛宕山の天狗太郎坊(てんぐたろうぼう)が祀られていました。

【平安時代(794年頃~1185年頃)の歴史・出来事】

★平安時代前期(9世紀頃)に愛宕山が比叡山(ひえいざん)・比良山(ひらさん)・伊吹山(いぶきやま)・金峯山(きんぷせん)・葛城山(かつらぎさん)・神峯山とともに七高山(しちこうざん)に数えられました。
★平安時代中期の「延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)・927年(延長5年)成立」に「丹波国桑田郡 阿多古神社」と記されているが、阿多古神社は亀岡市の愛宕神社(元愛宕)と言われています。ちなみに亀岡市の愛宕神社は社伝によると神代の昔に山を神籬として祀られ、507年(継体天皇元年)に社殿が建立されたとも言われています。

【安土桃山時代(1573年頃~1603年頃)の歴史・出来事】

★1582年(天正10年)5月に明智光秀(あけちみつひで)が愛宕神社に参蘢し、織田信長(おだのぶなが)を攻めるかどうかを占う為にくじを引き、3度の凶の後の4度目に吉を引いたと言われています。明智光秀は翌日の連歌の会(愛宕百韻)で、「時は今 あめが下しる 五月哉」と詠みました。なお愛宕山に亀岡方面から向かう登山道は明智光秀に因んで、「明智越え」とも言われています。

【江戸時代(1603年頃~1868年頃)の歴史・出来事】

★勝地院・教学院・大善院・威徳院・福寿院などの住坊が建てられていました。

【明治時代以降(1868年頃~)の歴史・出来事】

★明治維新後の神仏分離令・廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、白雲寺が廃絶になり、愛宕神社になりました。本地仏・勝軍地蔵は京都市西京区大原野の金蔵寺(こんぞうじ)に遷されました。なお愛宕神社は本殿に伊弉冉尊(いざなみのみこと)・埴山姫神(はにやまひめのみこと)・天熊人命(あめのくまひとのみこと)・稚産霊神(わくむすびのかみ)・豊受姫命(とようけびめのみこと)を祀っています。
★1881年(明治14年)に愛宕神社が近代社格制度で府社に列せられました。
★第二次大戦後に神社本庁の別表神社に列せられました。
★2003年(平成15年)9月28日に愛宕神社御鎮座1,300年祭が行われました。

【役行者:愛宕神社創建者】

愛宕神社を創建したのは役行者です。役行者は634年(舒明天皇6年)に父・大角と母・白専女の子として大和国葛城上郡茅原で生まれたとも言われました。生誕地とされる場所には吉祥草寺が建立されています。650年(白雉元年)の16歳の時に山背国に志明院を創建したと言われています。翌651年(白雉2年)に元興寺で孔雀明王の呪法を学び、葛城山・熊野・大峰などで山岳修行を続け、吉野・金峯山で金剛蔵王大権現を感得し、日本古来の山岳信仰・山修行・密教(仏教)などを融合させた修験道の基礎を築きました。しかし弟子・韓国連広足が役行者の能力を妬み、妖術を使って人を惑わしていると朝廷に讒訴し、699年(文武3年)に伊豆島に流罪になりました。701年(大宝元年)1月に大赦されて故郷に戻り、6月7日に大阪箕面・天上ヶ岳で亡くなったとも言われています。

【泰澄:愛宕神社創建者】

愛宕神社を創建したのは泰澄です。泰澄は682年(白鳳11年)に越前国(福井)の豪族・三神安角の次男に生まれたと言われました。14歳で出家し、その後標高約612メートルの越知山に登って十一面観音を念じて修行しました。702年(大宝2年)に第42代・文武天皇から鎮護国家の法師に任じられ、717年(養老元年)に標高約2,702メートルの白山に登って妙理大菩薩(みょうりだいぼさつ)を感得して、白山を開山したとも言われています。722年(養老6年)に第44代・元正天皇の病気平癒を祈願し、その功によって号・神融禅師を贈られ、737年(天平9年)に疱瘡流行を収束させ、戒名・泰澄と正一位・大僧正位を贈られました。なお泰澄は767年(天平神護3年)に亡くなりました。

【愛宕神社 備考】
*参考・・・愛宕神社(歴史・見どころ・・・)ホームページ

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